余命?年

医者から次のように宣言されたら、あなたはどうするだろうか?
「あなたは癌です。もう施しようがありません。余命半年ですから、悔いのない余生を送ってください。」

あなたはその言葉を聞いた後、わけがわからなくなる。
その後で、医者の言葉を疑う。「本当にそうなのか?誤診ではないのか?」
そしてなにか無性に怒り出す。

その後で現実を自分が認識できると、その言葉を聞くまでの世の中と聞いた後の世の中が違って見える。
自分を置き去りにして、時間が進んでいるような気がする。
景色の色が変わる。いろいろなものが切なく生えて映り、生き物や妻や子どもが輝いて見えるようになる。
一方で自分自身を鏡で見ると、くすんで火の消えたようなマッチの残りかすのように映る。

あと半年、どうやって生きていこうか?
死後の妻や子どもに、何を残せるだろうか?
いまさら生命保険に入ることはできないし、蓄えも十分でないかもしれない。
私の医療費や看護で迷惑をかけないだろうか?

それよりも、これから死ぬまで痛みに苦しむのであろうか?
死後の世界はあるのだろうか?
何かやり残したことはないだろうか?

もしこの余命が半年でなくて、3年だったらどうなるだろうか?
悩む時間が増えるのだろうか?
それともやり残したことがたくさんできるだろうか?

では10年だったら、どうだろうか?
30年だったら、どうだろうか?

私たちは毎日その現実に直視していないが、余命は?年である。
いつかは死ぬ。

それは癌のように余命を宣告してくれる場合もあるかもしれない。交通事故で余命を宣告されず死んでしまうかもしれない。私が40歳の男性として、平均余命はあと40年。ちょうど物理的に人生を折り返したところである。

主な年齢の平均余命(平成16年)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life04/1.html

最近、仕事の山は見えてきて、大きな峠を一つ越えたところ。まだまだ峠がたくさんあるのだが、少し歩きを早めたほうがいいのかな。でも体力は衰えてきたから、徹夜をしたり、1日10時間以上も歩いておれない。では効率よく、そして充実して歩く方法がないかなと考えてみた。

時間をつぶすだけの、テレビや映画はみなくなったし、ゲームも新しい発見がなければやらないだろうな。
それでも、目指すゴールまでたどり着けるだろうか?
ずいぶん、道草くったしな。でも道草は楽しかったよ。

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