願わくば我に七難八苦を与えたまえ

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」

この言葉を始めて知ったのは、恥ずかしながら「ドラエモン」というアニメ
の中でのび太のパパが語った言葉だった。
戦国時代の日本に、尼子氏の家臣であった山中鹿之助幸盛が月山に登り、三
日月に誓って唱えたそうである。
生前に主人である尼子晴久に仕え、主人が毛利氏に滅ぼされてからも、尼子
家再建に努めた。何度も戦に負けながら、何度もやりとげようとした苦労
し、最後は34歳の若さで無くなった。

事業を進めていて、まさにこの心中。

金がない。人がない。時間がない。

ベンチャーなんて、金も人もないところから始まるし、たいていの企業も十
分にあるとはいえない。それはどの会社でも同じだと思っている。何かうま
くいかないことがあると「何だ俺、こんなこともできないのか?情けな
い。」と思ってしまう。身近な人がベンチャーで成功していると、「俺はダ
メだな?」と思ってしまう。

ニュースというのは成功した人の話しかしない、その苦労もあまり報じな
い。そして、ベンチャーとして会社としてうまくいっていないところも多い
と思うが、そういった情報はあまりない。傷のなめあいをしたいわけではな
いが、失敗談でも話せば気が楽になるかもしれないと思う。だけど、そうい
う話は酒がまずくなるからしたくない。それよりも悪い話ばっかりしている
と、運が逃げてしまう。

なんてところで、結局ベンチャーというのはこういうことをどうにか乗り越
えていかなくてはいけない。

この世の中ではお互いに助け合いの中で生きていると考えることが多くなっ
た。そうすると人を蹴落としたり足を引っ張る人は存在価値がないと思う。
そういう人もいて現実社会だと考える人がいるが、誰かのために貢献するた
めに生きていなくてはいけないと思う。

極端にいえば、自分の子どもがハンディキャップでも親を喜ばしてくれるの
であれば、それは親を喜ばしてくれているからそれでいいと思う。だけど誰
も喜ばせず、誰のためにも尽くしていないのならば、それは存在価値がある
のだろうか?

そう考えていると、自分に同じ疑問をもつ。
自分としては何ができるか?とりあえず子どもを育てている親か?
何か貢献できるソフトウェアを作っているだろうか?これで十分だろうか?

「他の人はどうか」と問題を転嫁しようとすると、その自己嫌悪から数倍に
なってまた同じ事を考えてしまう。

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
辛いことを乗り越えていけば自分の成長はあると思うが、果たしてそれを乗
り越えていけるだろうか?精神的にも体力的にも予想がつかない。とりあえ
ず、その問題を他人事にしておけば気が楽になる。

なんか書くのを迷った上に、結構適当な文章になってしまった。ゴメン。

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