絵を描けないデザイナーなんて、きっといないだろうな。
だから私はデザイナーと名乗ることはできない。
実は私はアートが好きなんです。
ただ絵を描くことができない。
絵を時間をかけて描くのは好きではないのだが、何かアイディアを表現する
ことが好きだ。
小学校のときに作った版画が選ばれて名古屋市科学館に飾られたことがあっ
た。中学校のときにつくった銅版画や製図が、ずっと廊下にかざってあった
こともあった。
海外旅行へ行くと、必ずその土地の代表的な美術館へ行く。
古かったり近代的な建物やモニュメントを見たり、街の雰囲気を味わうのが
好きだ。パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、モ
ダンアート美術館、バチカン美術館はどれも時間の許す限りいた。一つの作
品を30分以上、ときには1時間ぐらい見ていたこともあった。
それは誰でも同じように楽しむものだと思っていたが、ある人に「美術館へ行って作品を見るのがどこがおもしろい?」と言われたので、普通じゃないのかと初めて気付いた。でも美術館を好きな人はたくさんいると思うので、一定の人は
アートが好きなんだと思う。
きれいに描かれたというよりも、自分の魂を揺さぶるような作品が好きだ。
なかでもスペインのカタルーニャにあるものは街中が美術館のようで好きだった。
アントニオ・ガウディはいたし、ピカソもいた。そしてダリもいた。
ダリが好きだったから、フランスの国境に近いフィゲラスにダリの美術館が
あり、そこからダリが晩年過ごしたというカゲダスの港町へ行って泊まっ
た。ダリが過ごした家で「卵の家」というのがあるんだ。彼が晩年考えたこ
とを一緒になって考えてみたいとおもったんだ。
http://www.dali-gallery.com/
http://www.salvador-dali.org/
スペインは色彩豊かで、原色の鮮やかなキルトのようなイメージがある。
旅先で美術書を買ったこともある。
ハンガリーのブダベストの本屋で、気に入った美術書があって買った。それ
がロシアのシーシキンの風景画だった。
チベットのタンカの写真集をラサで買ってネパールから日本へ送った。
タンカはチベットの仏教画のことだ。
それぞれの国は、その国が訴えるイメージで覚えている。
イランのモスクはクリスタルガラスでまぶしく輝いていた。
白と透明とわずかな緑の国、不気味な静けさがある。
インドは力強い土色に黄色で、暑くうっとおしい民族音楽がある。
中国は茶色に黒が混じった感じで、人がうじゃうじゃ湧き出ている。
ギリシャはまさしく、青と白。人のいない天国のようなところ。
トルコは緑と赤に青。ギリシャに着色をした感じ。
エジプトは、薄いピンクの混じった土色と黄色。
なんとなくいろいろなものが色と感覚で覚えている。
プログラムを作るときも、何かイメージをしながら作っていく。だからプロ
グラムを作るまでは時間がかかり、一行一行つくっていく。さっと頭の中で
形が作られていくと、さらさらっと像を作っていくように。。
実は論理的な作業ではない。
中学校や社会人になったとき、油絵を描きたいなと思ったときがあった。
だけど、結局油絵の具はかわなかったし、デッサンもしなかった。パソコン
で絵を描こうと思ったけれど、うまく描けなかった。パソコンで使ういろい
ろなペイントソフトやイラストレータ・フォトショップなどデザイナーの使
う道具はあるけれど、自分が描きたいような絵を描くことができない。
でもいづれつくったソフトウェアで、アートの作品ができたらと思う。とは
いっても美しいスクリーンセーバーではなくて、何かプログラムの心の奥か
ら強烈に湧き出てくるような何かだ。でもまだまだ受益者にすぎない。
もし将来、人工知能ができたとしても、人間のつくったアートには勝ることは
できないんだろうと思う。人間の能力の多くは人工知能で実現できるように
なっていく。最後に残るのが創造的な部分。アートを人工知能で実現するのは
難しいだろうな。でも人が創ることのできない、全く種類のアートを作り出し
そうな気もする。
娘は絵を描くのが好きで、将来はイラストを描くデザイナーになりたいと思っている。またここ数年、仕事がいつの間にかデザイナーやアーティストとお知り合いになっている。Webという仕事をすると、Webプログラマーとデザイナーという
ように関わる必然性が出てくるかもしれないが、似ている要素があるから
呼び寄せてしまうのかもしれないとも思う。
でもコンピューターを使ったアートを何かしたいなという気持ちに変わりはない。
(すみません、今日は好き勝手なことを書いてしまいました)