この暑い夏に汗をたらしながら息絶え絶えに仕事をしている私には、この本は毒であった。
日本の山地にはたくさんの川の上流がある。川の上流はV字谷になっていて、両側にそびえた山の真ん中を川が深く削り取っている。その一番下の川で、水面からほとばしる水しぶきを浴びながら、命をかけながら激流を下る人たちがいる。
カヤックという小さなボートを操り、激流の中を下っていく。
ときには回転したり、波に飲み込まれて裏返しになったり、パドルで川の流れをコントロールするように下っていく。
この本を読んでいると、実際に自分が山に行ってカヤックに乗って激流を下っている気になってしまう。外は暑いのに感じず水しぶきを浴びながら、冷や汗をかいているのを感じる。読むだけでこんなにどきどきしたのは久しぶりだ。
川の流れは速く、水中だが浅いところに岩がある場合がある。そこに頭や身体をぶつけて骨折することもあるし、渦に巻き込まれて溺死することもある。とても危ない。死ぬこともたびたびある。
なぜそんな危ないことをするんだろうか?
そこに川があるから、という。
この命がけで水を操るという気分から逃れられない、ともいう。
そして彼らはプロである。
この激流下りで生計を立てている。
普通の社会人の生活を捨てて、カヤック乗りからリバーガイドとして生きている。決して収入が良いとはいえず、将来性もない。
そしてけがや生命の保証もない。
なぜ彼らはそんな生活をするのか?
彼らの生きざまをみて、ひさびさに自分の血を掻き立てられた。
彼らの激流
彼らは身体がよく動くし、自分で考えて行動できる。女性を退屈させないだけの話術や話題を持っている。おそらく、彼らがそう望めば、まともな会社への就職もできたのだろう。
<中略>
地方と都市との格差が広がる今の時代、彼らは格差の端に位置する山里で暮らしている。わざわざそこを選び、他所から引っ越して。人口は減る、財政は逼迫する、公共サービスは低下するなど、いろんな意味で先細りが避けられないことを承知の上で。
<中略>
大切なのは、夢中になれる何かを発見し、それに賭けることだと。それが自分以外の人間に意味をなさないことでも関係ない。心が歌いだす何かに出会ったら、それをしっかり捕まえて、離すべきではないということを。
この本を通して彼らを見ると、同じ日本に住んでいるのだけれど、同じ生き方をしていない。同時代で同じ国に生きているんだけれど。
まとまった水のある限り、カヤックを漕ぐ私たちはどこにも行けるし、自由を感じたれる。けれども日本社会が近づくにつれ、そんな伸びやかな感覚は、ときに朝露のように消えていく。
学校や社会が教えてくれた生き方とは、別の生き方を知っている。
それがなかなか受け入れてもらえないことを知りつつ、、、、
いままで僕たちが学校や社会で教わった、普通のサラリーマン生活。
会社の兵隊としてなるように学び育てられた。そんな生き方とは合わず生きている人たち。
彼らを落ちこぼれと呼ぶのか?新しい生き方を求めて生きていると考えるのか?
私もどちらかといえば、彼らとおなじ落ちこぼれ。ただ落ちこぼれらしく生きている彼らがうらやましい。またそんな彼らに嫉妬する。
