自分探しって、フリーターを続けながら自分のライフワークを探したり、世界を放浪しながら「自分の生き方の探究」をするものだけれど、、、
それはすなわち哲学への入り口であるというのが、この本の趣旨である。
男のための自分探し
そもそも、自分って、なんだろう?
それは、「生きるということは何か?」という究極の問題の主体である「自分」とはなんだろうか?
本の題名は「男のための・・・」とついている。ひょっとしたら、「自分探し」をするのは男だけなのかもしれない。そういえば、哲学者に女はあまり聞かないぞ(「第二の性」を書いたボォーブウォールしか知らない)。人生に悩むというのは、男に特有なことかもしれない。
哲学というのは、身の周りにあることを並べて、その共通性や法則をまとめあげて、真の答えを導くというもの。
まずは「なぜ恋をするか」
答: 遺伝子を残すため。子孫を作るため。逆にいえば子孫を残すような遺伝子を持つものが生存競争を勝ち抜いてきた。
男と女の恋も思考も、この「遺伝子を残す」という目的に基づいている。
????????ああぁ、つまらない。
何でも男が女に恋心を持つのは4年が限度であるそうだ。
3年目には浮気して1年後破局を迎える。女性は自分の子どもを残すために行動して、男はたくさんの子孫を残すために浮気をする。これは遺伝子のなせる技。
そして驚くことに、家族にいる子どもの10人に1人は父親の子どもでない!
大丈夫ですか?父親のあなた!!
統計を取るとアメリカでは 13%?20%。ドイツでは9?17%が父親の子どもでないそうです。男は父親であると信じているんだけれど、妻は実の父親が誰かを明かさないそうです。まあ女にとってみれば、精子が誰のものであっても実の子どもであるのは間違いないわけですから。
また遺伝的に優れていると思われるハンサムで優秀な男は、まじめに育ててくれる男とは一致しないわけですから。。さもありなんという感じです。
そんな感じで、1章1章詩のようにじっくりとかみしめながら読んでいきます。
最後は、生きる目的はよくわからず、幸福の追求であることと信じようと終わっています。
まあ結局のところよくわからないのですね。わかったからどうするというものかもしれません。
ゲーデルの不完全性定理のいうとおり、私たちが触れる哲学からは答えを導き出せないものかもしれません。つまり、どちらにしても矛盾しない。人生の目的は幸福の追求といえるかもしれないし、そうでないとも言い切れない。それは答えが導けない、別の公理系の問題であると。
本の内容からはちょっと戻るのですが、少し気になったことがありました。
薄々感じていましたが、人間としての能力を発揮できるのはやはり20代が中心なようです。結婚しておちついてしまうと、リスクを伴わない生き方になり、新しいことはできなくなります。
リスクのないところに、大きな飛躍はありません。
結婚せずに独身であれば、年齢差はあまり問題とはならないのですが、やはり家族を背負ったものの弱みでしょうか・・・・
とはいえ、生まれてこの方、他の人のまねをすることだけはしたくないと思い生きてきたので、、まだまだ棺桶に足を突っ込むまではという気持ちはあります。
やはり私の人生の目的は幸福の追求ではないみたい。おもしろいことやろう、で締めさせていただきます。
