- なぜ固定費のかかる社員を雇って仕事をするのだろうか?社員はコストがかかる。
- なぜ能力のある外部よりも、能力のない内部の人に仕事を任せるのだろうか?
- なぜいつものところで商品を買ってしまうのか?もっと安くて質のいいものが外にあるのに。
なんで商品やサービスが品質や値段よりも、信用の方が大事にとらわれているのかなと思っていた。
ブランドは、信用である。
高級ブランドは見せびらかしたいというのもあるかもしれないけれど、身近なものでブランドはあふれている。それは自分で評価せずに人に評価したせいなのかもしれない。自分で韓国のxxxを乗ってみて、「悪くないや。値段も安いしいいじゃないか」と乗り続けたり、パソコンもノーブランドのメモリーやグラフィックカードを使って悪くない製品だと認識すれば、それは自分の中でブランドとなる。
そういった身の回りのものなどの対象が、ブランドというひとつの記号に振られて、それがどんなものであるかを考えることを省力化することである。
1回省力化したら、毎回、毎回それ以上考えない。
モノに名前を付けて省力化しているのに似ている。
その普通名詞を固有名詞にしたものがブランドといっていいのかもしれない。
それで、一度個人の中にブランドが根付いてしまったら、それを入れ替えるのは面倒である。
コストがかかる。
ちょっと話は飛躍して、仕事のことである。
HTMLの編集だったら、山田さんに頼もう。
プログラムだったら、鈴木さんに頼もう。
営業だったら、田中さんに頼もう。
と思っているところに、木村さんという営業がいるぞという情報が飛び込んできた。
ただ、田中さんと木村さんの違いが良くわからない。木村さんに頼んだらどんな結果がくるかわからない。
費用も高くつくかもしれない。。。。
時間があったり、営業のことを良く知っていたら、田中さんと木村さんの違いをよく判断できるかどうかわかるかもしれないが、実のところはよくわからない。営業のよしあしは、売り上げぐらいしかわからないなぁ。
そんなふうに門外漢については、能力とは別のわかるところで評価するしかない。
人物的にいい人とか、相性がいいかもしれないとか、、、、
「そうか仕事でやっていくということはそういうことなんだ」と今頃腑に落ちました。
「なんでも知ろうやってやろう」と思っていた自分にとっては、「知らないことは人に任せよう」と考えている人に対しては、まったく反対のことをしていたのか。
じゃあ何をすればいいのか。
お客さんのそばにいて、信用を高めること。
そして「大橋君」と気軽に声をかけてもらうような環境をつくること、それ以外にないのです。
能力などはその次何だな。
信用というのは仕事をきちんとやるとか早いとかいうよりも、近くにいることや思い出しやすいということのほうが重要だなと。
それはある意味、限界のある人間だからなんだろうと思います。