毎回、子どもを虐待して死に至った事件を聞くと悲しくなる。
子どもがいる親ならばみんなそう思うだろう。
たとえどんな親から産まれても、子どもは無垢の状態で産まれてくる。
全面的に親を信じて疑わない子どもを虐待したり、ケガをさせたり、最後は死に至ってしまう。
この子ども立ちは何のために、生まれてきたのだろう。
どんな未来があったのだろうか?
せめて一時でも楽しく笑う日々があったと信じたい。
子育ては大変だ。彼女の気持ちも多分分かるだろう。
子育てにはお金がかかる。そして手間もかかる。
絶えず子どもの様子を見て、かまってあげなくてはいけないし、食事やうんちやオシッコの世話もしなくてはいけない。
夜泣きもするし、病気もする。
そして自分も、お金を稼がなくてはいけないし、疲れるし、ときには病気にもなる。
「自分の人生は子どもに捧げる」と思い込んでいても、ときにふと「これでいいんだろうか?」と思うこともある。
子どものために自分の人生は犠牲になっていないだろうか?
たぶん、親は自分の人生を犠牲にしていると思う。時間もお金も選択も。ただ子どもをもてることのありがたさや幸せがそれを優っている。
だけど、何かあると、「子どもと一緒にいるのが辛い」と思うこともある。もちろん、パートナーと一緒にいるのが辛いと思うことはもっとある。
そういった、気持の浮き沈みを感じながら、ときには耐えて、ときには楽しみ、多くの人は過ごしている。
逮捕されたお母さんの学生時代の写真がニュースで放送されていたが、あどけないかわいい女の子で、、、、
それがショックだった。
テレ朝ニュースへのリンク http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200731029.html
娘と同じ頃の歳の写真だし、結婚当時の妻の写真ともダブル。
相談できる人や手を差し伸ばす人はいなかったのだろうか?
親や兄弟や、前のご主人や、友達や、職場の同僚や、、、、一瞬でも手を差し伸べていたらきっと救われたのではないだろうか?
たぶん世の中には、同じような状況で、たまたままだ子どもに手をかけていないという人もたくさんいるはず。
そして、たまたま子どもを虐待せずに、いままでこれたという人もいるとおもう。
せいいっぱいぎりぎりの状態でいきている人が、、、
たまたま我が家でもその事件は起きていないけれども、一歩道を外していたらどうなっていたかわからない。
なんとかならないものだろうか?