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[本]風の谷のナウシカ

【新刊】 風の谷のナウシカ (1-7巻 全巻)【エンタメ1010_2】  全7巻なので図書館で予約を入れながら1ヶ月半かけて読みました。 とはいえマンガなので1冊読むのは2時間もかかりません。 ちょうど大学生になったころ、友人宅で読むことはありましたが、通しで読んだのは初めてです。 指輪物語のような大河小説ですが、ちょっとメッセージ性が強すぎますかね。 年をとった分、世の中の汚いところも見た私にとっては、メッセージの裏まで見えてきそうです。 映画は原作の漫画をちょっといじって、後半の話がまったく違ってしまったので、それぞれ受ける印象が異なる。 映画は「ナウシカという少女がメーヴェという乗り物に乗って、みんなの怒りを抑えて世界を救う」という話でわかりやすく、色も鮮やかで、すがすがしかった。 でもマンガは、人類が重い罪を背負っあと、そのままほろんでいくのかという話。暗く重く、先行きの自由がない。 私としては自由がなく、先細りで滅んでいくというのがやるせない気がした。 「宿命に縛られず、もっといろいろやりようがあるだろうに。」と思う。 参考: 『風の谷のナウシカ』を批判する でも虫が巨大化した蟲たちは、実物で見たら気持ち悪いよね。 漫画やアニメだったら大丈夫なのかな?においもないし、もぞもぞと動くのもないし、それが不思議な気がした。 王蟲はだんごむしだし、むかでのようなのが飛んでいたりするから。

外交官の基準

週末はマジカの検討、株の勉強、ナウシカの本を読んでいて、ほとんどコンピューターのことを学んでいなかった。 そのため、ActiveXのプログラミングを進めようと思ったら、頭の中が空白で「へっ、何やるの?」と空白状態に陥った。やはり頭の中をプログラミングモードに戻しておかないといけない。不器用なのでビジネスモード、プログラミングモードなど両立するのは難しいなぁ。 さて、昨日は気合を入れて書いたのですが、長すぎてダメとダメ出しをくらってしまいました。すみません。もうちょっと練って短くすればよかった。 こういうのをコミュニケーション能力がないというのだろうか。 営業の能力基準についての話があったが、言われてみると難しい課題だ。 世の中は金額で評価するというのが常識になっている以上、質で評価する方向にはなかなかいかないのだろう。ものごとは質よりも量のほうが客観的に評価しやすいのは避けがたい。 そんなところで、外交官の評価という話を知った。 業績と学歴や知能はあまり相関関係がないのだという。 調査した結果、優秀な外交官は以下の3つの基準を持つという。 ・異文化に対する感受性が優れ、環境対応力が高い ・どんな相手にも人間性を尊重する ・自ら人的ネットワークを構築することが上手である 出典: ITエンジニアに求められるコンピタンシーとは? 外交官調査の詳しい内容については、 コンピテンシーとは何か? 入門編I この外交官の評価について詳しく書いている2つ目がおもしろい。 一人の外交官の行為は間違っているけれど、他のはどれがベストとは言っていない。それぞれの外交官の特性とそれぞれの戦略が出ているにすぎない。実際にどの手法が成功するかは複雑な要因が絡んでいるので、やってみないとわからないんだろう。 つまるところ、相手と柔軟に合わせてやっていくことが大事で、適度な距離を測りながら、しかも戦術を練るという冷静さもある。どんな相手でも尊重をするというところも大切である。 科学者になりそこなった私には、「自然の法則が最も尊く、万人はその自然法則にかしずく」という自然法則信仰みたいなものがあったので、若いころは結構とがっていて失敗したなぁ。 社会的には正しいとか正しくないとかはなく、「万人の言うことが正しい。ただ一緒に生きていくためにはその調整が必要だ。」という法則に気付かなかった。 また脱線しちゃった。 そのあとでこのことを分析したマクレガー教授は、人間と仕事との関係の重要な要素は以下の5つ(コンピテンシー特性)だと分析した。 (1)動因:行動を起こす際に常に考慮し、願望する、さまざまな要因。

逆ピラミッド

ビジネスのあり方や会社の組織は、百社があったら百通りあってもよく、それぞれが正しい。そのビジネスが正しいかどうかは市場が判断するものだと思う。決して個人であの会社のやり方は間違っているとかいえないと考えている。 ただ、会社のやり方というのはどうしても社長の一人合点になりがちである。 会社がうまくいっていれば社長のやり方は正しいということになるし、うまくいかなければやっぱり間違っていたんだという結果だけに終わる。 ではどうすればよかったのか?ということを考えれば、もっと成長が見込めたかもしれないし、失敗しなくても済んだかもしれない。 そういう意味で勉強会というのでビジネスのやり方について議論ができるというのは非常に有意義だと思う。最終的には社長はトップであり全責任を負うことになる。例え経営陣がいろいろ言っても最終決定の責任は社長が負うことになる。だから、社長は孤独もあるが、そこまでいくにはまだいろいろ猶予の余地があるのではないかとも思います。 社長の方針でうまくいっているうちはいいけれど、そのうち環境に合わなくなると、会社は市場から追い出されることになる。 そんな事例をたくさん見てきたし、自分自身もそういうところがあったかもしれない。 将来、私が事業を起こしたときにもここで議論したことは役立つと思う。 社員の立場でも経営について触れるということは大切なことだと思う。社員一人一人が経営感覚を持っていれば、それぞれが経営者として分裂してしまうというリスクもあるかもしれないが、会社の活性化という点では非常にメリットがあると思う。 また本音と本音がぶつかることで新しい展望が開けると思う。同じ会社の中ではいいづらいことでも別のものだったらいいやすい。そもそも社外取締役というのは利害関係のない者が言える場だが、なかなか思うような機能はしていなかったりする。 リスクを負わない場合は、リスクを負わない発言になりがちでもあるということに注意をしなくてもいけないけれど。 そのあたりの線引きやバランスの取りようが大切になってくるんだと思う。 本日のテーマの一つが、社員のキャリアアップということだった。 社員のキャリアアップを考えるということは、規模が小さいときでは「自分が持っているものを教えればいいや」とぐらいしか思っていなかったけれど、社員が増えていけば考えなくてはいけないことだと思う。 人生の一時期をその会社で過ごすことになるので、定年まで一緒にやっていくことはもちろん、新卒で入社、あるいは転職で入社していただいた人材にとって、一緒に働けてよかったという結果を残したい。たとえ途中で辞めていく人にとっても、一瞬でも仕事をしてよかったなという気持ちで辞めてもらいたいというのが本心だと思う。 私は経営者からの経験は少ないのだが、社員としての立場ではいくつかの会社でそんなキャリアプランの話を聞いた。ただ実際のところ大まかなプランはあるものの、具体性にかけるのが多いのが実情ではなかろうか。 すでに個人の就業期間=40年よりも、会社の寿命の方が短いという意味もあるし、世の中の実情に合わせていくには難しい。 経営の立場から見えれば、キャリアアップの話は個人の報酬と密接な関係がある。 サラリーマンにとっての報酬を判断するというのは難しいことだ。営業マンならば売上高を基準にしたもので判断しやすいが、複数の人が絡んだプロジェクトで誰がどれだけの貢献をしたかというのはわかりづらい。ましてや中間管理職や総務的な仕事はもっとわからない。 それを評価するのが、この個人の評価。 この個人の評価のベースとなるのが、キャリアプランに基づく指標だったりする。 経営者の本音は売上高や利益とリンクさせたいのが、個人から見ると「これだけがんばったのだから相応に評価して欲しい」という見方もあるので、いつもそこはぶつかってしまう。 上司だけでなく、部下や、同僚、顧客など多面的に評価する、マルチスコアカードというのもあるので、より個人を客観的に評価できるかもしれない。しかし優劣の差であるので個人を完璧に評価するのは難しいだろうと思う。それにマルチスコアカードはコストもかかる。 小組織で、売上げ・利益、将来への投資などいろいろな基準を設け、評価が始まる年度の前に評価の基準を徹底して、年度が終わったときに上司と個人の間で評価を決めるのが良いと思う。また基準も年々変えていくべきだと思う。また、評価を市場価格を考慮するというのも大切なことだと思う。 抽象的にはこんな感じだが、具体的にはさらに各論があると思うので、ここでは話をとどめる。

自転車のチューブ交換

・2週間前 2週間前に妻が「自転車のくうきがないのぉ。」と言うので、パンクかなと思ってパンクセットを取り出して見てみた。自転車のタイヤからチューブを出して、空気を入れて、バケツに水をはわせて空気が漏れるかどうかチェックするのである。 結局空気を入れるところの虫ゴムが傷んでいた。 そのときはそのまま虫ゴム交換で済んだけれど、2週間後の今日になって「またくうきがないのぉ。タイヤからはみ出たTubeからエアーが出てくるのぉ」 しまった。タイヤにチューブを納めるときに少しチューブがはみ出でいたなぁ。 後でちゃんとしまえばよかったかなぁ。 ・とりあえず修理 それで見てみると、はみ出たチューブには2cmぐらいの傷がぱっくりと空いていた。 それで、再びチューブを取り出して、パンク修理セットの一番大きなゴムをあてがうことにした。チューブをやすりで少し削ってくっつきやすくして、ゴムのりをつけてゴムを張る。 でもなんで、このゴムのりというやつは良くくっつくのだろう。 トルエンが溶剤でゴムを溶かすからであろうか。 ものの見事にくっつたけれども、空気を入れるすぐ横のところから空気が漏れる。こりゃいかん。金属とゴムのつなぎの部分だからくっつかないわ。 ・チューブ交換 車でホームセンターへ行ってチューブを買ってきた。26X13/8というサイズ。 横幅はどれも同じようなので、タイヤのサイズ26インチさえ間違っていなければいいみたいだ。 ただ普通のものは700円弱、1.5倍強度が1000円弱、3倍強度が1700円弱。 ちょっと迷う。妻と携帯で相談して、1.5倍弱にした。 家に帰って、最初に自転車を買った時のチューブをみると普通のものと同じで弱そうだ。この自転車はモーター付きの30キロ弱のものなのに、普通のでも強度は大丈夫なんだ。1.5倍の方がちょっと分厚くて強そう。1.5倍の方が長持ちしそうだ。 これからが大変だった。 前のチューブの交換は簡単だが、後ろのチューブの交換が大変だ。 当初予想していたよりも、トポロジー的に難解だということが判明した。 後ろのタイヤはチェーンにつながっている。そしてディスクブレーキのワイヤーとつながっている。 チューブを外すには、チューブをちょきんと切ればいいが、チューブをはめるときにはどうするのか? ディスクブレーキのワイヤーをいったん外すか、チェーンを外すしかない。ワイヤーは細いが、チェーンは太い。 ワイヤーを良く見ると、先端が抜けないようにペンチのようなものでつぶしてあって抜けない。うぅ。

名古屋での2つのIT事業戦略

このところ、プログラムはC++でもJavaでもなんでもやろうかなという気になっているのは、経済状況がここまで下落するともう選択の余地がないと思うからである。 あとは、名古屋という土地では先進的なことが要求されていないし、歳も歳なので環境的にちと分が悪いかなという予感もある。 まあしょうがないね。 一人だったら、シリコンバレー行って、、、、、、(玉砕しているかもしれないけれど)、でもおもしろいよね。 いろいろな発想があって、頭のいい人たちに囲まれて(やっぱり劣等感を味わって)、刺激的じゃん。 ここで素人ながら2つの戦略がある。 ** 1. ローカル化していく戦略。** 名古屋という土地に合わせてやっていく。 そこで見つけたのが、スターロジック社の”マジカ“と”Do It yourself”戦略。 一番重要でお金になりにくいのが、システム開発の上での要件定義の部分。 お客さんから「システム化したいんだけれど」と電話がかかってきて、相談に乗りながらいろいろ提案をする。 そのあとで「わかった。ではいろいろ考えてみるわ。」という返事。 数日後「先日はありがとうね。まだ時期的に早いから、また今度にするわ。またそのとき相談に乗ってね。」というお断り。 をいをい、これから開発でそのもとを取ろうと思っていたのに、、、、、 このときばかりは、弁護士でいう「着手金」というのがほしかったり、コンサルティング料というのを請求したくなるけれど、後の祭りで無理だったりする。 それならば、お客さん自身に要件定義やってもらおう。 「でも要件定義って何をやるの?」 それをわかりやすくしてくれたのが、マジカかな。 このアイディアのライセンス料はとらないようだし、システム的にも料金的にもわかりやすい。内容はまだじっくり吟味していないけれど、わかりやすくお客さんには受け入れやすい気がする。 人月神話から一歩出ていて、内容について金額が決まるのがいい。 ローカルにやるには、これはいい感じ。マジカの後は、着手金をいただこうかな。

良かった、良かった

とりあえず、 「良かった、良かった」 今日も激しく株が下がって損をしたんですが、「良かった、良かった」と口に出して言いました。 なんかショッキングなことがあったら、転換期だと思ってポジティブに考えましょう。どうせなんとかなるのですから。 そういえば、ガリバーの社長が同じことを言っていました。 http://plaza.rakuten.co.jp/solis/diary/20080715/ 株価の下落で、これまでの延長線上のやりかたではだめで、大きく変えないといけませんね。 これまでRubyばかりやっていてのほほんとしてきましたが、C/C++もJavaもやりますよん。場合によってはアセンブリでもCOBOLでも。 C++を始めた先週頃は頭がはちきれそうな思いでした。高校の時に1日で英単語を100覚えるような感じです。C++の文法や変数の名前がちんぷんかんぷんで、わからない経典を読むような思いでしたが、少しずつわかってくると落ち着いてきました。C++は直接OSやハードを叩けるのでおもしろいところがあります。 公開しているソースも、RubyではなくてC++やC#、Javaというのも増えるかもしれませんね。 話は戻って、「良かった、良かった」ですが、「夢みる象」でも同じことを言っていました。いやこれは「自己啓発」をパロディにするなんて、おもしろい発想の小説でありドラマですね。 とりあえず、「良かった、良かった」と口にします。 するとそれが全身に伝わり、頭の中で覆っていたもやが薄くなっていきます。 何度も言うと、辛いことはとりあえず頭の中から消えそうです。 過去に失敗したかなということや道を踏み外したことも、 「良かった、良かった。」といって総括することもできますよん。 「良かった、良かった、報酬の高く将来性のあるアクセンチュアを辞めて」 ??学業の道へ行くことができましたから 「良かった、良かった、学業を途中でやめてフィリピン人と結婚して」 ??美しい女性と結婚して、かわいい2人の子どもを授かったんですから 「良かった、良かった、安定した仕事を辞めて」 ??ベンチャー企業にチャレンジすることできたんですから 「良かった、良かった、ベンチャー企業がリストラして」 ??会社が大変な状況になるということを体験でき、それに対処する経験も積んだから 「良かった、良かった、息子が発達障碍になって」

プログラミングと高速道路仮説

ここ数日プログラミングをやっています。 少し前はC#で、今はC++で。 高級言語のRuby on Rails, Rubyをやっていたのだが、だんだんと低級言語に近づいていく。 この次は、アセンブリ言語かマシン語の予感。 高級言語や低級言語という言い方は、あくまでもコンピューターのハードに近いのが低級で人間の言語に近いのが高級という意味です。 とはいえ、プログラマーが1日に書くことのできるプログラム行数は言語に関わらず同じぐらいという仮説があります。Rubyで10行のプログラムで表現できることは、C#(Java)にすると30行ぐらい。C++にすると100行ぐらいかもしれないので、C++に比べるとRubyの方が生産性が10倍くらいいいかもしれません。 ここ数カ月くらい、Rubyを離れC#やC++を始めたのですが、以前と比べてプログラミングが楽になった気がします。 とはいえ、C#で数百行書いた程度で、C++に至ってはATL/WTLというライブラリを理解しながらサンプルプログラムを少しいじっているにすぎませんので、どこにどんな落とし穴があるかわかりません。 C#は御存じのとおり、マイクロソフトが用意してくれた.NET FrameworkというライブラリがありWindowsのアプリケーションを作るのは結構簡単だと感じました。 C++も昔はMFC、今はATL/WTLを使うのが主流だそうですが、こちらもライブラリが充実しています。Windowsでアプリケーションを作る作法さえ学べば、アプリケーションはC#よりも時間はかかりますが、いけそうに思います。 大昔の23年前にMacのアプリケーションをLightSpeed Pascalというので作ってみようと思い、MacintoshのQuickDrawなどを自習した時に比べると本が充実しているし、インターネットにはサンプルやチュートリアルがたくさんあるので楽そうです。 さてプログラミングをする上で何が重要か考えました。 RubyでもC#でもC++でもその選択の違いはあまりないように思いました。 どれもライブラリが充実しているからです。 ただライブラリに不足していることをしようと思うと大変です。 私が得意とするスクレイピングをやろうとすると、実はどの言語を選んでも自分でライブラリを作らなくてはいけないのです。 しかし、Rubyならば既存のライブラリを拡張するだけですみます。 C#の場合もWebアクセスするライブラリがありますが、複雑なことをしようと思うと不足していてかなりの部分を機能追加しなくてはいけません。 (Javaの場合は、Apacheプロジェクトにいいものがありますからもう少し楽なようです) C++の場合はたぶん諦めます。まず自分でライブラリのすべてを自作しないといけません。たぶん1年ぐらいかかってしまうかもしれません。ライブラリを作るのが目的ではないので、他の言語に移った方がいいでしょう。C++のプログラムにRubyやPerl, Pythonなどを乗せてしまうことを考えるかもしれません。

好きな仕事と好きではないけれど人が喜ぶ仕事

起業するにあたって、どんなことを事業にするかを客観的に考えた。 ・自分がよく知っている事業ドメイン ・好きな仕事 ・利益の出やすい仕事 ・社会的に意義のある仕事 こんなところが基準になるだろうか。 サラリーマンでは仕事は必ずしも好きなことをしているわけではなく、やりたくないこともしなくてはならない。 では独立したら好きな仕事ばかりできるかというと、そういうわけにもいかない。 でもどちらかといえば好きな方がいいだろうと思った。 じゃあ、どんな仕事が好きなのか? 自分のことを振り返っても曖昧だ。 好きだと思っていることでも、嫌なこともくっついてくるから避けて通ることはできない。 先日の、藤田田さんの本「ユダヤの商法」に書かれているとおり、好きなことを仕事にすると失敗するとある。 宝石が好きで好きでたまらなくて自分の身に付けていると、人に宝石を売るよりも自分のものにしておきたいだろう。売り物を売らなくては商売にならない。 好きでないからこそ、冷静に客観的にモノの価値を見ることができるということだそうだ。 とはいっても、嫌いなことはやっていても楽しくない。楽しくなければ仕事に向かう姿勢も不十分で仕事に身が入らない。そんなことで仕事はうまくいくだろうか? では好きでも嫌いなものはどうであろうか?これも興味がなければやはり身が入らないのではないだろうか? そんなことを同僚と酒の席で話していたら、「好きなことではないけれど、お客さんが喜んでくれることが好きなことをすればいいのでは」と上司が言った。 !!!! そうか!それだ!自分は好きではないけれど、お客さんが好んでくれる商品やサービスをやればいいんだ。 翻ってみて自分のことを考える。 コンピューター関連の仕事をずっとやっているけれど、相性がいいけれど本当に好きかといわれるとそうでない。分野や仕事の内容を小さく分ければ、好きなところもあれば嫌なところもある。 でも、結局嫌いなところもやらないと仕事としては完結しないんだよね。 そういうときに、お客さんが喜ぶことを楽しく感じればいいんだね。 それならいけそう。

【本】お金を銀行に預けるな

お金は銀行に預けるな値段: 735円 著者: 勝間 和代 発行: 光文社新書 金融に関しての入門書としてはいいかなと思います。 ただ橘玲氏の小説や金融書を読むと物足りない気がします。 相場のプロの方が個人投資家よりも優れているから、素人は手を出さない方がいいというのは一面では正しいと思いますが、必ずしも正しいと思えません。 ファンドの締め日は10月が多いので、今月の株価の下落の原因の一つにあると思います。円高の日本で株を売って現金にして、それでドルやユーロを買うという動きもあったと思います。 またファンドの基準日でファンドマネージャーのボーナスは決まるので、無理に釣り上げるということもあります(そのあとは下がりますが、とりあえずボーナスに影響はない)。 一定の損失があったら強制的に売ってしまうというルールもあります。 金額の大きいファンドは、少し売買するだけで株価に大きな影響を与えてしまうので、売買するタイミングを考慮しなくてはならない。 本の最後に載っていた、社会的に存在意義のある会社に投資をするということは、これからの時代の流れで大切なことだと思います。 株主になるということは、単なるキャピタルゲイン狙いという面もあるかもせん。ただどうせなら会社の経営理念に賛同して株を買った方がいいではないでしょうか。例え株価が下がったとしても、まあいいかという気になりますから。 アメリカのユダヤ人は反ユダヤ的な会社には投資をしないようです。

名古屋祭りは、施設をはしごで

テレビ番組を見ると「金融危機」とか「恐慌」の話が出るけれど、人々の顔をテレビで通して見たり、街角で見たりしていてもさほど深刻な感じはないようだ。 杞憂なのか、それとも実体経済に影響が出始めるのは半年ぐらい経ってからだろうか。 今日は名古屋祭りで、いろいろなところが無料なので名古屋市の「ドニチエコ切符」を買って出かけました。名古屋市の地下鉄とバスは大人600円で乗り放題です。 それで以下の4つを家族ではしごして行ってきました。 ・東山動植物園 ・徳川園 ・名古屋市美術館 ・名古屋市科学館 どれも通常300?500円くらいですが、今日は無料です。 1日中歩き通しで疲れましたが、久しぶりに娘とも一緒にすごせてうれしかったです。 週末はG20で世界経済の緊急会合が行われました。 具体論は出なかったので火曜日はどうなるか心配ですが、信用問題という点では収縮に向かうと希望しています。 特に日本の株価は欧米と比べて高い水準とはいえなかったのですから。