コンピューターの仕事をずっと続けているけれど、実はあまりプログラミングを実業としてきたことはほとんどなかった。
問題を解いたりすることが性にあっている(数学科へ進学するほど)ので、プログラミングは向いている。ただ飽き性なので、やったことはないけれど大規模な開発で仕様書を渡されてプログラムを作れと言われたら、発狂してしまうかもしれない。
同じプログラミングはしたくない。
でも結局物忘れをして、いつの間にか同じようなプログラムを書いていることもある。????結局そうやって自分をだまして仕事を続けているのだろうか。
このブログは関係者が読んでいることもあるので、本音を書くと差しさわりがあるかもしれない。だけどプロとして仕事をしている以上、気は進まないけれど約束した仕事はきちんとやる。
でも最近、、、、、プログラマーの仕事はもういいかな、という気になってきた。
数年前の仕事でマネージャーから自分でプログラムを作ることになって、意外に面白いことがわかった。
それ以来、未踏までのプログラミングは、自分がやりたいことを決めてやってきた。プログラミングについてはC, C++の文法や考え方は知っていても、実は素人です。仕事にプログラミングは重ならなかったので、、趣味を超えることはなかった。
ここ数年、お客さんのためにソフトをつくってきました。
当り前のことかもしれないが、実際にはさほど楽しいわけではない。
仕事になってしまうとやっぱり面白いものではないかもしれない。
(どんなことでも仕事になると面白くないのと一緒かな。)
それをなんとかするために、仕事の中で少しでも楽しいなと感じることを見つけて、それを動機付けにしている。
動機づけがうまくいかないと、義務感でやり遂げようとする。
20代のときは責任感とかあまり感じずに気が乗るか乗らないかという区別で仕事をやってきた。ただ40代になると、相手の期待する顔や事情などが見えてしまうので、自分の感情を抑えて、相手のためになることをしようと思う。
原点に戻って、なぜプログラミングをするかと言われれば、エンパワーのため。
経理をする人がExcelを使って、数字を自由自在に操るように、自分のやりたいことを自動化したり手間を減らすためだったりするのが目的。
インターネット前は図書館や人と会って情報を集めていたものが、インターネットでかなり集めることができるようになった。Googleの検索エンジンがさらに拍車をかけた。
遠くへ行くのに自転車を使う、あるいは車を使う。
そんなのとあまり変わりはないかも。
そうはいっても、自転車や車そのものに興味を持つ人がいるように、
コンピューターそのものも、人間の脳と同じく興味ある。
いかん、どうも連日プログラミングをしてきて疲れたようだ。
週末は本でも読もうっと。
ビジネスを考える前に、そもそもお金って何だろうか?
原理原則に戻るようだが、いままで気づかない側面があるかもしれない。
新明解国語辞典では、単に「貨幣・金銭」と書かれているだけ。
経済学的には、以下の3つの特徴がある。
「交換機能」 - ものと交換ができる
「価値尺度機能」 – 値段によって価値の良し悪しを図ることができる
「価値貯蔵機能」 – 腐らないのでためておくことができる
過去には、金・銀などの錆びない(にくい)金属で装飾的にも美しいものだったりすることが長く続いていた。ヤップ島では大きな石だったり、古代中国では貝だったり、それは歴史を調べれば面白い逸話が出てくるだろう。今は紙幣とコイン。
そして、銀行の口座にある数字、電子マネーだったりする。
しかし、よくよく考えてみると、お金そのものに価値はない。
倒産した銀行の口座の数字をみて、うれしいか?
海外旅行に行って、再両替できずにあまった外国の紙幣に価値はあるか?
イタリアリラやドイツマルク持っているけれどすでにユーロに切り替わっているし、日本では交換しづらいしそのままは使えない。
無人島でお金の入ったトランクを持っていて、価値があるだろうか?
タイタニックの映画の中で、沈んでいく船から救命ボートに乗る時お金が山のようにあって「お金はいくらでも払うからボートに乗せてくれ」と言って、「お金なんかもらってもしかたない」と言われた。
お金は、社会的な権利、そのものかもしれない。
人と人との間で権利を行使する・しないかの関係がある。
100円のバナナを買いたいと思う。
100円を財布から出して、「バナナをください」と店の人に言う。
オープンソースに拘らずビジネスをやっていくのに大事なのは、ビジネスモデルだよね。簡単にいえばどうやってらお金を稼ぐ構造になるか?ということ。
サラリーマンやバイトならば、労働にかかる時間が対価になる。
商売ならば、モノを欲しい人に売ることで利益を得る。
商売を商人と作り手に分ければ、モノを作り手から手に入れて使う人に売る流通を行うのと、モノを作り出す人。
インターネットが普及して商売の中抜きは減ったんだけれど、依然として楽天やAmazonのような商人が存在しつづけている。商品は、作り手が零細で売っていることもあれば、普通の商店だったりする。
なぜだろう?
これだけ情報が飛び交っているのに、なぜ人は直接作り手から変えないのか?
買い手は直接作り手や商品に届かない。
仲介する商人が商品の宣伝をしたり、需給の調整役をする。
ときには、他の商品と組み合わせ付加価値を生む。
現状分析だけして何か見出そうとしても無理なので、極端に別の視点から考えることにする。まじめなビジネスではなくて、ふふふんなところを見てみよう。
まずは広告。
・お金はお客さんから貰わない。
・お客さんは自分の気付かないうちに、どこかでお金を支払っている。
これはラジオ・テレビやフリーペーパーなどの、お客さんはお金を払っていないのだけど、後でとられるという広告ビジネス。
やくざなビジネスだけど、効果的。
・最初は無料
・しかしそのサービスを受けたらやめられなくなる
最初は麻薬やシャブを無料で与えておいて、はまってきたらお金を取り出すというビジネス。
ギャンブルでまぐれあたりをだして、それでやめられなくなる。
会社に入って楽をしてしまうと、もうやめられなくなる。
結婚して倫理観や安心感が植え付けられてしまうと、もうやめられなくなる。
そしてだんだんとむしばんでいるのが、
・当たり前のように存在するが、本当は不必要
・生き血を吸い続けるヒル
一生懸命にない知恵を働かせて昨日の記事を書いたんだけれど、8年前にこんな記事がありました。何も変わっていないんだね。
http://www.atmarkit.co.jp/flinux/special/opensource/opensource01.html
そういえば、「WEB2.0」という名前の会社が登場した時は、そのネーミングセンスで驚かされた。でも、やっぱりつぶれた(流行りの言葉を使うとつぶれるというジンクスがある)。
今をときめく勝間和代さんは一般的なWeb2.0起業がうまくいかない理由を次のように述べている。
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMIT2n000001092008
(1)他のメディアに比べたときのコンテンツの質の低さ
(2)ビジネスモデルの成熟度の低さ
(3)参入障壁の低さ
まさに、いまのWeb2.0に見られる企業はそのとおりであると思う。
どこも同じようなサービスしか提供していない。
ただ逆をいえば、全部でなくてもし1つでもひっくり返すことができればビジネスチャンスがあるのではなかろうか。
ひっくり返すとこのようになる。
(1′) コンテンツの内容を良くする
(2′) 収益性のあるビジネスモデルを確立する
(3′) 参入障壁の高いところでビジネスを行う
3’については、Googleやマイクロソフトなどの技術力は抜きんでていると思う。
日本にも技術的に進んだ会社はあるが、ほとんどはどんぐりの背比べなのかもしれない。
1’については、資金力か自分でコンテンツを用意すること。ただ投資した資金に見合った利益が得られるかどうかはわからない。Gyaoがたくさん番組を外から買ったけれど、それに見合う見返りがあったかどうかわからない。
テレビ局や番組製作会社が実現しやすい位置にいるけれど、CMベースでやっているため、採算がごれるかどうかの確実な答えはない。
2’は、もっとも難しいところ。
今のところ広告以外にはお金を得る方法がないのではないか?広告以外のものでお客さんからきちんとお金をいただく機会と方法があればいいんだけれど、結構難しい。
お金の代わりに「あなたの人生の残り時間の半分をください。」なんていうのが流通できるといいなぁ。冗談。
この2週間「お金を稼がなきゃ」と思っていろいろと考えていました。
貯えがだんだん減っていくので、何とか収支をプラスに転じないとそのうち兵糧がつきてします。
いろいろ考えてみたものの良策は出てきません。
結局のところビジネスは以下のような基本が大事かな。
1. 地道の仕事をこなして信用を重ねる
2. お金の流れを見極める
でも自分の仕事に近い部分はオープンソースにかかわる部分ですが、それについて考えたことを覚書として書きとどめておきます。
まず、オープンソースを使ったビジネスのドメインについて考える必要があるのですが、そもそもオープンソースの特徴について考えてみます。
ここではオープンソースという言葉を広い意味で使っています。
マイクロソフトやオラクル、IBMなどのコンピューターソフト会社がこれまでに製品にしてきたソフトとは、たぶん正反対の考え方です。
これまでは特許をベースに会社は製品を作ってきました。
特許は言うまでもなく人の発想に対しての利益を確保するものです。思いついたことを横取りしてしまうことを防ぐものです。
オープンソースの世界は、一人の個人の発想で構築されたものではありません。LinuxやApacheだってたくさんの人の小さな努力の結晶が積み重なったものです。私が使っているコンピューター言語のRubyだって、Ruby言語そのものはまつもとさんが作ったものの、言語を使いやすくするライブラリと呼ばれているものはいろいろな人の努力によって作られています。そのライブラリの充実している点もRubyを使っている理由の一つです。
VisualBasicやVisual C++と呼ばれる(今はVisual Studioという製品群です)開発ツールはマイクロソフトという法人が作ったものです。マイクロソフトの社員が知恵を寄せ合ってつくったことに関して言えばたくさんの人が関与しています。そして、Visual Studioでつくったソフトは自由に売ってもいいし、そのライブラリの使用権もあります。
問題となるのは、そのプログラムの一部を改良して知恵を盗むことになります。ソースコードを一部変えて自分のものとして売るということが、オリジナルをつくったマイクロソフトの権利を冒涜することになります。考え方、プログラムの書き方やアルゴリズムを得ることはさして問題になりません。
例にすると、学校で学んでいることはまねをすることから学ぶというようになったように、ほとんどは覚えてまねをすることです。学んだことをテストの答案に書くことは問題ありませんが、テストの答案を写したりすることは問題となると言った感じでしょうか。まる写しはだめですが、一度頭の中で溶かして自分の考えを加えたものはセーフという感じだと思います。
製造業については特許は重要です。それが製品の差別化を生み出すもので会社を保護するものです。
しかし、ソフトウェアを特許とすることが以下の点で非常に難しいです。
・オリジナルな考え方と既存のものの差を定義するのが難しい
・ソフトウェアは頻繁に更新される
本当は先週もいったんですが、日曜日は10時と12:30の2回しか公演していないのですが、先週は1時に着いてもう間に合いませんでした。
それで、もう1回リベンジです。
知多市に住んでいたときは名古屋駅へ名鉄に乗っていくか、東浦にあるイーオンへ行っていました。名古屋に引っ越してからはかえって遠くになってしまいました。
どこかなと調べてみると、比較的行きやすいのが港区のベイシティです。
車でいく途中、瑞穂運動場東の交差点にあるこの建物は、1年ぐらいコンクリートのままですが、どうしちゃったんでしょうか?(写真)
場所はここ
http://maps.google.co.jp/maps?lr=lang_ja&ie=UTF8&oe=utf-8&client=firefox-a&ll=35.124518,136.935587&spn=0.000994,0.002626&t=h&z=19
娘のスポーツバッグを買ったり、本を立ち読みしたりして過ごしました。
夕食は、安いバイキングがあったのでこちらで食べました。
1人1050円とは安いです。
期待していなかったのですが、おいしかったです。
土日祝日も、11:00?23:00まで夕食時でもこの値段でやっているのでお勧めです。食事時は少し並ぶかもしれませんが。
西龍門についてはこちらでも紹介されています。
http://my.reset.jp/~yuhto-ishikawa/viking/list.seiryuumon.html
イーオンの名古屋みなと店というのが古い名前で、新しい名前はベイシティのようです。建物が少し古いですが駐車場も4時間無料で映画館に入ると3時間無料になります。今日は入口で駐車券を取りましたが、出口では駐車券を回収せず無制限になっていました。
場所柄なのか、人々の柄がちょっと悪いですね。
アメリカだとショッピングモールの駐車場で強盗に遭うという感じの雰囲気です。
でも、スーパーの定員さんの対応やゲームセンターで働く女性の対応が丁寧なのはびっくりしました。客の質に比べると定員さんの質が良かった!(私への対応じゃないよ。他のお客さんへの対応を観察していたの)
ジャスコは何かあったのかしらん。それとも気づかなかっただけのなのかな。
帰宅すると、息子が走ってきて
「パパ、9月13日に地震が起きるんだって。それも愛知県で」
と焚きつけるようにいう。
「それは困ったなぁ」
と、あまり信じない私。
娘も同じことをいう。
どうも、学校で話題になっているか、テレビを見たせいかな。
部屋に入ると、ディパックと鞄が並んでいた。
どうも妻までも信じているようだ。困った。
出どころをGoogleで調べると、あったあった。ジョセリーノ氏という人の予言だ。
世間騒がせだなぁ。
まあ、地震はいつか起こるだろう。
明日かもしれない。1年後かもしれない。そして1分後かもしれない。
まあそのときはそのとき。
死ぬときは私が家族の身代わりになるから...(たぶん)
仕事で、RubyのREXMLというXMLを扱うライブラリを使ってみたので、
RSSで広告をカットするCGIを作ってみました。
RSSのタイトルで”AD:”や”PR:”となっているRSSのアイテムを消します。
ただうまく動かないことがあるので、、、なんでだろう。
数時間で作ってみましたので、うまくうごかない場合はすみません。
使用方法は、RubyとCGIを使ってことのある方前提です。
習作なのでうまく動かなかったらすみません。
サンプルプログラムは、
rss/?uri=(RSSのURI) で動きます。
例:
rss/?uri=http://slashdot.jp/slashdotjp.rss
(本当はGoogle Reader上のGrease Monkeyで作りたかった)
———————————————————
#!/usr/local/bin/ruby
require ‘cgi’
require ‘open-uri’
require ‘rexml/document’
# これはXMLで脆弱性が見つかったためのパッチです。
マイクロソフトでは出会えなかった天職この本を読んで凹んだ。
著者であり、”Road to Read”のCEOのジョン・ウッドとは私は同い年である。同じように本が好きで、旅行が好きで、本の重要性を感じている。
図書館というものは、著書のとおりアンドリューカネーギーが全米に2000もの公立図書館を作ったことからはじまる。それがアメリカを底から支えているにちがいないと思う。日本も世界では図書館は充実している方だし、どんな田舎にいってもそれなりに本がある。
しかし世界ではそれは稀な方で、文盲も多い。
妻と結婚する直前の話であるが、自力で国際結婚にこぎつけた。
インターネットがはやる前の時だったので、パソコン通信などの情報はかろうじてあったが、外務省や法務省の入国管理局へ足を運んだ。フィリピンでも、地元の市役所へ行ったりした。そしてフィリピンの法律を調べてみようと思って、ボホール州の図書館へ妻と行った。そこで、フィリピンの家族法という法律書が英語で書かれていて読んだ。
国際結婚に関する部分は小さな文字で1,2ページぐらいだった。
直接関係はないのだが、船の上で結婚することも認められていると書いてあった。そのときは船長がすべてを取り仕切り、後で役所に届け出ると書いてある。通常は、カトリック・プロテスタント・イスラム教のそれぞれの神父らの責任に基づいて行うか、裁判長が結婚を許可する。
話がそれたが、そのボホール州の図書館というのが貧弱だった。
たぶん日本の小学校の図書館よりも狭く、古い本とジャンルが偏っているものしかない。新聞が少し置いてある程度。新聞か雑誌を読んでいる人が、1人か2人しかいない。
ボホール州の本屋も情けない。
フィリピンは本屋はナショナルブックストアというチェーン店があり、ショッピングモールにたいていある。アメリカからの輸入している、ペーパーバックスが1列分と雑誌が少しある。他に英語の本がばらばとあり、タガログ語のハーレクインロマンス本があるぐらい。量と種類は駅前の小さな本屋と同じ程度。
これが人口100万人を超える州の中心都市に1件か2件ある程度。
フィリピンはネパールやカンボジアよりも進んだ国だし文盲はほとんどいない。
けれど、発展の途中でも乗り越えなければいけない壁がたくさんあると感じた。
私もジョン・ウッドのように、いえ私だけでなくバックパッカーの多くが、発展途上国を旅して「ぜひ助けてください」とかいろいろ希望の声をかけられたと思う。優秀な若者が英語で話しかけてきて「もっと日本や世界のことを教えてくれ」と言われてきたと思う。
最初は気安く答えていたが、そのうち簡単には引き受けることができないとわかり、そんな自分が嫌になったこともあると思う。とりあえず、なけなしの財産をはたいて最初の一回は助けることができても、そのあとにもっと期待されて果たせなかったと思う。
私はフィリピンの女性と結婚して、援助するべき立場からいつの間にか取り込まれてしまった。私が稼いだ分だけ、妻の家族は期待する。お金を渡さないよと言っていても、「ほら病気になった」「ほら子どもが学校にいく試験費用がない」「ほら仕事のための投資としてお金を貸してほしい」とか期待されて、何万円づつが消えていく。それが返ってきたためしがない。
まずは家族からというのも際限がなく、まったく客観的に支援するという余裕すらない。たとえ、ボホールの図書館を作りたいなと思っても、その前に第一に妻の家族、第二に妻の親戚、第三に妻の家族の地域、、、、、と助ける順位は決まっているだろう。図書館を作るのは、優先順位では何番目だろうか。
図書館をつくりたいというのは、ジョンウッドがネパールへ行く前から公言していました。彼がそれを実際に口ではなく行動で示していることは大きな敬意を持っています。いえ、それどころでない私自身が情けなくなります。
彼が本でやっていることはカーネギーが言った通りで、それで一番いいと思います。
・お金だけの援助はダメなこと
・半分は援助するけれど、半分は自分たちでやってね
首相には無責任だと怒りを感じ、彼だけでなくそんな風潮がはびこる日本の閉塞感を嘆いた。
ただ日本では優秀な人がたくさんいて、真面目な人もたくさんいて、一生懸命に働いて支えている。それも日本という国、日本人というやさしく素晴らしい人たちは誇りに思っている。
問題はやり方なんではないだろうか?
私の人生と同じく日本は空回りしているところから、歯車がカチっとあい、ゆっくりと噛みしめながら回っていく。そんな一歩一歩着実に世の中がうまくまわっていく仕組みが必要なんだろうと思う。
人や組織の批判ばかりしていてはいけない。
必ず代替案を提示しなければいけない。ということを最初の職場で学んだ。
代替案を出すのは難しい。良くわからなければ嘲笑されることもある。でも素人ながらに言ってみるのも大事だ。1億2千万人の国民が、一人一案を出せばそのうちいいものがあるかもしれないと思う。
私は、やはりこの閉塞感から抜け出すには、リスクを恐れず一歩前進することだと思う。変化を起こす。ただ変化を嫌う人もいる。変化で打ちのめされる人もいる。それが変化だ。
変化を起こせば、プラスに働く部分もあるし、マイナスに働くものもあるのは当然だ。マイナスになると思う人がいれば反対勢力が生まれる。それはいたしかたない。マイナスになる人にとっては、別の手段・方法を導いて解決するしかない。
道路をつくったとき立ち退きを迫られる人は必ず出る。他に引っ越す場所を適切に用意するように。
日本の閉塞感は、「お上」を見ることとリスクを負わないことではないだろうか。会社に就職して生活していくという当たり前の生活、周りと同じことをするという意識が、リスクを取らずにいきることを助長している。
リスクを取らない生き方は、すべての人が公務員になって、上からの指示通り働くことである。前例にあることだけをしている限り、何も変化は起きない。そしてそんな社会にしてしまったら、誰もリスクを冒そうとしない。私のような生き方はリスクの塊で、リスクを冒す方が損をする。そしてやがてだれもリスクを冒そうとしなくなる。
それ自身が、国全体がリスクを冒さなくなることが自体がリスクである。
日本の国を取り巻く、国際的なこと、自然の猛威、そのどれもが変化に富んでおりリスクを冒さなければ対処できない。
「あたらしいことをやってみなはれ」
「たぶん、失敗する。でも、もう1回やってみなはれ。」
「また失敗するかもしれな。じゃあ、さらにもう1回」
新しいことはまず失敗する。99%は失敗に終わるかもしれない。
でも、その次の1%が成功するかもしれない。そうしたら、あたらしい価値がうまれる。その価値が新しい産業になる。あたらしい世の中になる。
その価値はダメかもしれん。でもその時代にあったものであれば生き残る。
その価値がいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、それはその時代が判断すればいい。
具体的には、中国で成功した経済特区が一番いいのじゃないかと思います。
いろいろ問題がある経済特区だけれど、あのとき中国全体を変えようと思っても問題は山積み、反対意見もたくさんあった。実際に中国全土でやったら「ほら広東省では成功したかもしれんけれど、貴州省では失敗してめちゃくちゃになった」と言われて逆効果だったかもしれません。
成功するかしないかわからんけれどとにかくやってみる。
たとえば、沖縄は香港やケイマン諸島のように、タックスヘイブンにして、法人税・所得税を安く、物品に税金をかけない。そして東アジアのハブにする。