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車のクラクション

今朝、車で妻を教会へ送って、子どもと一緒に図書館へ行った。右折のときに交差点で少し待っていたら、後ろで車のクラクションが鳴った。どうやら俺のことかな? 子どもを乗せているときは一人のときより、運転に慎重になります。 慎重になって少し遅いと、すぐにクラクションを鳴らす人がいます。 通りで車を止めていたりして通れないと、クラクションを何度も鳴らす人がいます。 自分の駐車場に止めていると、車が出てくるまでクラクションを数分にわたって、鳴らす人がいます。  それって、本当に必要なクラクションでしょうか? クラクションを鳴らして、傷害致死になった事件もありました。「ブッ、ブッー」と大きな音をすぐ鳴らす人がいます。仕事場では春ごろは窓を開けていましたが、2週間に1回ぐらい駐車場のところで数分にわたって大きなクラクションを鳴らしている人がいます。もうちょっと我慢できないかな。 呼びかけるぐらいだったら、1回か2回鳴らせばいいぐらいです。 他の人に迷惑をかけるということがわからないかな。まあ路上に止めた人もそうだけど。  一つ提案、 クラクションはコミュニケーションで車と車の話をするために必要かもしれない。 それなら、音声プロセッサで 「ちょっとすみません~、お願いします。」そして最後に「ありがとうございます。」 というような声にしてもらえないかな。 「ブゥー」じゃなくて、「ねぇ~」と色気のあるクラクションだったら、呼ばれても悪い感じがしない。 「ブゥー」とクラクションは、たいていの場合は悪意しか通わってこない。  私だったら京都弁の 「ごめんやす?。ちょっといけずどすえ。」と注意してもらえるのもいいかなと思う。  

名古屋大学の大学祭へ行ってきた

久しぶりの母校 名古屋大学へ行ってきた。 今日は娘が友達と名古屋大学祭へ行くというので、娘と別行動で妻と息子を連れてやってきた。一度知人に連れられて2年ぐらい前にピンポイントで来たことはあったけれど、大学院の卒業以来12年ぶりくらいになる。 なかなかきっかけがなく疎遠な状態で、お世話になった先生の定年退官の最終講義も終わってから連絡があった(ネットでは連絡先は伝えてあるのだが)。住所が遠くて、名古屋は名古屋駅界隈か、それともそのまま東京へ行ってしまうことが多かった。大学といえば青山学院大学の学食でたまに食事をしていたり、ほとんど名ばかりの国連大学の近くへ行っている程度だった。大学の研究は基礎研究に近く、やはりビジネスとは少し距離がある。 しかし、名古屋大学に地下鉄の駅で3駅と近いところに引っ越してきた。 というよりも中京大学や南山大学、名城大学、名古屋市立大学に近いところに引っ越してきたんだけれどね。 理系少年だったので本当に行きたかったのは京都大学だったんだけれど、地元で生まれ育っていたので名古屋大学へ行った(親はそんな学力はないじゃないという)。 名古屋大学数学科を(6年かかって)卒業して、いったん社会人になって再び認知科学を学ぶための大学院へ通って修士まで通った。途中1年の休学があるのだが、7年間通った大学であった。建物が増えたり、改装してエアコンを入れたりしているが、ほとんど20年前と作りは変わっていない(ちょっと古くないか)。でも緑が多くゆったりしているのは懐かしい。 東大や京大と違って洗練されているわけではないけれど、地方でこっそりとこつこつ基礎研究をやっていつのまにかノーベル賞級のことをやっているという泥臭さを感じる雰囲気がある。 妻と息子を連れて懐かしさを感じてぶらぶらとしていた。20年ちょっと前とまったくかわらない建物や学生を見ると、つい昨日ここにいたように思い出してしまう。 フリーマーケットやプラネタリウムやいろいろな催し物を楽しませてもらった。 旧教養部棟が情報科学研究科になっていて、そこにお世話になった先生らがいらっしゃるかもしれないと思って行ってみる。しかし関係者以外は立ち入り禁止。残念。10年以上前の失礼をお詫びしてと思ったけれど、お祭りでざわざわしていらっしゃらないようす。また次の機会にでも。 豊田講堂へ向かった。豊田行動はきれいになっていたが、その奥で興味深い研究発表をやっていた。 株価と・・・・、ベイジアン・・・・、検索エンジンのパーソナライズ、あれっ、結構近い領域。 じっと書かれていた壁紙を読んでいたけれど、肝心なところがよくわからない。たまたまその場にいた学生の方にいろいろと教えてもらった。ふーん、そうかここまでできているけれど、ここは難しいのか、、、結構突っ込んだことも質問してしまった。 「パーソナライズを考慮したWeb検索フィルタリングアルゴリズム(堀田知宏, 北 栄輔,丸山 崇)」が, 2007年度情報処理学会コンピュータサイエンス領域奨励賞を受賞しました.  賞も貰っているんだね。何か失礼なことを聞いてしまったみたい。とても勉強になりました。 なんか自分の関わっているところと似ているなぁ。今日は家族を連れてきているのでこれぐらいで退散しよう。もし機会があったら、お話を聞きたいなぁ。  自宅に戻って詳しく調べたら、人工生命の有田先生と同じ講座。そして同じ日に旧教養部棟で有田先生が研究発表をされているではないですか!残念、機会を失ってしまった。また次のチャンスに。

コンピューターの世界も徐々に変わっていく

コンピューターに関する仕事をしているので、1日の大半はパソコンと一緒です。ブラウザとともにいろいろな情報を得たり書き込んだりしています。 少しでもいい環境ですごしたいと思いますので、ブラウザやメールソフトはコストをなるべくかけないところで変更したりカスタマイズしてきました。私は持ち運んでいるノートパソコンに、メールソフトや会計ソフトなど、そして臨時に使う開発環境などを入れています。ノートパソコンで開発するには画面が小さいしメモリーが少ないので滅多に開発しませんけれど。 ただメールをPOP3でダウンロードするのでオフラインで見ることはできるのですが、過去のメールを管理して検索するには不十分でした。メール本文の検索は、GoogleのGMailの方が圧倒的に早く管理しやすかったのです。 メールのデータをこれまでPOP3でダウンロードしていて見ていました。しかし、そうすると過去のメールはノートパソコンでしか見ることができません。手元にノートパソコンがないときは見ることができません。ときどきデスクトップパソコンでメールを見てその中にあるリンクを参照したいときとか、お客さんのところでメールを見たいときがあります。 そのときは、サーバーにメールを貯めて、IMAPでメールを読むのがいいと思いました。 しかしよくよく考えてみると、IMAPではいつもネットにつなげてメールをとりにいくので、オフラインではメールは読めません。あれっ、これってGMailをブラウザから見ているのと変わりないじゃないか。GMailのインターフェースがとてもよくできていて、Thunderbirdと遜色ないじゃないか。最近、Firefoxの新しいバージョン(RC2)を使い始めて、レスポンスがよくなりますます差がなくなってきた。 それでとうとう、Thunderbirdを使うのをやめて2週間ほどが経った。今はメールはプライベートと仕事用のそれぞれでGoogle Mail(仕事用はGoogle Appsで)を使っている。メールも6GByteまでためることができるが、いまはまだ5%ぐらいだ。  メモをとる時も、Google Notebookで自分用のノートを使っている。ちょっとした文書や表計算もGoogle Docsでいい。最近、RSSリーダーはFreshReaderというのをサーバーに入れて使っていたが、Google Readerの方が機能が良くなりレスポンスもいいので、とうとう乗り換えてしまった。  なんかいろいろなものがサーバーに乗っていき、手元にあるパソコンは軽くてシンプルなものでよくなってきた。ほとんどがGoogle謹製であるのがちょっと気になるけれど。そういう意味もあって、NetBookと呼ばれる、EeePCなどのパソコンが世界的に出てきたのだろうか?これまで日本ぐらいしか1Kg程度のノートパソコンは売られていなかったが、今後は世界でも同じようになるのだろうか。 ぜひ、パナソニックのLet’s Noteや東芝のDynabookシリーズ、SonyのVAIOなどは優れていると思うのでいいものを出してもらいたいと思う。  話はちょっと変わって心配なのが、Webサーバーのハウジングやホスティング業のこと。Amazon ECSやGoogleなどの仮想コンピューターハウジングの方(クラウドサービス)が気になっている。値段も安いし、サーバーの大きさ(CPU数やメモリ、HD容量)などを稼動しながらコントロールできる。当然二重化やデータのバックアップも保全されているようだ。 そうすれば、最初から二重化やデータのバックアップ、サーバーの規模など、アプリケーションを構築するレイヤーの立場から見ればハード的な心配をすることはなくなる。日本からのアクセスが遠いという点で心配なことはあるけれど、それ以外は英語でのコミュニケーションのことだけが難点かもしれないが、ほとんど問題はない。実際に使い始めてみて経験を重ねていけば問題はなくなるかもしれない。 そういった意味で、もし私がWebサービスを頼まれたらAmzonで構築することを最初に考えるだろう。日本だけでなく世界中のハウジング業者は苦境にさらされていくかもしれない。ハウジング業者の技術的な差はあまりないようにみえるから。  追記: 実のところ、WebのGmailに移行したのは、Thunderbirdでメールに添付ファイルが日本語名だったとき、IMAPで読み込もうとするとPart 1.

独立をやめて3か月目になって

うれしいことに、実際の年齢より若く見られることがある。 20代の頃は「落ち着いているね」と言われて実際よりも年上に見られたり、白髪が多かったせいで5歳ぐらい老けて見られた。今は40歳ぐらいと若干3年ぐらいだが若く見られる。 その理由は、「あんたは自由だから」と妻はいう。「人間関係や仕事で苦労していないから」決してそうではないけれど、変な感じの軋轢を感じることはない。ずっとスーツを着ていないし、最近はディパックで、フリーターのような感じで通勤している。同年代の人はまずスーツを着ているのに。 もうすぐ、独立していたのを畳んで3か月経つ。 その状態から一歩離れてみることができた。その反動で「人に依存しては腐ってしまう」とまた独立心がメラメラと湧いてくることもあった。また揺り戻しがあって、「また同じことを繰り返してしまうのではないか」という気持ちになったりすることもある。 多少の蓄えがあるけれど、毎月の収支を考えると経済的には厳しい状態が続いている。これは妻が収入の多くを、子どもの貯金に優先的に回していて、私の小遣いが1万円という状態にあるからだ。昼は妻からのお弁当を食べ、飲みに行くことはできない。まあこういうときは、どんどん深く根を張っていくことをするべきかなと思う。  ここ数か月は、会社に籍を置かせていただいているけれど、前とやっていることは変わっていない。妻からの「お金」プレッシャーが和らいで、少し冷静になって開発を進めている。 43歳になって能力の衰えを気にしていたが、どうも能力の衰えはあまり感じない。体力的なものはあるから、数日徹夜をしてやりとげるというのは無理があるけれど、スピードは衰えていない。 たぶん未踏のときにうまくいかなくて、今も開発スピードが遅いのは、いろいろ背負っているものがあるからかもしれない。妻や子どものことを考えたり過ごす時間があるので、その心配をしたり対応したり、積極的にかかわったりするので、それがブレーキをするみたいだ。ときには、全部捨てて身軽になりたいと思うこともあるけれど、モノゴトには同時に良い点と悪い点が付いてくるので、身軽になれば精神的に孤独の状態になるので、それがプラスになるかどうかはわからない。 家族がいなくても、中間管理職だったり、社長だったりすれば、部下のことを考えればさらに開発に関してはブレーキがかかって進めることができないだろうと思う。そういえば、Googleの創業者は研究開発をしているんだろうか?Bill Gatesは創業間もなくして、すぐに開発はやめて社長業に専念をしたと聞くけれど。  独立の失敗の反省として、ビジネスプランや経営理念にこだわりすぎていた気がする。 経営理念は、Googleやはてななどのように創造的な仕事をする、ということに重点を置いていた。IT産業は下請け的な構造にあり、これではいいものがつくれないし、それに係る人も浮かばれないので、なんとか鍵になる産業を起こさねばというつもりであった。 経営理念にこだわることは間違いではないけれど、ビジネス環境に沿っていたものかどうか反省することだと思う。お金、人、場所に関する経営資源は足りなかったと思う。その経営理念にこだわるあまり、仕事を選んでいた。 もしがむしゃらになんとか事業を維持していこうと考えていたならば、いまも忙しいなりに事業は続けていたと思う。ただそれが経営理念にそっていたものかどうかが疑問である。経営理念に沿っていたものでなければ、事業をやる意味もないと当時は考えていた。 日本電産の永守社長の話はガイアの夜明けや著作で知ったが、製造業とは異なるが参考になるところがある。創業に関していろいなものが甘い見通しのもとであった。 当初の顧客は名古屋でと限っていたのは間違いかもしれない。 資金と人材はもっと慎重にかつ大胆に行動をとらねばならなかったかもしれない。 ただIT関連はまったく経営環境が異なるので、製造業の経営戦略は参考にならずまったく別次元の経営戦略を立てねばならないのだろうということも感じた。 というようなキーワードが思いつく。 受託開発の仕事とはまったく正反対のキーワードであるから、受託開発しながら新しい製品を作っていくことが共存しずらい。同じ人では無理だろう。

前からiPhoneはソフトバンクになるような気がしていた

前からiPhoneはソフトバンクになるような気がしていた。 それで、ソフトバンク株を買っていた。しかし暴落前の高値で。直前でリークされたので、さらに買い増しをしていた。もしソフトバンクじゃなかったらどうしようって。やはりバクチだね。 ただ、6/9のWWDC(WorldWide Developers Conference)というアップルの開発者カンファレンスの、Steve Jobsの基調講演で正式な発表があると予想されるが、以下のように世界中の各国から発表があいついだ。 http://slashdot.jp/apple/comments.pl?sid=404595&cid=1356480より 4月29日:Rogers Wireless [カナダ] 5月6日 :Telecom Italia [イタリア] 5月6日 :Vodafone [エジプト、オーストラリア、インド等9カ国] 5月7日 :America Movil [アルゼンチン、ブラジル、メキシコ等15カ国] 5月12日:Singapore Telecommunications [シンガポール、フィリピン、インド等4カ国] 5月14日:Swisscom [スイス]

ウルルン滞在記 フィリピンのジンベイザメ

ウルルン滞在記で、フィリピンの話がありました。 http://www.ururun.com/bn/080601.htm フィリピン人の妻は、テレビでフィリピンに関する番組が出てくると喜びます。でもいつも悪いニュースが大半なので、好意的に人々の生活を見せてくれるのは特に喜びます。 私は字幕で見るのですが、妻は言葉が直接わかるのでそれもいいみたいです。  しかし、フィリピンのどこの景色を見てもどこも一緒。建物も、船も、人の顔も、服装もほとんど変わりません。それが不思議です。どの景色をみても、妻の故郷のボホールと変わりません。まあそれで、妻はフィリピンを思い出すのでしょう。 [追記] ほとんどの日本人はフィリピン人に対してどう思うのだろう?貧しい生活をしている人たちという見方をするのではないだろうか?逆にいえば、そう感じる人の何人がフィリピンの人たちのことを知っているのだろうか? 私が初めてフィリピン人を意識したのは、「炎熱商人」という小説の舞台がフィリピンであったことだった。「土人」というような表現もあったと思う。私たちがその国のことをどうとらえるかというのは、自国にいるその国の人個人的な印象や、テレビや新聞で知るニュースを通してだったりする。 それは日本人だけではなく、世界中の人たちは同じように考える。個人的なつながりがないと、どこでもステレオタイプ的な見方になる。そしてそれはその国の国力や国のアイデンティティと一体化してしまう。日本人は世界中の多くの国で歓迎される。それは日本の国力と戦後悪いことをあまりやってきていないからだろう。フィリピン人はどこの国へ行っても、家政婦や出稼ぎとして見られてしまう。人間的な差はなくても国自身のアイデンティティによるものではないだろうか。 EU内では交流が進んでいるのでそういったことは少なくなっていると思うが、どうだろうか? 私もフィリピン人を妻や妻の家族を通してみるけれど、ほとんど変わりない。常識的なところに若干の違いはあるけれども、優劣をつけるものでもないと思う。

お先真っ暗でも、やがて日は昇る

ミャンマーで台風の被害 中国の成都あたりで地震 石油の値段が1バレル130ドルで、ガソリンの値段が1リットル170円 石油の値段の上昇や穀物の高騰に伴って、物価も上昇 さらに、身近な業界では 「10年は泥のように働け」「無理です」??今年も学生と経営者が討論もうお先真っ暗ですわ。 私もこんなITゼネコンでは働きたくない。  さてこうなったらどうしよう? 私はただ何もしない。自分の心の捉え方を変えるだけということにしたいと思います。 見方を変えると、上の2つは情報伝達の速度が進んで、ひどいニュースがすぐにたくさん飛びこんでくるようになったからです。昔はもっとひどい災害があっても、死傷者数がわかるのもずいぶん後になってからでした。たぶん今の方が実際の被害は少ないと思います。  3つ目、4つ目のニュースも、石油の需要が世界的にあるから高くなったんです。中国やインドなどこれまで発展途上国だったところが豊かになってきて、石油の供給量に追い付いていないから高くなったんです。それだけ世界中の人が徐々に豊かになっているんです。 これまで先進国にいた人が、多少不利益になってもしかたないでしょう。  最後のところは、世代間ギャップというか時代に取り残されていると考えて、ほおっておきましょう。日本は戦後に製造業で先進国の仲間入りした国です。製造業あってこそ、世界で輝き尊敬された国となったのです。その製造業魂というか成功例にしがみついているのです。 成功例にしがみついているのが会社であったら、それは倒産しないとわかりません。 日本も一回倒産してみないと、生まれ変われませんわ。 もう1回堕ちるところまで堕ちると、幕末のいろいろな偉人が屍を残して変えていくかもしれません。  

【本】秘伝すごい会議

秘伝すごい会議Amazonで購入 書評/ビジネス 同い年くらいで、同じ姓で、冒険的な人生を送っている著者はすごいなと思う(前と一緒かい)。 前著「すごい会議」は読んでいないので、いきなりエッセンスに入ったかもしれない。内容は「すごい会議」を開くための実践的なマニュアルとコラムである。 本は読むだけでなく、自分に一部取り込んで、さらに実際に行動して起こすということが大切だと思う。いつも実際に行動として起こしてみる!というところまでやっていることがあるけれど、自分に合いそうなものは取り込むか絶対に取り込みたいということがあればどうやっても取り込むことがある。 この本の内容の会議は一人ではできないので、いまのところ想像するしかない。 「すごい会議」のエッセンスは、以下の3つである 会議は考えるところではない、決定するところである。 これは楽天の三木谷社長が同じことを言っていたな。 問題をさらけ出す セクショナリズムをやめて、組織・会社全体で考える コミットさせることである 決断したことからは逃れられない。本気に行動することが求められる 以上のことを、具体的な方法を例示して載せている。 頭では理解していても実際にやることは難しい。その点はスポーツと同様かもしれない。 すごい会議は会議そのものよりも、社内のビジネスの進め方、コミュニケーションの取り方の問題だと思う。 仕事をクールに、責任の所在をはっきりさせ、コミットをさせていくビジネスのやり方、なかなか日本の企業では受け入れにくそうだが、「すごい会議」という言葉でいつの間にか洗脳されているという方法もあるかもしれない。