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【本】人生を変えた5つのメール

人生を変えた5つのメールAmazonで購入 書評/ビジネス 「ソフィーの世界」は、「あなたは誰?」という手紙が届いたところから哲学について理解を深めていくという本だが、この本は心理カウンセラーの縮小版という感じがな。小説の形で一つ一つ読者と一緒に主人公が考えて、自分なりの結論を出していく。 ただ読みとおすだけでなく、質問があったら自分なりの答えを考えてほしい。途中で展開が変わって自分の答えに修正が必要な時も、主人公がどうやって答えを出すか、自分がどうしてその答えを導き出したかを考えてほしい。 本では以下の5つの質問が次々と携帯のメールに届く。 キャリア開発とは何をすることか? 人に仕事を頼むとき、大切なことは何か? 叱られたとき、最後に言う言葉は何か? 自分の意見を言うのに必要なことは何か? 出口が見つからないときは、どうすればよいか? 順番については漠然としているが、どれも社会人になったときに必要なものであろう。本は新人を対象にしているので、自分が新人のときにどう思ったかを思い返した。ただ、結論はないので、20年近く前に出した答えと今の答えは違うかもしれない。そう考えると、この歳になっても学ぶべきことは山のようにある。特に、きちんとキャリアの段階を踏んでいない私にとっては、自分なりの答えがゆがんだものである可能性も高い。  年を経て立場も変わったので、この質問を逆説的にとらえるのもよい。 会社でのキャリアははたして重要か? 人に仕事を頼まれたとき、どうするか? 叱るときに、気をつけることは? 人の意見が、自分の意見あるいは大勢の意見と矛盾するときは、どうするか? 本当に出口が見つからないときは、どうするか?誰も助けてくれない、待ったなしのときは。時限爆弾を取り外そうとしているとき。 またそうすることで、この本は2度おいしくなる。  

コミュニティバンク、がんばって

いつもテレビネタですみません。 「ガイアの夜明け」 で新銀行東京の破たんの話がありました。 私はお金を借りてはいませんが、新銀行の口座があります。他の銀行への振込み手数料が毎月5件まで無料で、どこの銀行のATMで引き落とししても無料なので、この銀行の口座を開きました。 この新銀行東京が縮小されると聞いて残念です。 最初の頭取になった人がトヨタ出身で金融の素人で、すべて彼のせいだとされているのは、気の毒です。スケープゴートにされたような気がします。 普通の銀行が貸さないところに、東京都が作った銀行が融資をするという理念はよかったと思います。ただ事情が変わった。いまでは普通の銀行も融資するようになってから普通の銀行との競争に負け、リスクのあるところに貸出し、それが回収できなくなった。 回収に関しては、サラ金や闇金の方が得意だろうが、普通の銀行員には難しいことのようだ。評価のノウハウもあるし、回収には法律スレスレか違法行為も辞さないから(闇金の方)。 番組の後半は、名古屋でコミュニティバンクを始めた、田中さん。愛知県の仕事とご一緒させていただいたことがあります。番組では、グッドニュースというエコロジーのニュースサイトをビジネスにしている会社が取り上げられました。 全員一致で、300万円を貸すことになったそうです。 個人的には300万円ぐらいはあっという間に消えてしまうお金で、みなさんはどうやって生活しているのかなと気になりました。ビジネスとしては難しいと思いますが、最後に入金がありましたというときに、2,999,140の入金があった銀行通帳を見せました。 をいをい、ここでも入金手数料は最初から引くのかい。すべりました。。。 成功事例をつくっていくため、がんばってください。  仕事をしているときにガイアの夜明けが取材に来ました。 実はボツになったんだけど、こっそりと取材協力のお礼で菓子箱を置いていきました。ちょっと縁があったので、書いてみました。

たまにはADDの薬抜きで

今日は、息子は薬なしで過ごすことになった。 息子が医師に処方してもらっている薬は、コンサータとテグレトール。息子は ADD(注意はするようなのでADHDよりもADDかな?)とアスペルガー症候群の混じったような広汎性発達障碍のため、しばしば対人トラブルを起こす。医師からは薬による処方だけでなく、心理的トレーニングによる対応を以前から言われていた。この広汎性発達障碍は正確にいうと病気ではないと思う。一種の遺伝的な特質で個性だと思うのだが、何も処方せずほったらかしでいると、人とのトラブルは避けられない。 いつも動いていて、しゃべりっぱなしの多動性。とにかく五月蠅い。口が止まら ない。そして相手がどんな状況か気にしない。集中して仕事をしているときや目 が離せない状況でも、自分が喋りたければしゃべる。相手が反応しなければ、無 視していると思って手が出てしまうことすらある。そのくせルールには厳しい。 自分がルールを守るかどうかよりも、他人がルールに従っているかどうかを気に する。 薬は習慣性があるのでできればあげたくないのだが、社会生活を送れないので服 用している。薬なしでは毎日のように学校で友達とトラブルを起こすだろう。土 日祝日の休みのときでお出かけでほかの人とあまりかかわらないとき以外は、薬 をやめよう。また平日でもたまには、薬があるときとないときでどれだけ違うの か比較するために薬は止めてみようと、医者は話していた。そして夫婦ともに同 意していたつもりだった。 薬を毎日あげるのは妻の役目だった。 医者からは2週間ごとに処方してもらい、土日祝日はときどき薬がない日もある という前提なので、ゴールデンウィーク後も少し余っているはずだった。ところ が、薬がない日ができてしまった。ゴールデンウィークによって2週間ごとに医 者の診察を受けるのが少し伸びてしまったら、薬の余裕がなくなってしまったの だった。 妻には前から休日で自宅にいるときには薬を出さないようにと言っていたのに、 そして本人も承諾していたのになくなったのだった。私は土曜日に仕事に出かけ たり、朝遅くまで寝ていることがある。(^^; そんなこともあって、まさか休日も毎日薬を与えていると思わなかった。

昨日、妻の知人が亡くなりました

昨日、家に帰ると妻が話してくれました。 先日お見舞いをした女性が5/5の朝10時頃になくなったそうです。 彼女は20年ぐらい前に、ジャパユキとして日本に働きに来たそうです。それから何年かフィリピンパブで働き、その間ずっとフィリピンにいる家族に送金をしました。日本で知り合った男性と結婚して、1男を授かります。その子どもは今は、日本の高校へ通っています。 結婚してからも、ずっとフィリピンパブに勤め続けて、送金していました。ブランドものの服を買い、ブランドものの鞄を持っていましたので、自分も日本の生活を楽しんでいたかもしれません。乳がんになって少しの間入院した後も、働き続けました。 そして50歳ぐらいの命を終えました。  フィリピンの女性は何を考えて日本で生活しているのでしょうか? 日本の豊かさに憧れて日本に来たのでしょうか? ずっと出稼ぎに来てお金を送る。誰のための人生で、何のために生きているのでしょうか? 今もって、妻の考えていることはわかりません。妻は出稼ぎにきたわけではありませんが、これまで妻の家族に少しのお金を送っています。  「人は人に認められるために生きている」という言葉を思い出しました。   

マインドマップ歴25年

ちょっと自慢だけれど、ここ数年流行ってきたマインドマップを使い始めて25年になる(写真は証拠の初版本)。 四半世紀だ! 経歴の長さより、歳をとったという感じがある。もう棺桶に近い。  高校2年生のとき、誰でも考えるように「どうやったら成績が上がるか?ということを考えていた。」 今と違って、Amazonのような本屋はないし、地元の本屋は小さいので数か月に1回ぐらい名古屋駅の星野書店というデパートのフロアーが全部本屋であるところへ出かけていた。 雑誌に広告が載る本は地元の本屋で注文して取り寄せていたけれど、当時から本が好きだったなぁ。ときどき星野書店に出かけていては、気になった本を数冊買う。たいていは将来の夢である科学者になるための科学関係の本が多かった。お金に限りがあるので、新書で買うことも多かった。一度に10冊以上買うという大人買いをして満足していたこともある。  東京図書という出版社は、数学などの話題に関する本を出版していた会社だ。ちょっととがった感じの中高生を対象にしていたんだろう。芦ヶ原氏のパズルに興味を持ち、IQスーパーパズルという本で、メンサというIQ>140以上の頭脳集団について知った。 その東京図書から出版していた本が、「頭がよくなる本」という単刀直入のタイトルがついた本であった。  数学はともかく、他の記憶をする教科の成績が伸びなかった。世界史や日本史、英語、国語などである。理科と数学を除けば全部か(単に興味がなかったからなのだが)。 少しでも成績が伸びないかなと思って、ダメもとでこの本を買って読んだ。  マインドマップについてはもうみなさん御存じだからどんなものについては省く。 Wikipediaで調べる画期的なノートの取り方だった。 普通は上から下へ、左から右へと、1次元的にノートをとる。 ところがマインドマップは中心から放射状に2次元的にノートをとる。 すると発想が2次元的になる。 25年間やってきて、正直言ってこれぐらいの違いしかない。  ここ数年から自己啓発系で再発掘したこのマインドマップは、いろいろなことを言っているがその違いだ。 ただこの2次元という広がりが実は大きな意味を持つ。 文章は1次元的であるので、最初から最後まで読んで初めて意味を理解できる。これが2次元的になると、ランダムアクセスが可能になる。文章を全部読まなくても、部分的なところだけで伝えることができる。 これは自分に対して伝えることも同じだ。 人の記憶はあいまいである。数日前のことははっきり覚えていないことが多い。自分が書いたノートを読めば記憶は再現される。読んでいる最中に、そのときの情景とも思いだすことがある。ただどこまで読めばいいかわからない。それは古いノートであればあるほど、思い出すのに時間がかかり、ときには思い出せないことがある。プログラムをつくっているのはまさにそれで、数か月前に作った自分のプログラムが何をするのかよくわからないことがある。

自由には責任がともなう

sorinn「ガイアの夜明け」という番組で、ガソリンスタンドで雇われているアルバイト店員が会社に対して労働運動を展開するという番組があった。 彼が勤めていたガソリンスタンドの事業悪化に伴いクビになった。 アルバイトの人件費は決して高くないが、セルフスタンドが増えてその分の人件費が削れるとあれば、そちらへ移行するのはしかたないことだろう。 アルバイトの人たちの労働組合があり、彼らが団結して会社と交渉するのは、労働者の権利としてあるので、そのことは当然だと思う。 ただ、交渉される総務部長の顔を見ると、「心情的には理解できるが、会社としては止むに止まれぬ事情」だと感じる。会社自身もガソリンスタンドというサービスの違いがあまりない業種で、明日はつぶれてしまうかもしれないという状態にある。総務部長も、ひょっとしたら次は自分がクビになるかもしれないという不安な顔がよぎっているようだった。  私はアルバイトの人には気の毒に思い同情する。 そして自分の身を重ねると、他人事ではないと感じる。 ただ自己責任の部分もあるのではないだろうか? ガソリンスタンドのアルバイトという身に甘んじていること、周りのガソリンスタンドではセルフサービスが始まっていること、他の能力を身につけようとしなかったこと。 それらに気づき、取り組むことは自己責任だと思う。 音楽活動でデビューできず、ガソリンスタンドで働くことになってしまったという点も、自分の選択であるから、仕方ないといえる。他の人は早くから夢をあきらめたり、縮小化して、普通のサラリーマン生活を送ろうとしているから。 それが自由なものではないかと思う。 仕事を選ぶ自由があれば、クビになる自由もある。 お金は無くなるけれど、刑務所と違って嫌な仕事を続けなければならないという強制はない。  自由には、責任を伴うということを、忘れがちである。いや気にしていない。 自戒を込めて(それって俺のことじゃん) 

不動産を買うのはリスク?

ロバートキヨサキ氏の「金持ち父さん貧乏父さん」をはじめとする一連の著作や橘玲氏の「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ? 知的人生設計入門」という著作の影響を受けました。   家を買うのは、大きなリスクを伴うものです。  人生で一番の高い買い物である、住宅は数千万円します。これは生涯賃金の数分の1です。ローンを含めたら購入価格の倍の料金を払うことになります。 株に投資したりギャンブルをすることに批判的な人が、不動産を購入することを財産を得ることと何の疑問を抱かずに購入することは、非常に危険です。 不動産を購入することもリスクを伴う投資なんです。  こんなことが書かれていました。 私は不動産などを購入することは自由を束縛するものだと思っていて何かいやな感じがしていましたが、上記の説明を聞いて納得しました。 妻は「安心」というのが好きで、小金を貯めてフィリピンに家を買いました。そしてまた日本でもマンションを買う夢を持っています。1年前まで中古の分譲マンションに住んでいました。 家を買うことはいいことと悪いことの両方があると思います。 選択するときは、必ず良い面と悪い面の両方があります。ただ自分にとって、悪い面よりも良い面の方が影響を与えたり重要だと思える時は、良い面を見て選択すればよいと思います。 自分のほしいものがあれば、買って幸せになれますが、同時にお金を失います。他に欲しいものが買えなくなり、将来欲しいものが出てきても買うチャンスをなくすかもしれません。 不動産というものも投資物件です。 交通が便利で広く環境の良い家は、高いです。家を購入すれば、私有物となり、一定の自由を得ることができます。家の中をリフォームしてもかまいませんし、売ることもできます。ただ不動産の流通は難しいです。金額が高いことと物件についての情報が十分伝わっていないからです。売りたいと思ってもすぐに売るのは困難です。 妻は安心のためから分譲を好み、私は自由のために賃貸を好んでいます。 1年ほど前に分譲マンションを売却した理由は、妻・娘・私がそれぞれ異なる理由で同意したからでした。 娘 「刺激があって、自分一人の部屋が持てる家がいい」 妻 「私の職場に近いのと、子どもたちが喧嘩するので別々の部屋を持たせたい。」

ゴールデンウィークはゆっくりされましたか?

ゴールデンウィークが今日で終わりですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?(5/6記入) 旅行へ出かけましたか? 自宅でゆっくりしましたか? 少し暑かったので、早い夏休みのような感じがしました。  このような休みがあるとペースが狂ってしまうので、本当にいいのかわるいのか。休んでも、その間は稼ぎはないわけですから、かえってビジネスとしては大変です。 それで例年、この時期は世間は休みでも出勤して、いつもやれない仕事をしていたのですが、、、、今年は休んでしまいました。 5/3と5/5は出勤しようと思っていたのですが、子どもの顔を見たら休んでしまいました。そして家で一緒にゲームをやったりしました。子どもにとっても明日からは普通の学校生活に戻るので、こうした非日常的なこともいいかもしれません。  なんか気の利いたことを書きたいのですが、、、  この頃思うのは、結婚していない人と結婚している人は全く生活感が違いますね。 結婚しているとアフターファイブというのが自由にできません。 どうしても妻との時間や娘や息子との家族との時間を優先しないといけません。1日24時間、1ヶ月720時間、1年8766時間です。秒に直すと、31557600秒です。この時間が一刻一刻と過ぎていってしまいます。  先日の知人のお見舞いでも、祖父が96歳と高齢なこと、父が交通事故の後遺症でボケていること。そして、私と妻も子どもの成長に伴って、年々老けていることを考えると、時間は限られているものだと思います。 子どもが成人になれば、そのときは定年という年齢に達しつつあり、もう人生も終わりにさしかかります。そう思えば、「芸術は長し、されど人生は短し」というのもさもありなんと感じてしまいます。 さて、短い一生で何ができるのか?ぼぉーっとしていても一生を終えますし、チャレンジンぐなことをしていても時は過ぎ去っていきます。 休日に張り切ってチャレンジングなことをしても、平日に疲れがどっと押し寄せて、その分だけ休みを取らねばなりません(えっ、反対?そうですね) そんなことを思うと、自分の限られた時間の優先順位をつけなければいけません。  いまほど実感をこもって考えていませんが、20代にゴルフをすることをやめました。そして付き合いも最小限にとどめています。ゴルフをしないという選択は、サラリーマン生活において出世の手段の1つをなくすようなものですが、続けると結婚した時に日曜日に家族と生活できなくなるのでやめました。付き合い自体は、友人と夜更かしをしてだべっていることは楽しいことですが、自己研鑽の時間がなくなるのでやめました。 そう思っていたのですが、今ではその2つとも家族と費やす時間になってしまっているようです。 では別に時間を確保しないといけないなと思いまして、収入はほどほどでいいから残りの時間を自己研鑽のためにしようと思いまして、いろいろ試行錯誤していますが、、、、、なんかいつの間にか収入の確保に追われるようになっています。 あっそうか、自分だけでなく妻と子どもの生活費や教育費も稼がなくてはいけないからだ… ちょっと気づくのが遅れました。 ん?

花瓶ははやらないのか

愛知がんセンターへ知人の見舞いに行きました。 妻の昔の知人です。10年ぐらい前に乳がんになったのですが完治したと聞いていました。今日、共通の知人から電話があって入院していることを聞きました。 急いで近所で花を買いに行って、お見舞いに行くことにしました。 妻に頼まれて花屋へ行ったのですが、「お見舞いにいくので花束を頼みました。フィリピン人なので明るい花がいいかな。」と思いました。 店員さんは「匂いがない方がいいですか?」と尋ねました。 そうですね、薬のせいで食べ物もあまり通らないと思うので匂わない方がいいかなと思い、うなずきました。時間を少しかけて丁寧に包んでくれました。 3000円弱ぐらいでお願いしたら、赤や青の小さい花がいっぱいでした。 寝付く(=根つく)という言葉を聞いていたので、鉢植えはよくないとは知っていました。花束だとたくさんの花がボリュームいっぱいにあります。ただ家に帰ると、妻から「ストーンハは?」と尋ねます。ストーンハ?って何?結婚14年経っても、妻の言っていることがわからないことがあります。タガログ語なのか?妻のビサヤ方言か?忘れかけている英語なのか? 英語でも専門用語はわかりやすくても日常で使う言葉でありながら、個人の日常生活で使わない言葉はよくわかりません。花はまったく縁がないので、わかりません。 夕食を早く済ませて、病院へ向かいました。 あいにく雨が降っていました。自宅からがんセンターは比較的近いです。車で15分から20分ぐらい。大きな駐車場がありました。最初の30分は無料ですが、それ以降は30分ごとに100円かかります。休日の夜なので車は数台しか止まっていません。病棟まで続くところは真っ暗です。 最初は病棟の入口まで行きましたが、入院患者の場所は2階の受付で聞いてくださいという案内がありました。受付に戻って尋ねます。 フィリピン人の女性どおしは、姓よりも名前を使います。妻だったら、「おおはしさん」と呼ばれず「Mercy」と呼ばれます。だから今日初めて、入院されている女性の姓を聞きました。妻も10年以上のつきあいになりますが、初めてです。年賀状のやりとりもありませんでしたから。少し珍しい苗字だったので、妻が電話で聞いた姓ははっきりしていませんでした。 日本人だったら、苗字は聞いたことがあればすぐにわかりますし、初めてきくときは「海山の山」という具合に伝えます。妻がローマ字で書きとめた名前で、名前を探してもらい時間がかかりました。オンラインでなくてリストを印刷されたものを探していましたが、これがオンラインされていても、スペルで検索できればいいのですが、なぜか名前は姓は漢字、名は元のローマ字ではなく日本語表現のカタカナになっています。健康保険証と同じにしてあると思いますが、、、ローマ字だといいなと思います。 もう一度知人に携帯をかけて確認しようかなと思っているときに、見つかりました。 病棟へ行って、看護婦さんの案内を受けました。病棟は階ごとに分かれているので正確な階がわからないと不便でした。 看護婦さんに案内されて病室に入りました。 知人の女性は寝ていました。知人のご主人が付き添っていました。連休前から入院していたのですが、会社を休んで付き添っているそうです。知人はがんの治療の副作用で髪が短くとろんとした状態でした。 ご主人が「いまうつらうつらし始めたところだから、起こしてみますね」と言って、耳元で呼びかけました。女性は目を開けました。 「あ、覚えている。覚えている。」と繰り返しました。 妻は思わず涙が出てきました。 元気だったころを思い出したせいかもしれません。それとも自分の身に置き換えて考えたかもしれません。 お花を渡したのですが、お花を入れる花瓶がありませんでした。窓際に花が籠と一緒にいくつか飾ってありました。「あっ、そうか、ストーンハというのは籠のことか。」 ストーンハ → ストーハ → Starawhut → ママードゥーユーリメンバー マイストーローハーット(人間の証明)

木曽川の公園

少しは親らしいことをしなくてはと思い、家族で近場へ出かけました。 今までは行ったことがない、愛知県の北部です。以前住んでいた知多市は愛知県の南部や中部は行きやすかったのですが、北部はなかなかいけません。 木曽川の周辺に国営の公園がいくつかあり、長良川と揖斐川の河口にある木曽三川公園へは行ったことがありましたが、他のところはありませんでした。 今回は子どもをつれて、この3つの施設をはしごしました。  フラワーパーク江南 河川環境楽園(Water Eco Park) 138タワーパーク http://www.kisosansenkoen.go.jp/それぞれ車で10分とかからない施設で、どれも木曽川に沿って作られています。愛知県と岐阜県の境界がちょうどこの木曽川になります。  フラワーパーク江南は新しい施設で去年の秋ごろに開園しました。ここは施設が充実していないのですが、新しい感じは良かったです。駐車場も空いていました。 お昼時になって、河川環境楽園へ移動しました。英語表現の"Water Eco Park"の方が覚えやすいですね。道路案内では英語表現もありまして、妻がすぐに気付きましたが、「ウォーターエコパーク」という名称があまり使っていないのはなにか理由があるのかな。 河川環境楽園は駐車場がいっぱいで、臨時の駐車場に止めました。駐車場を探すのに渋滞を含めて30分以上かかりました。東海・北陸自動車道のパーキングエリアにもなっているので、施設が充実しているかもしれません。水族館があるし、お店も多いです。水場で遊ぶところもあるので、家族連れには楽しめるところだと思います。 水族館は、東山動植物園などで見慣れているので、入りませんでした。安かったら入りますが、ちょっと高いので。大人で1400円、中高生で1100円。東山は大人500円、中学生以下無料なので。 木陰で涼んでいると、風がすぅーっと吹いてきて気持ち良かったです。子どもは水場で遊びました。娘は中学生になったのですが、まだ水場で遊ぶのが楽しいようです。13歳頃の女の子は、大人の一面と子どもの一面が同居しているんですね。しっかりしているようで、まだ子どもだったりします。 夕方近くになりましたが、138タワーパークへ移りました(写真)。 子どもが上に登りたいというので、娘と息子が1人200円でタワーに上ります。138は、いちのみやという名前にちなんでつけられて、タワーの先端まで138メートルだそうです。展望台は100メートル、この近くには高い建物がないので遠くまで見渡せるそうです。 たしかに遠くから見えるこのタワーは気になっていました。私と妻は大人料金500円を払うのがばかばかしいので上りませんでした。ただ5時ころついたので、いろいろなお祭りの催しが全部終わって、出店も終了していたのがちょっとつまらなかったです。逆に駐車場には簡単に停めることができました。お昼に来ていたら、駐車場を探すのが大変だったでしょう。 この3施設とも駐車場代は無料で、節約した旅行でした。