今日は肌寒かったですね。先日まで暖かかったのが、一転寒くなりました。
自宅のサーバーを構築しました。
サーバーとしては一番安いと思われる、xrea.comを年間2400円で使用している。solisart.comなどを運用している。
未踏の期間中は、これまた日本で一番安いと思われるホスティングサービス「さくらの専用サーバー」を借りて運用していた。初期設定費用は3万円弱だが、毎月6800円と安い(このサービスは残念ながら今年3/4で受付を終了した。安すぎたのかなぁ、良かったのに残念)。
それでも事務所撤退するので少しでも安くあげたい。自宅のADSL回線でサーバーを立てることにした。
古いノートパソコンであるThinkPad X21を使う。もうバッテリーがだめになり、ハードディスクもおかしくなっている。ただ超低電圧版モバイルPentium III 700MHzなので、電力は20Wぐらいとうれしい(たぶん、写真上)。念のためにクランプメーターという電流や電圧をケーブルを切らずに図るものを買って計測。
これ980円。計測値が正しいかどうかわからないけれど、なんか数字が出ている。しかし、0.1 という数字が * 200の20wかどうか不明。あまり発熱しないから大丈夫かな。20wだったら、電気代は毎月数百円が上がる程度だから助かる。
サーバーのOSは、Ubuntu Server 7.1を使った。
このThinkPadの場合はUSBのCD-ROMドライブからインストールできるので、Serverのイメージをダウンロードして、それをインストールした。
インストールを2,3回やったが、微妙に異なる。こんな感じでインストール。http://d.hatena.ne.jp/solis/20080328 最初のハードディスクはIBMのめちゃくちゃ音がうるさいやつだったけれど、今日入れ替えて静かになった。
さてサーバーは何に使おうかな? 追記:未踏の開発研究を引き続き行うので、そのプログラムを動作確認するなどして引き続き使う予定です。またお客さんのところへ行ってWebにアクセスする時、2chなどへのアクセス制限があるときは、自宅サーバーを介してアクセスできるように、Proxyサーバーを立てておこうかなと思います。
昨日の幸せな誕生日祝いとうってかわって、今日は嵐の夜です。
昨日が私の誕生日ですが、今日は結婚記念日です。14年が経ちました。あっという間の14年です。これは妻のがまんと私のまあいいかというところから、持ちました。
14年経ってもう安泰だろうということはありません。
いつ離婚の危機が訪れるかわかりません。結婚生活は、がけっぷちを歩んでいます。それが落ちないでいるのは、変化をしないのが楽なのかもしれないし、子どもがいて子どもがつなぎとめているのかもしれません。子は春日井、じゃなかった鎹(かすがい)といいますものね。
今日はそんな危機が一つ。
夜の7時50分頃に娘からチャットがありました。
「パパ、早く帰ってこないといけないよ。」
「そうだね、そろそろ帰らないと。」
「ママ、怒っているよ。」
「何で?」
「結婚記念日じゃない。」
「そうだけど、それは昨日誕生日のお祝いをやったからいいんじゃないの?」
「でも、ママ怒っているよ。」
「わかった。」
そういって片付けて、そそくさと帰りました。
まだ職場にはみんな残っています。いつもよりちょっと早めで、髪を引かれるように帰ります。「お先に失礼しまーす。」
しかし、何で怒っているんだろう。
誕生日の次が結婚記念日というわかりやすいために、”結婚記念日を忘れる”という失態はありえない。しかし、昨日「誕生日やったから結婚記念日は軽くでいいよね」と言ったのになぁ。
一人で仕事していた時は、「今日は記念日だから休み」とか半ドンとかでもいいけれど、一緒に仕事をしているときは無理じゃん。日本人の奥さんだったらわかるのにな、フィリピン人だと難しいのかな、なんて考えながら帰りました。
ぶつぶつ言われるようでは、バカバカしいなぁ。結婚生活は大変でいいことありゃしない??
家に帰ってみると、妻はおかんむりです。
なんでも、私に電話を2度もかけたし、メールも何通も送ったらしい。
今日は恥ずかしながら私の誕生日で、家族が祝ってくれました。
もう歳なので本当はどうでもいいのですが、ありがとう。
写真は妻と娘と息子が作ってくれたケーキ。
結婚生活で失ったものは多いし辛いことも多いけれど、 話はちょっと違うけれど、mixiで誕生日のときに表示されるバナーです。
mixiの画像はログインしなくても見れるんですね(全部が全部ではないと思いますが)
たぶんこのブログを見てくださっているうちの1人ぐらい、今日が誕生日なんではないかと思います♪
知人のKさんから「残りの人生をしっかりといきなさい」というメールをいただきました。
ありがとうございます。
私は20代のころから、実は人生の終わりを意識しながら生きているんです。
だから好き勝手にやりたいことをやって生きたのかもしれません。
心理的にとらえる時間は逆数だと思っているので、0歳から10歳までを1とすると、11歳から20歳までは心理的に1/2に短く感じられ、21歳から30歳までは1/3と感じてしまうのではないか。
1+ 1/2 + 1/3 + 1/4 + ….
数学的には無限に生きれば、心理的にも無限なんですが…
というわけで、43歳になってしまったんですけれど、心は20代のときと何にも変わっていません。いろいろなつらい経験を経ているので、その対応策や人づきあいの仕方やカンは磨かれているかもしれません。思考力は、クイズとかを解く場合は落ちていない気がしますが、、、長い時間考えていると雑念が多いというのか、「正しい答え」というものが頭の奥底から呟いてくるのでそれがじゃまだったりします。「楽しよう」っていうんです。
新しく移った会社のことについてはお話しすることはできないが、、、、自分のことなら。
先週末から中だるみの状態で、ヤバイです。
(DMの件名みたいな書き方だな)
社長のご厚意で、会社を移っても前の事業を引き継いでいます。
今までの曖昧なものではなくて、実際にお客さんを前提の話ですが。
ただ「今までとは仕事の取り組み方を変えないといけない」 と思っています。前は一人でやっていて緊張感がなく時間をあまり感じません。
調子に乗っているときは1日中パソコンに向かってプログラミングができます。そういったのは答えの見えている作業の場合です。でも新しいことに取り組むと、いろいろ試行錯誤して「あーでもない、こーでもない」といいながらなかなか進みません。
ちょうどこの数日がそんな感じ。
ヒントや資料を求めに、これまで購入した参考となる書籍を読んだり、 Webを徘徊しています。すると、別の新しい発見があり、道草どころか横道にそれていきます。結果、能率があがらない。
以前は一人だったので、それを止めることがなかなかできませんでした。自分を客観視できないというところか。
今日も、ついついそんな感じになってしまいそうなところを、、、、、周りに人がいるのでセーブできます。
邱 永漢氏の「お金だけが知っている」という本を、通勤で読んでいます。
通勤時間を使えば余裕で1冊読めますね。また自宅から駅までと駅から会社までと往復40分ぐらい歩くので身体にいいみたいです。
「お金だけが知っている」という本は日本人とは違う視点で描かれているので面白いです。「今の石油高騰や資源競争もさほど心配するにあたらない。お金を持っていて消費する方が立場が強いから」だそうです。
結局、市場を動かしている投機家が(一時的に)儲かって、最終消費者や生産者が振り回されるのかも知れません。長続きするものはないから、数年後は暴落するかも。
著者: 邱 永漢
出版: PHP研究所
ISBN4-569-63277-7
ふとブログを徘徊していたら、栢野さんの講演がYouTubeに上がっていました。
ブログでしか接触がないので、動画を続けてみてしまいました。
講演は3月12日に鳥取県倉吉市で行われたものだそうです。講演だけでなく、喧嘩のシーンもアップされていたので全部で2時間ぐらい見てしまいました(喧嘩は別の会場だね)。
YouTubeは10分間の動画しかアップできないので、分割されています。つづけてみれば問題ありません。
[講演1/ベンチャー大学の栢野][1] [講演2/ベンチャー大学の栢野][2] [講演3/ベンチャー大学の栢野][3] [講演4/ベンチャー大学の栢野][4] [講演5/ベンチャー大学の栢野][5] 講演6/ベンチャー大学の栢野 [講演7/ベンチャー大学の栢野][6] [講演8/ベンチャー大学の栢野][7] [講演9/ベンチャー大学の栢野][8] 講演10/ベンチャー大学の栢野 [講演11/ベンチャー大学の栢野][10] [講演12/ベンチャー大学の栢野][11] トークライブで大ゲンカ!最高! ベンチャー大学の栢野 「ビジネスは殺し合い」という言葉が出てくるが、私の起業失敗の原因はこれだな。
転職して1週間が経った。
身の回りで大きな変化が起きた。
1日のほとんどを自分の会社ではなくて、他の会社で過ごすということになる。
ブログのネタや調査について触れる時間が減った。(^^;
会社でのこともブログで書くことはできない。ネタは事業について語ることが難しくなり考える時間は少なくなるので、家族ネタや自分のネタ、そしてニュースネタということになりつつある。
結果、「日記」ということになる。
どーでもいいですよ♪ と女性コメディアンがいいそうなことで、家庭ビデオをみせるようなことではつまらない。
それはそれでひたすら日記を書くということでもいいかもしれないが。
自分の旅行ネタも、人にはあまり体験のないことなのでと思いながらも賞味期限が過ぎているということが否めない。家族ネタも、子どもが大きくなりつつあるので本人が嫌がっているのでしづらい。
娘は「写真を載せたら、プライバシーの侵害だからやめて」と言われているので載せることができない。アイドル並みの美少女だから、何かチャンスがあればと思うのだけれど(親ばか)。
それ以外にも、一昨日Wiiでゲームをしているのが開き始めていたので、とうとう分解した。分解記事はあったが自分で分解してみないと気が済まない質である。改造して動いて納得。しかし組み立てて済んだと思ったら、画面が現れない。組み立てるときにケーブルを切ってしまったのが、わからない。再度分解しても動かない。
Wii Fitなどのゲームができなくなっちゃった。。。。。
私個人はゲームよりも、ゲームを分解や改造することが面白いのでいいのだが、家族からは白い目に逢っている。
今週末以降に自宅サーバーのハードディスク入れ替え、OS再インストールが待っていて、期待いっぱいなのだが、なんでも新しいことに挑戦するという性分なのかもしれないな。
自分でコントロールできるぐらいのほどほどにしようかな。
#余談だが、Java開発のプロジェクトリーダーでJavaの名付け親であるKim Polese氏が語っているビデオを見た。
http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20369741,00.htm Javaと名前がつけられる前は、Oakであったことは有名な話だ。そのOakが商標で使えないことがわかり、いろいろな名前が考えられた。
その中のひとつがRubyであったそうだ。
Runtime Bytecode という意味だそうだ。まつもとさんが初めてRubyを発表したのは1995年12月だから、ほぼ同時期になる。
「ホームレス中学生」っていい本だと思うけれど、まだ読んでいない。
金スマで見ただけなんだけれど、田村少年のお父さんは私の状況と似ているし、彼がホームレスになったときは放浪旅行しているときと似ているな。
世界中にはホームレスの子どもたち(ストリートチルドレン)ってたくさんいるし、それと近い経験をしたのでね、それよりお父さんの気持ちが伝わってくる。
学生時代に世界中をぶらぶらしていたとき、1日150円で過ごしたこともあった。それは極端だけれど、宿代と食事で1日1000円以内って結構ざらだね。でも現地の人よりはずっとおいしいもの食べていたけれども。でも持ち物は小さなデイパック1つ。
放浪旅行って、お金は少しはあるけれどホームレスとあまり変らないじゃないのかな。
ときどき野宿もしたし、身体が疲れたり汚れたら宿に泊まろうかというときもあったから。
たいていお金を使わずに生きていた。自転車や徒歩で旅行をしていたわけではなかったけれど、放浪旅行なので「今日はどこへ行こうか?」と考えて、別の土地へ着くとまず泊まるところを探す。そのことの繰り返し。次の街に着くのが夜遅い時は、駅で野宿というともある。宿を探すのが面倒なので、移動せずに同じ街に滞在するということもある。
自転車旅行と違ってテントがないので、野宿はつらかなったなぁ。シーツを敷いて寝袋を使って寝るんだけれど、2晩連続の野宿は身体が疲れてできなかった。
お金は持っていたけれど、お金を全部盗まれたときや言葉がまったく通じないときは、田村少年と同じような孤独感を味わったと思う。
それよりもお父さんの失踪感がよくわかる。
次から次へと襲ってくる不幸。真面目に取り組みすぎて、やがて限界を迎える。
もう何もかも嫌になって、「解散!」と言ってしまうくだり。子どもを捨ててしまうなんてと思うかもしれないが、もう自分にはどうしようもできない。あとは死ぬだけだと感じる。
そうなっちゃうんだよね。
その後、田村さんはおとうさんと再会できてよかったね。
みなさんは、過去を記録するときどんな風に覚えているだろうか?
地名や人物名など具体的に文字に起こせる記憶が思いつくことがあるかもしれないが、イメージによる記憶なんではないだろうか?
音やにおいや雰囲気と、そのときの心の持ちようが記憶になっている。
「あれ、前にここに来たことがあるぞ。でも初めて来たのに。」
「この場面って、前に夢で見たことがあるような。」
デジャブ(Deja Vu)の感じである。
人間の記憶装置は具体的な名称は忘れやすいものだが、イメージのようなものはよく覚えている。顔は覚えているんだけれど、名前が出てこないというアレである。また記憶することを増やそうと思うときは、イメージを描いてイメージに出てくるモノに関連付けると、たくさん覚えることができるという記憶術もある。
このデジャブは、ほとんどの場合イメージ記憶を再現したものだと思うんだが、どうだろうか? 私はそのイメージを関連付けることが好きで、ときどき「あっ、この感じ、前にあったよな。いつだったかな。あっ、あのときの。」
この1週間、 通勤していると刺激を受けることが多く、そういう場面がたくさんあった。
地下鉄に乗って30歳前半の女性の香水を嗅いだとき 都心のゴミの回収の朝に散らばっているゴミをみたとき 隣の席で仕事の議論をしているとき 夜遅く地下鉄の駅から歩いて帰りシャツが汗びたびたになったとき
等々 なぜか不快な記憶ばかり思い出すのだが、遠い昔の思い出と感じる。良くも悪くも自分が歩んできた人生である。金持ちも貧乏も、立場も関係なく、平等に時を歩む。
一人で仕事をしていると、刺激を受けるのがインターネットか自分自身(内省)になりがちであるが、こうして普通に社会にもまれて適度に刺激を受けている方が楽しい人生かもしれない。
実家の両親がみんなで小旅行をしたいということで、知多バスのカモメツアーという日帰り旅行に家族で参加することになりました。久しぶりのバス旅行は小中学校の遠足のようでした。
当初は両親と妹の家族が行く予定でしたが、「我が家の娘はどう?」と尋ねたところ、我が家4人が一緒に行くことになりました。バス1台のツアーですが、総勢9名となりました。
両親 妹と妹の娘11歳と息子8歳(妹の夫を除く) 私と妻、そして娘12歳と息子9歳 旅行といえば、これまで車で家族で行くことが多かったので、親戚一緒に移動するのは初めてかな。いとこどおしは一緒に旅行へ行けるのがうれしいみたいです。女・男それぞれが年齢が近く、相性があうようです。
小旅行は、静岡の駿河湾クルーズとイチゴ狩りがメインでしたが、生憎の暴風雨のため駿河湾クルーズはなくなってしまいました。でもイチゴは石垣イチゴの「あきひめ」という細長い品種でしたが、すっぱくなく甘くおいしかったです。2000円分ぐらい食べたかもしれません。
途中いろいろな土産物屋に寄りますが、強制的に買わされるという雰囲気はなく、逆にバスの中で土産物屋の商品を少し無料で配ってくれます。帰るころには袋一杯のものが集まります。お得感があります。そう思うとバス旅行というのも悪くないですね。家族で行くと運転手は私一人なので疲れてしまいますが、家族と一緒になって楽しめるし、道や駐車場を探す手間も省けるのでずいぶん楽です。
今日1日、家族と一緒に過ごしました。
両親、妻、娘と息子、親戚と一緒にすごしたのでみんな喜んでくれたと思います。私も家族と一緒にいて安らぎを感じ落ち着いた時間を過ごしました。
でも、なんか普通の日々をおくっているようで納得がいかないんですよね?。
平凡な公務員的というか大企業的というか(公務員の皆様、大企業の皆様、ごめんなさい)、フツーの日々でおもしろくない。
こうして家族に対して裏切らない姿勢が家族と信頼関係を保っているようで、贅沢な悩みかもしれませんが、死ぬまであと数十年このままでいいのだろうかと思うとちょっと考えてしまいます。
まあ日々の問題をひとつずつ、できるだけ早く正確に解決していけば、それはそれで刺激的なのかもしれない、 と考えよう。
娘の卒業式がありました。
娘は2学期から転校してきて、わずか7ヶ月の新しい学校生活でしたが、すっかり慣れたようです。友達もたくさんできました。転校前の小学校の友達とも、メールでやりとりをしているようです。
しかしこちらは「名前を言っても自分のこと忘れられている」と不満を言ってもしかたありません。両方で友達を持つのは、ちょっと贅沢というものです。片方に力を入れた分だけ、片方は忘れられていくものです。
会社の方を半日休みをもらって、妻と小学校の卒業式に参加しました。
娘に「卒業式はみんな着飾ってくるんだから。卒業式用の服を買ってね。」と言われていました。私が卒業式の時はなんだっけな、中学生の学生服を着たっけ?そんなに着飾った感じはなかったような。
妻は日本のことはわかりませんので、娘の言うがままです。
それどころか、「お母さんは卒業式のときどんな服を着るの?」と私に聞かれても、男はビジネススーツを着て行けばいいのですが、女性が着る服はわかりません。「ちょっとした礼服でいいんじゃない?」「でもそれって、葬式のときに着る服では?」とお互いにわかりません。
結局、幼稚園の卒園式に着た服をビデオを見て確認して、やっと納得。
そんな状態で小学校へ行きます。
ここ陽明小学校の卒業式は、現代風というか場所柄か、結構よかったです。
卒業生の入場は、いきなりひな壇の左右から一人ずつ登場です。
そして、卒業証書の授与を一人ずつ名前を呼ばれます。長ーいセリフは最初の一人だけ。
式辞は、校長先生とPTA会長だけで短め。市議会議員や国会議員の選挙目的のものは排除されています。
しかし子どもたちは、みんなこのときとばかりおしゃれでした。中には袴を来ている女の子や、髪を複雑に編んだ女の子も。ちょっとしたファッションショーです。男の子と女の子は、精悍でまじめな感じ。
卒業式のメッセージや在校生のメッセージも、歌を交えて楽しそうに。
最後に卒業生を見送る時は、わざわざ保護者の周りを一周まわって出ていきます。在校生は「天空の城ラピュタ」を歌って送ります。
式が終わったら、娘たちはお互いにケータイで写真を撮ります。そのあとは、イタリアンレストランで食事なので、私たちは一足先に自宅に帰りました。
(写真は学校のシンボルである、「ふたばのこ」石像が卒業生の姿になっています)
校歌も歌いやすく、わずか数カ月だったけれど娘はいい学校へ通ったんだなと思いました。