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妻とドラマ「高校教師」

日曜日に妻とドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見ていた。 すると桜井幸子さんが、主人公の夫の大学時代に思いを寄せていた女性という役で出演する。彼女をいつも見ると小柄の薄幸の美女に見えてしまう。 そうだ、妻との結婚を駆り立てたのは、桜井幸子さんが主演していた1993年TBSドラマ「高校教師」だったんだ。当時は人間嫌いで科学の真理しか関心がなかったのに、数えるほどの出会いしかないのに、フィリピン女性と結婚に向かわせたのは、このドラマが影響を及ぼしていた。 あれから私と妻の人生も大きく向きを変えて転がり始めた。 放映当初はドラマに興味がなかったので見なかったが、そのスキャンダルなストーリーは雑誌の記事で知っていた。純真無垢でありながら、陰のある感じがたまらなく惹きつける。ちょうど1993年の秋に午後4時から再放送されていた。そのときの自分の人生と重なり、どう行動するべきかヒントを与えてくれるような気がして、録画したものを2度3度見ていた気がする。 私が妻と出会ったのは同じ年の夏。 スクーバダイビングの行き先を変えて立ち寄った先のホテルで、たまたま会っただけだった。当初はダイビングは1日2回しかダイビングをしないので、お昼すぎと夜が暇になる。正直にいえば、かわいい女性を通してフィリピンのことを知りたいと、少しちょっかいをかけたにすぎない。プラトニック以上のことはまったく考えていなかった。 妻と最初に出会ったときも、泊まっていたホテルで妻がウェイトレスとして働き始めるときだった。そこでは10日ぐらい滞在したと思うが、私が朝と晩は同じレストランの同じテーブルに席を取った。5日目くらいに彼女たちが練習生として、レストランの仕事をじっと眺めていた。そのときに声を交わしたのが最初だった。小柄で小さな顔は真っ黒で、強いまなざしの目が輝いていた。青いTシャツを着ていて化粧もせず飾らない、高校生くらいの雰囲気だ。 そのときの彼女のとの付き合いは、ダイビングが終わって彼女がオフのときに何度か、おしゃべりをしたぐらい。いままで外国を旅行したのは30カ国以上だったが、その外国人の生活まで踏み込んで知ることはなかったので、いい体験になるぐらいにしか思っていなかった。日本に帰る前の最後の夜のデートでぐっと抱き寄せて、キスをした。それだけの関係だった。 当時のフィリピンは携帯電話どころか地方には電話もない時代。彼女とはそれから友達として何度か文通をするようになる。手紙で彼女の家族や置かれた状況を知ることができた。  私は帰国して、大学院の入試に合格した。入学前だが、大学のそばに引越しして研究を始める。そのとき、「高校教師」の再放送が始まって、テレビをつけたら3話目ぐらいだった。 主人公の羽村は大学に残って研究職を目指すが、教授に論文を盗作されたりいろいろあって、女子高の一時的な講師となる。いづれ大学に戻って研究を続けたいと考えている。偶然であった女子高生、二宮繭は父との関係に悩んで助けを求めている。そんな二人が恋に落ち込んでいくが、破滅的な恋であった。  研究を続けながら、一方で妻と文通をする。妻の状況をだんだん知ることになる。 「いまの仕事を辞めるには、いくばくかのお金を借りているのでできない。」 「近所に住む40過ぎの子持ちの男がストーカーのように良く訪ねてきて求婚してくれと言って来ている。」 自分の生活の状況を伝える手紙で、お金の無心はなかった。ただ手紙の最後に必ず「あなたとあなたの家族が幸せであることを祈っています。」と書き添えられている。 私は当時の状況が主人公の羽村に重なり、妻は高校生に見える風貌や素朴さから二宮繭にダブる。私は研究の道を捨て企業に入りながら、企業の道に幻滅して再び学者の道に戻ろうとしていた。 妻のことを手紙を通してしか知ることができない。 妻はフィリピンでどんな生活をしているのだろうか、大丈夫だろうかと気になった。 妻が勤めをしているのも家族に借金があるからで、そのために親の犠牲になり無理やり結婚させられてしまうのかと考えた。 情報がないと勝手に妄想が膨らむ。だんだんじっとすることはできなくなる。 次にフィリピン旅行するときに使おうと思って残した1000ペソ(当時4000円ぐらい)を封筒に包んで送ったりもした。途中で誰かの懐に入り、妻に届かなかったが。

大高緑地

日曜日は家族の日。 名古屋市緑区にある大高緑地へ行きました。名古屋市といっても、東海市や大府市に近く名古屋の都心から離れています。国道一号線沿いにあり、自宅からは車で30分以上かかりました。 「人の来ない寂れたテーマパーク」という感じがしました。 冬だから人が少なく、そう感じたかもしれません。建物も施設も駐車場も、老朽化していました。 私は小学校の低学年のときに良く来た記憶があります。ゴーカートに乗ったり、プールに言ったりしました。もう35年くらい前ですね。それ以来、建物が変わっていないような。 子どもたちが「ぼくたちの夏休み2」やDSの「放課後少年」を楽しんで遊んでいます。ちょうど私の子どものころの話で、子どものときに遊んだことや景色がそのまま出てきます。懐かしいという感じでゲームをしてみたりするのですが、娘や息子がそれを楽しんでいると、時間を共有した感じでうれしくなります。 でもこの大高緑地公園では、息子がゴーカートに1回乗っただけ。息子は楽しいといっていましたが、古ーい、遠ーい記憶の話なんだなと思いました。妻が4/29にフリーマーケットがあるというちらしを見つけたので、もう1回来るかもしれませんがもうあまりこないかもしれません。 これだけでは物悲しいので、帰りにイーオン熱田店に寄って帰りました。

【本】闇金ウシジマくん1

<p> <img src="http://www.buzz-pr.com/img/isbn9784091873415.gif" border="0" alt="" /><br /> 献本をありがとうございました。 </p> <p> 闇金会社を運営する丑島と社員、そして闇金からお金を借りる人の話である。 </p> <p> 闇金という非法な組織の実態とそこからお金を借りる人の実態を明らかにしてくれる。 </p> <p> 私たちはギャンブルにはまったり、ブランドものを買いあさったり、見栄を張るために、お金を使う。しかし現実的には貯金がない。でもお金がほしい。最初はクレジットカードから借り、それができなくなるとサラ金で借り、それもできなくなると闇金に走る。冷静に考えれば、闇金で借りればもう返済は無理だ。でも目先の欲でコントロールできなくなって、ついついお金を借りてしまう。 </p> <p> そして後でその失敗に気づく。<br /> 気づいたときには手遅れで、もう後戻りできない。 </p> <p> このマンガはその実態を教えてくれる。事前にマンガを読めば、闇金の触れることよりも恐怖が先になって抑えられるかもしれない。 </p> <p> そして、闇金に潜む人の本当の人間性を暴いてくれる。彼らは非人間的に人をはめ、落ちるところまで落としてくれる。しかし、それは私たちの悪い面を写したものであり、私たちはそれをみて自らの非人間性を再発見する。 </p> <p> &nbsp; </p> <p> さて世の中は、クレジット業界、銀行まで借金を推奨して、お金を貸している。モーゲージという考えが流行して、私たちの人生を借金まみれにして自由を奪い取っている。 </p> <p> クレジットという意味は信用という意味だが、実態は借金だ。<br /> クレジットカードといえば 本当は借金カード。ローンは借金という意味そのまま。<br /> 借金という言葉が潜在的ユーザーの感にさわるので、言葉をやわらかくしている。 </p> <p> サブプライムローンだって、サブ(副)・プライム( 第一の)という意味だが、セカンダリーローン(二流の人たちの借金)という言い方をしたら嫌がったかもしれない。オブラートにつつんで提供して、うまくいかなくなると騒ぎ出す。 </p> <p> 生命保険だって、実質は「あなたが死ぬのに1000万円かけますよ。その代わり死ななかったら毎月1万円くださいね」という賭けを事業としているのと同じだ。それに所得控除がかかるのはよく考えてみると不思議な話である。 </p> <p> 私たちはきれいにみえるCMや宣伝こそ、オブラートに包んだ必要悪か悪いものであることを意識しなくてはいけない。<br /> そんなことをマンガを読みながら考えた。 </p>

確定申告の修正

2/8(金)に確定申告をe-Taxで送付したら、2/14(木)に税務署から電話があった。 住所を引越ししたことの確認と、昨年度の確定申告の損失の計上のしかたと医療費明細にについてであった。前者は「名古屋市瑞穂区へ引っ越されたんですね?」「はい、そうです」で終わる。 後者はちょっと長引いた。30分近く教えてもらったであろうか。要点をまとめると、 昨年度はほとんど仕事がなく、経費や妻(専業従業者)の給与を引くと、70万円ぐらいの赤字であった。青色申告は3年間赤字を計上できるのだが、私は今年はたいして利益がないから来年度にまわすつもりで確定申告をした。 すると、「自分の指定した年で計上できるわけではありません。今年に黒字があった場合は、そこから0になるまで引かれます。」ということだ。 うぅ、私や家族の扶養控除を引く前に、所得の赤字を減らすのか。。。。 そして、電話で確定申告のこの欄とこの欄をこう直して、、、、と指示された。メモっていったが、電話でよく理解したかどうかわからない。まあなんとかなるだろう。 結局赤字は今年で解消することになって、、、、結局所得税は0となった。 一部の収入が10%天引きされているものがあったので、それが還付される。 e-Taxのよる電子申告による5000円の控除も必要なくなる。 結局扶養控除を全額使うことなく、医療控除も全部計上しなくても、所得0円。 帳簿上は、昨年は何をやったんだろうかということになった。 もうひとつの医療費の明細も、医療控除を計上してもしなくても変わらないのだが、一応明細を書いておくことにした。昨年は医療控除が多く24万円ちょっと。明細を調べてみたら、私と娘はまったく医者にかかっていない。あれ、意外と健康じゃん。親の遺伝に感謝。ストレスで血便が出たり、うつ状態になったのになぁ。 息子が広汎性発達障碍の医療と薬で7万円ほど。虫歯の治療と歯の矯正で14万円。妻が風邪や歯の治療で3万円。うぅうぅうぅ。まあ大きな病気じゃないから、いいかぁ。明細の申告はe-Taxを使うと、書類の郵送は必要なくなって、手元で保管すればいいらしい。だけど、かえって面倒になったんじゃない。明細を1つ1つ、e-Taxのフォームに手で移し変えなくてはいけないから。こんなことなら、明細を郵送で送った方が時間がカカラナイヨ。この点は税務署に改良を求めたい。 結局私は所得税0なんだけれど、妻も所得税0、ただし、事業税と地方税は妻が少し払うことになる。  でも本当は、株の源泉分離課税で譲渡益が350万円あって、それの所得税が20万円、地方税が10万円ぐらい払っているんだけれどね。だから生活保護は受けられない。そしてこれも確定申告でまとめてしまうと、地方税が増えたり健康保険が増えそうなのでやっていない。 ただし、1月に200万円の損を計上して、さらに含み損は300万円ぐらいあるから、本当は儲かっていない。税金返して!といいたいんだけれどぉ。株の損は株で取り戻さなきゃいけないみたい。トホホ。  

第3回地域資源バンクワーキンググループ

愛知県産業労働部商業流通課の地域資源ワーキンググループの会合に出かけました。 まったくのボランティアでやっています。あいちベンチャーハウスで自転車を借りて20分ほどえっちらこっちらと、寒いけれど気合を入れて行きました。朝はちらちら雪が降っていましたが、止んでよかった。 この地域資源ワーキンググループの会合は3回目になります。たった3回でしかもそれぞれ2時間ずつなので、どのようにまとまるかなと思っていましたが、関戸さんはじめみなさんプロですね。足を引っ張ることなく、それぞれが自分の立つ位置と専門性を打ち出してうまくまとまっています。 目的は、来年度後半にも「地域を活性化させる」ための情報交換(インターネット)サイトを立ち上げることです。インターネットという技術や媒体だけでなく、実際に血の通った交流を踏まえて、滞りがちな情報をどうやって流していくのかということが大切です。 私はバーチャルな世界にいるので、Kさんの商店街の話は刺激的でした。 大型店舗や車の発達で、駅前商店街というのが寂れているというのは全国的に当たり前の状況になりました。シャッターが下りているお店をどうやって開店させて、商店街を活性化させるかということをいつも考えているのかなと思っていました。しかし実態はお店のオーナーが、シャッターが下りたお店を貸したがない例が多いということでした。貸さなくてはいけないほどお金に困っていない、貸すことによるトラブルを避けたい、自分が失敗したお店で他人が成功するのは嫌だという理由らしいです。 まあネットといっても、実際には人間どおしが交流するのですから、いろいろな制約や問題が発生します。でもだからこそ、インターネットという媒体に従来とは違う期待を求めているかもしれません。 こんなブログでも、これが元で知り合うことのできた人がいます。 悟空さんや有田先生とは偶然に再会することができました。 またインターネットでたくさんの優秀な人と情報に会うことができて、仕事にも役立っていますし、知識も深めています。 もう一度いいますけれど、こんなブログでも少しはみなさんの役に立てるのはやっている意味があるかもしれません。 今日のテーマは、具体的にそのサイトに載せる情報や運営について調査をするための調査の話でした。Tさんからは、canpanという日本財団のサイトの紹介がありました。船舶振興会の関連団体である日本財団がいろいろな補助金を提供してくださっていますが、サイトも運営しています。 https://canpan.info/ ここが使いやすいものになってくれれば、そこで運営するのが一番いいのですが、、、、 ただ広くあまねく誰でも使える最大公約数的なものだと、使い勝手がいいものかどうか心配です。かといって潤沢に予算があるわけでもないので、オープンソースのSNSか掲示板をカスタマイズして使っていくのが一番いい気がします。 私からは、前々回に熊本県八代市の職員が運営している「ぐろっとやっちろ」を紹介させていただきました。たまたま八代市の職員がスーパーなプログラマーで空き時間でSNSをつくってしまったというものです。そして今回は、Craiglistを紹介しました。主としてアメリカで成功している、ネット個人広告サイトです。新聞の個人広告CLASSIFIEDをネットに載せた、「買います/あげます」「家を探しています/家を貸してもいいです」という個人広告がベースです。日本ではあまり知られていませんが、月間ユニークで3000万人がアクセスします。これでアメリカの地方新聞はかなり広告費収入が落ちました。 他にもOpenPNEやMyNetsというSNSが思いつきましたが、SNSは会員にならないと情報を見ることができません。会員にならなくても情報を見ることができて、会員になれば情報の書き込みと会員限定の情報にアクセスできるのはないかなと思っていました。  結局、掲示板でいいのではという気がしてきた。 phpBB3やSimple Machines Forumは投稿するとき、ユーザー登録する必要がある。あとは、特定の文書フォームのカスタマイズや検索ができるかどうかであろうか? それが難しい気がする。いっそ、Xoopsなどを使ってカスタマイズするのがいいのか? とりあえず私は開発者として参加する予定はないので、勝手なことを言っている。 しかしこんなこと書いてもいいのかな(一応詳細は避けてぼやかしているけれど、リークだよね。問題があったら消します)。地域を活性化して有意義な情報交換ができれば、こんな素敵なことはないので応援します。

設計書類の作成

ここ数日いくつかの設計文書を作成している。 少し前はプログラムばかり作っていたが、文書としてまとめる必要があるので設計書を作成している。違う種類の仕事だなぁ。もともとはプログラマーではなくて、コンサルティング業から入ったので設計書もどちらかというと自分流のものだ。 最初に入った会社はMETHOD/1と呼ばれる数百種類の形式からなる膨大なシステム設計書類による開発論があったので、それを学んだ。まあたしかに共通言語として役に立つし、お互いのコミュニケーションの手助けになる。だけどオブジェクト指向の考え方が導入されるとバージョンアップして、さらにスパイラル方式の開発やアジャイルの開発手法が入ってどうなったのだろうか、それ以後は知らない。 たぶん設計文書っていうのは、作ったものの決して読まれない性格のようなものの気がする。お役所だと設計書の枚数や綴じたバインダーの重さでお金をもらうようなものだからね。誰も読まない設計書はその量に圧倒されて値段が決まる。量が質に勝る。 このところのスクリプト言語は、前提条件が少ないので同じことをするにもプログラムの量は少ない。オープンソースなどでライブラリを使うことができればさらに量が減る。量を減らすことが品質につながる。下手なプログラムを書くよりは、ライブラリをそのまま使ったほうが安定していてバグが少ない。 そうすると設計書そのものが、かなりソースプログラムに近くなる。意味のある変数やメソッド名を使っていれば、プログラムの意味するところは設計書がなくてもソースプログラムを読めばわかる。そもそもソースの変更が頻繁に行われれば、それを設計書に反映するのも大変だ。 だから要件定義(要求定義)や外部設計書(システムの大枠)は方針を決めるために必要だが、内部設計書(プログラムやデータ定義など)は開発後がいいのかもしれない。多人数でプログラムを作るときはお互いにコミュニケーションをとるために、内部設計で決まりつつあるもの仕掛かっているものを話し合うことが必要だろう。ただ、簡単な紙切れ1枚と話しあいでいいのではないか?  さてコミュニケーションをとるために必要な文書であって、設計文書を作るための仕事のための文書ではないので、どうやってつくろうか? 今は新しい仕事になるかどうかわからないがシステムの設計に関するもの3?4種類。そして終了しつつある仕事の設計書1種類を作っている。 まず何を伝えるべきかを考えるところから始まる。 自分の主張するところ、必ず伝えなくてはいけないところ、そういうものをマインドマップで列挙していく。集中して考えが出てくる場合もあれば、後でコーヒーを飲んでぼぉっとしているときに思いつくこともある。 マインドマップは、FreeMindを使っている。Javaで作られているが今のパソコンでは十分早く動作する。大昔はActaのようなアウトラインプロセッサを使っていたが、アウトラインは1次元だがマインドマップは2次元なのがよい。最近マインドマップは廃れてきたなぁ。私自身は実は高校生のときからマインドマップを使っていて25年くらいになる。高校や大学のノートで友人や先生から、「何?これ?」と言われてきたがいい時代だ。ただマインドマップの使い方としては正統派でないかもしれない。 マインドマップに書き出していると、「ここはここにつなげたほうがいい。ここが足りないので足そう。」と、だんだんと考えがまとまっていく。論理の推敲にはうってつけだと思う。それで文書として提出できれば一番いいのだが、いまのところそういうわけにはいかないので、それをワープロなどに書き出す。自動的に書き出すのは市販のMindManagerでもまだまだだと思うので、ほとんど手作業だ。このマインドマップから、テキスト、HTML、PDF、JPEG、XMLなどどんな形にでも書き出せるのだが、人が読む文書には程遠い。 そこでワープロに移すのだが、時間があればわかりやすい図にする。図を書く時間がなければ表にする。その時間もなければ文にする。まあ文にすると、正直自分でも読みたくないようなものになるのだけれどね。文にする場合にしても、なるべく箇条書きで文の長さを短くする。情報に向き不向きがあるので、全部そうするわけにはいかないものね。 図>表>箇条書き>文 これはコンサルティング時代に上司が教えてくれたものだ。図は凝った画像などを使って見た目がきれいであればあるほど、情報がまとめられていることが多い。情報をそぎ落としているからであるが、ただ末節の大切なデータが落ちている場合もあるので注意が必要だ。 UMLはシステム開発の設計図として使われるんだけれど、、、これもMETHOD/1の欠点を踏襲しているような気がして、、なんか現状にそぐわないんだよな。というか使えるのがクラス図とシーケンス図を必要な個所で使うぐらいのような気がしてならない。 プログラムからJavaDoc(RDoc)のように仕様書を取り出せるんだから、 あまり必要と感じないのは小規模の開発ばかりしているからだろうか? そして、マインドマップやアウトラインプロセッサはまとめることはできるんだが、新しいアイディアは意外にも出てこないんだよね。帰納的推論はできるんだけど、演繹的な創発ということが難しい。 

【本】心はプログラムできるか

心はプログラムできるかAmazonで購入 書評/IT・Web 人工知能に関する本だなと思って手に取ったら、少し異なる分野の人工生命に関する本だった。ソフトバンク・クリエイティブの新書で軽い気持ちで読んでいたが、ひとつずつ理解して読むのに時間がかかってしまった。いやまだ理解したわけではなく、内容を頭に入れたぐらいにすぎない。 内容は軽くなく、大学か大学院の半期1コマに相当する量ではないだろうか?軽く流しているだけだが、1章ずつ検証していって、そのたびにプログラムを書くような演習があったら、大学院レベルではないだろうか? 私がこの本を語るには私の半生を少し語ることになる。 実は私はこの本の著者、有田先生と面識がある。ちょうど会社を休職して大学院で人工知能関連をもう1回勉強しなおして、学者の道へ進もうと思ったときだ。私は大学時代にお世話になった先生のゼミにいたが、なんどか同じ大学院で同じ校舎にいた有田先生の研究室を何度か訪ねた。 私も会社に就職して直後だったと思うが、アメリカへ研修へ行ったときにたまたま見つけた本が"Artificial Life"だった。ニューメキシコのサン・ファンで1987年頃に"Artificial Life"の第一回の会議をまとめた本だった。英語で500ページの本だったがむさぼるように読んだ。しまった、僕の進む道はここだったと直感して、それから3年後に大学院に入りなおした。 脳の中でどんなふうに知識や知恵が構築されていくのかが知りたかった。 そのためにエキスパートシステムが考案されたが、人が後付した知恵だからどうも違う?もともとはそれが知恵だとわからないままに知恵が構成されたんだ。でもどうやって?蟻の巣や餌を探す話が参考になり、Brooksが6本足の昆虫模型を作ったことで思いついた。 そうだ!ミンスキーが心の社会という理論というのは正しいように思える。だったら、脳の中の一つ一つの最小の思考因子は単純なことをするだけで、それが生命のように知恵が成長していくに違いないと。まあ発想するのは簡単だが、それのモデルを作ったり証明していくのはとてつもなく大変で、Lispでモデルをつくるにしても時間がかかるだろうなぁと思う。いまでこそGoogle,Sun, Amazonのネットワークコンピュータティングでいけば、シミュレーションも速度に任せることができる(お金はかかるけれど)。 そんなことを考えて、有田先生の門を何度か叩いた。当時は先生は若くて抱えている学生もいなくて気楽に訪問を歓迎してくれた。私は人工生命ではなくて、本当の生命(娘)ができてしまってその道を外れてしまう。先生の名前を聞くのはそれ以来だった。 この本は先生の講義を聞くような感じで、一言一言かみ締めながら読んだら、手に入れてから半年後に読み終えて書評を書くことになってしまいました。  話が逸れてしまいましたが、最初は身近な「人工生命」の話題から始まる。 社会現象ではあるがその最適な答えが見つけにくい問題がある。優良企業として知られるサウスウエスト航空が航空貨物を運ぶ場合に、どのようにルートをつくるのが一番コストが安く短時間で運べるかという問題を解く例である。これは巡回セールス問題と言われ、通常のアルゴリズムでは解けない問題である。長く数学のグラフ理論という一分野で研究されてきた問題ではある。 一番の答えは出るかどうかわからないが、ある程度のよい答えを出すことは可能である。それは蟻が餌を運ぶルートを導き出す方法で解くことができる。蟻はフェロモンを出しながら歩くので、餌を運んでいるうちにだんだんと最適になっていくので、よりよい答えが見つかってくる。蟻自身は答えを知っているわけではない、結果としてそれが答えになるのだ。 本ではそのフェロモンの考え方を発展させて、言語の発展について考察していた。 また生物を進化するのを観察するのは人間が生きている時間では観察できないので、シミュレーションという形で人工生命では進化させることができる。誕生してその子どもが誕生するのを1秒間に何千・何万という単位で繰り返す。その間に、交配をさせて遺伝子の交換をしたり、わざと突然変異を起こさせる。それが環境に適合するかどうかを、条件式で導き、本物の生命のような現象が起きるかどうか見極める。それが生命の歴史として信頼度が高ければ、そのモデルは実社会で生命が数年後どうなるか逆に判断できるんだ。 生命だけでなく、私たち1人1人が生命だとすれば複数の生命から構成される実社会もまた、人工生命のモデルのひとつとして社会を捉えることができる可能性もある。 人間の感情についても、人工生命を応用したよいモデルができるかもしれない。 すべてのことがコンピューターのアルゴリズムで表現できるとは思わないだろう。だけどそれに挑戦しなくては、複雑なことを解明するにはまず第一歩として足をしるすことが大事だ。実際にコンピューターで解明するときのモデルについて触れることができる上ではよい本だと思う。通常のシステム開発ではまず出てこない、コンピューターの使い方について触れる貴重な本のひとつであると思う。 たった200ページ余りの新書だったが、私にとっては深い深い1冊だった。

起業をとりやめたきっかけ

「さてこれからどうしよう」と事務所で考え事をしていたら、だんだん凹んでいきました。 いくつかのプログラムの設計書を書かないといけないのですが、、、 なんでわざわざ変なことを書くかって、ブログに書くことで忘れることができるんです。ブログに書き留めると、「ああこれで脳から忘却することができる」と思うんです。実際に書いたことで細かいことは忘れています。薦めた本やソフトやいろいろな情報も、頭の中ですっかり忘れていて、Google で検索することがあります。  「キーワード site:plaza.rakuten.co.jp/solis/ 」とタイプしてリターンで実際に検索しています。 まあこのブログは個人で起業する方か起業を考えている人を対象に、成功談か失敗談でも参考になればいいなと思って書いています。1月末の段階で「失敗した」ということですので、こうした道を避ければ成功するかもしれません。  まず起業をやめるきっかけの前に起業をするきっかけです。家庭の事情で名古屋で仕事をすることになりました。確定申告のおりに平成15年2月のガラス屋の領収書を見つけました。2月だけで家のスリガラスが3枚割られました。息子がたんすからジャンプして1枚、娘が息子に対してのストレスで蹴っ飛ばして1枚、最後に妻が風呂場のガラスにものをぶつけて1枚。「もう一人で息子の面倒をみることができない。息子を殺すかもしれない。」と妻が言ったので、単身赴任状態の仕事は社長の許可を得て家で仕事する比重を増やしました。それから社長との関係がギクシャクしだしたかもしれませんが、2年後に結局退職することになりました。 名古屋に戻ってももうすぐ40歳の私によい就職口は見つかりません。 貯金が3年分の生活費が貯金でありましたので、起業してみようと思いました。アイディアはいろいろとあったので、それでソフトを作ればなんとかなるかな、コンサルティングをすればなんとか食べていけるかなと軽い気持ちで考えていました。 そのとき、「貯金の底がつくまで」を期限に自分に課しました。 株になっていた資金の一部は、完全に底をつきました。資金とは別のお金で信用取引の保証金も足らず妻からマンションを売却したお金も借りることになりました。それが起業をやめるきっかけです。 もっともつくったソフトウェアでどうビジネスにしていくか、お金にしていくかがわかりませんでした。 ソフトを作って提供することで事業家したわけですから、その目的を変えてまで事業を続けていく図太さはありませんでした。さてこれからどうしよう!?   

スーパー銭湯 天の湯

妻はときどきスーパー銭湯へ生きたがる。 今回は近所のスーパー銭湯へ行くことになった。 歩いていくには少し遠いが、車で10分ちょっとのところである。 天白区植田にある、「植田トロン温泉 天の湯」である。 http://www.supersentou.com/2_aichi/0201_tennoyu.htm 住宅街の真ん中にあるのでわかりにくいのですが、地図を見ながらいくとありました。建物の1階が駐車場になっています。入り口に靴箱があり、2階へ緩い階段を上っていきます。自販機で入場料の切符を買う。大人500円、中学生以下300円です。 入口で番号のついた鍵を渡される。 「ロッカーは息子さんと同じでいいですか?」と尋ねてきたので「ロッカーは大きいですか?大きいならばいいですよ。」「はい、普通のところより大きいと思います。」 実際にロッカーは大ききかった。 建物は古い感じがしたが、着替えをするところも広かった。 サウナとミストサウナ(霧のサウナ)、露天風呂、ジェットバスなどがコンパクトにまとまっていて、そんなに広いわけではない。銭湯よりもちょっと広い感じだった。 受付の隣に、応接セットのような立派な椅子があり、高級な雰囲気がある。そしてちょっと高めの自販機がおいてありゆっくりすることができる。でも妻には不評だったなぁ。

名古屋は初雪

名古屋は初雪でしたね? 雪が降ると寒い感じがしないです。吹雪くとそうでもないのですが、冷たい風が一番寒く感じますよね。 今 朝9時過ぎに出かけるときは雪が降り始めたのですが、まさか13cmも積もるとは思っても見ませんでした。事務所の窓から駐車場が見えるのですが、どんど ん車の上に積もっていくと「帰るときはどうしようかなぁ、地下鉄で帰るのかなぁ」と思っていました。覚悟を決めてお泊まりでもするかとも思いましたが、や はり1人でいてもつまらないので帰ろうと思います。 あいちベンチャーハウスって、土日祝日夜で残っている会社って意外と少ないのです。それ どころか客先に出ているのか、いつも人がいない会社もあります。ベンチャー会社って、泊まり込みで開発っていうイメージを持っているのですが、近頃のベン チャーは違うのですかね。ここにいてもベンチャー精神(古い?)による切磋琢磨を感じることもできないので、退去する理由のひとつでもあります。独身だっ たらたぶん会社で寝泊りしてやっていると思いますが、、数年前まで東京のベンチャー会社にいたころはそんなことしていましたから。 退去するということで、張り詰めていたベンチャー精神がふわぁという感じになっています。毎日よく眠れます。家に帰ったら仕事のことを考えません。えへブログも事務所で朝に書いています(今日は別)。 プログラム開発はずっと寝ても起きても考えていたのですが、ちょっと冷めた目で見ています。ときどき忘れます。 それで今日は久しぶりに(事務所で)ゲームをやりました。 こんなことやっていちゃいけないけれど。 8 時過ぎに帰途につきましたが、もう雪は止んでいました。がんばって車で帰りました。自損事故はいいのですが、他の車にぶつからないように。主要道路は雪が 解けていましたので走りやすかったのですが、駐車場では車が滑らないように駐車するのがやっかいでした。そして雪が固まってこぶをつくっているところもあ りますしね。 さてそろそろぼぉーっとしている状態から目を覚まして、やらんといかんぞい。 (だんだん娘のブログに似てきた)