昨日の中日新聞に学力の2極化について記事が載っていた。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20060226/mng___\__sya_____002.shtml
(共同通信)
http://www.excite.co.jp/News/society/20060225120910/Kyodo_20060225a438010s20060225120912.html
ネットのニュースでは詳細が省かれているが、新聞では以下のように書いてある。
平均程度の学力の子が減って下位層が増え、上位層との二極化傾向が進んでいる。親の経済格差がそのまま子どもの学力に影響を与えていると感じる。その理由は、親が勉強の面倒を見る余裕がない、生活自体が成り立たない、親が成績に感心を持たない、塾や参考書に関心を持たない、からだと言っている。
裁判における子どもの養育補償について調べたとき、驚いたことがある。
子どもが高校卒まで補償するか、大学卒まで補償するかという点であるが、親の最終学歴と同じ程度でよいとのことだった。
今になって思うと、親の教育に対しての考えるところと、子どもの最終学歴は相関関係があるように思う。親が教育について考えているところは、子どもが学ぶ点について真剣に考えていると思う。私は子どもが自分で選ぶのならば、高校卒業でも構わないし、大学までいってもいい。学費の安いところを望んでいる(私の親と同じことを言っている)。程度のあまりよくない大学へ行って遊ぶぐらいならば、やめておけと思うだけである。
小学生の娘の友達が、「私はお金がかかるから大学へ行かない」と言っているのを聞いてショックを受けた。大学へ行くのはお金がかかる。しかし、お金の基準で大学へ行って学ばないという基準を設けて欲しくない。大学に入って学ぶことで、その後の人生が大きく変わるならば、ぜひ大学へ行って欲しい。価値のある進学ならば、数百万の借金ぐらい、すぐに取り戻せるはずだ。
マサチューセッツ工科大学は、1年で400万円ぐらいの学費がかかるそうだ。MBAのコースや、医科大学も同様だろう。学生の多くは学費ローンを組むそうだ。卒業するまでに1000万円以上のローンを抱えて、就職するそうだ。
ただ、日本の大学も学生が少なくなるので、変な競争を始めているようだ。やたらと大学院を設けている。本当にきちんとした教育をすることが可能であろうか?
二極化の話に戻るが、これはどうしようもないことである。
ただ、これまでの日本は世界でもっとも成功していた「社会主義」国家だったので、それが世界の資本主義の荒波を受けて、二極化をはじめとするさまざまな形に変化しようとしている。経済格差も同じである。中国や東南アジアでは、同じような仕事をしても10倍以上の賃金格差がある場合がある。言葉の問題や国の壁があるにしても、このダムからの水は徐々に高いところから低いところへ流れていくのが自然なことだ。
私たちの政府や考え方は、この変化に対応するのが遅れていることを認めよう。
学校教育は政府のやり方や日教組がいつも批判の対象にされているが、そんなことよりも個人でどうするか考えよう。今の時代は、昔と違って情報にあふれている。図書館にもたくさん本があるし、インターネットには情報が溢れている。
私たちにとって大切なのは、何を学ぶべきか?どうすれば学ぶことができるか?その方法を考えることである。
まず最初に学ぶことは、国語や算数の基礎学力。
そして、自分だけではできないことに気づき、協力してやることの大切さを知ることであろう。そこには、Give&Takeや、ゲーム理論などの戦略的なこともあるかもしれない。
日本語は限られて言語なので、最低英語を身につけよう。日本語だけの10倍以上の情報が英語で眠っている。コンピューターに関する本もビジネスに関する本も、英語で読めた方が安く早く手に入れることができる。もし英語で本を書くことができれば、10倍の読者を得ることができて、10倍の著作料も得ることができるかもしれない。。。。。。(私は英語の本を読むのに疲れてしまうので、まだそれは適わないが)
あとは問題にぶつかったら、それをうまくアドバイスしてくれる親か教師があればいい。
基本は自分で解決することだと思う。
中学校や高校での教育、大学での講義なんていうのは、学ぶきっかけに過ぎない。
結局は、自分で本を読んで理解を深める。問題を解いてみて、自分の理解が正しいかどうか知る。そうやって、進めていけばよい。
学校というのは、本で学ばないことを学ぶところだ。
今日はまる一日雨模様でした。
地元の知多市の催しで、子供向けの演劇を見に行きました。
劇団うりんこで「ドングリ山のやまんばあさん」 というものでした。
http://www.urinko.jp/
3人の劇団員という小規模なものでしたが、コメディがちりばめられていて、子どもは大はしゃぎでした。子どもの扱いがうまいなぁと思います。小学校低学年向けの演劇ですが、小4の娘も息子も喜んでいました。
その後、近くに住んでいる私の母のところにご挨拶へ行きました。先日購入したDVDプレーヤーとビデオの設定がわかりにくく設定ができなかったということです。
既にたくさんのケーブルがつながっているのでわからないそうです。
でもこちらはケーブルをつなげておしまい。
ビデオは、ケーブルテレビのチャンネルと地上波アナログテレビ信号のチャンネルが違っていて、Gコードの予約ができないとか。前に一度設定したのですが、いじっていて消してしまったみたいです。
母に預けてあった、娘のひな人形を自宅に運びました。
そのひな人形を娘と並べました。団地サイズの小さなひな人形。去年は、ついつい飾るのを忘れてしまいました。娘は平気な顔をしていましたが、さきほど娘のブログを読むと、今年一緒に並べたことはうれしかったみたいです。
家に帰ってきて、普通の夕食を家族4人でしました。
食事を囲んで、屈託のない話を娘や息子としました。何のお金もかからない普通の日々です。
20年以上前に見た、ロバートレッドフォード監督の「普通の人々」という映画を思い出しました。
すべては、この普通の日々を対象に商品とサービスが提供されているのかな?
それとも逆に、普通の日々から商品とサービスが生み出されているのかな?
創作活動は、異常性の中から生み出さると言われます。
その異常性の中で、これまでにないモノが生み出され、時代や創造性の度量でそれが取捨選択され、生き残るかどうか決定されます。
そんなことを、ふと考えてしまいました。
著者:梅田望夫
ちくま新書
ISBN4-480-06285-8
\740+税
本が出版されてからすぐに入手して読んだ。
2回目読んでから感想を書こうと思って、心の中でころがしている。でも2回目をまだ読む気になれない。
著者は、Googleという会社が起きていることの社会的変化を述べている。
私も2000年の終わり頃からGoogleを使い始めている。Webを使い始めたときは、DECのAltavistaがいいなと思い、その後YahooやGooの検索エンジン。だけど、検索窓のシンプルさ、検索結果の早さが気に入って、Googleばっかりだ。
Googleが他の会社と異なるというのは、以前からニュースで感じていた。
AmazonもGoogleも黒字になる前の長い間、水面下で努力していたという感じがあった。ITバブルも潜り抜けた。Googleは技術に磨きをかけていたし、Amazonは消費者とメーカーの顧客リストを集めていた。
そして、いま両者ともその努力が実って、勢いづいている。
(コメディアンが不毛の時代に努力を積み重ねた方が、一度売れると芸の深さで長い間売れるというのと、似ているかな!?冗談です)
Googleが何をやっているかということを著者は「あちら側」の開発を行っているといっている。それに対して、日本のIT産業は「こちら側」である。
普通の人がIT産業に浮かぶイメージは、「こちら側」である。つまり、私たち一般の人が目にするコンピューターシステムのことである。ホームページやブログ、Webを使った楽天などのEコマース、Yahooの画面に見えるシステムである。会社に導入される生産管理システムや勘定系のシステムがそうかもしれない。
「あちら側」というのは、システムの裏側で切磋琢磨しているところだと思う。
Googleエンジンの仕組みや、ERPというシステムの内部的なところだったり、少し顧客とは離れたところで動いているところである。
それは、日本のIT産業は顧客主導によるものが多いからであるともいえる。顧客がもつ業務の特殊性にあわせて、顧客の業務を自動化したり効率化することが目的だからだ。顧客の業務それ自身を変えるのは、コンピューターシステムではない。
顧客の特殊性をできるだけ汎用化させると、コンピューターシステムも汎用化になる。その汎用的なコンピューターシステムは複数の企業で共通して使うことができ、納期も短縮、コストも安くできる。それだけではない、特殊性にかかわる費用を別の目的に使うことができる。
日本に限らず多くの会社でERPの導入に失敗しているのは、その特殊性を捨て切れなかったことにある。どこまで捨てるかというところが難しい。この話は私は専門化ではないので、これ以上は述べない。
Googleに話を戻すと、Googleは検索エンジンをつくることに特化した。
検索エンジンがビジネスになるとは誰も思わなかった。世界中のWebを検索対象にして、正確にしかもすばやく結果が出せると思えなかった。それをGoogleは、独自のシステムを作り上げ、やりとげた。
Googleは、世界中から優秀なエンジニアを集めて、それぞれ3人ぐらいの少人数で開発をさせている。Google Map、Google Earth、Google Mail、Webで簡単にページを作ることができるものなどいろいろである。
ただいまプログラムを3種類、並行開発している。
東京のお客さんが一つ、大阪のお客さんが一つ、私の研究分野が一つ。
このうち東京のお客さんはお金をもらってやっている。
良い点は、それぞれの開発が触発されている点。
一つの仕事が他の仕事に影響している。プログラミング言語もPHPとRubyと異なるし、内容もまったく異なる。だけど、一つの仕事で山ができて悩むと、もう一方がすらすらと先にいくという感じ。
プロの将棋家が、同時にたくさんの人と将棋を指すことに似ていないか。
一人の相手だけと対戦するよりも、考える時間が限られているので、弱くなるかもしれないが大して悪くはならない。
同時に5件ぐらい開発してしまおうかな、それならばそれぞれが金額的に安く提供できるかもしれない。そして、納期の短い仕事は「二倍速で開発します。その代わり料金は二倍になります。」ということで差別化できないかな。
開発の仕事も、集中すると18時間ぐらいぶっとおしでやっているしね。
ただ、打ち合わせや文書の作成などをすると、クールダウンしてしまったりするかも。
NC-KYOの毎週水曜日23時からの放送の番組「サイラボ」、2月22日放送分の原稿です。
1. AOL と Yahoo、有料メール配信保証
メールを使っている人はスパムメールで悩まされていると思います。AOLとYahooは、これまでスパム防止のために、送信ドメイン認証を導入している。この認証によって、Yahooのメールサーバーから送られたメールは、サーバーが身元保証をする暗号を付けて送るため、本人になりすましはできない。
私も企業から送られてきたメールのほとんどは、スパムメールとしてゴミ箱に直行するような設定をしている。AOLとYahooは、この企業から送信されるメールに電子切手のようなものをつけて、きちんと個人に届けるという保証をつけようとしている。1通あたり、1円以下。
私はこの方法はなじまないのではと思う。メールは無料に近いものであるし、オープンな仕様である。AOLやYahooがメールをそのような形で送っても、しょせんダイレクトメールはダイレクトメールでゴミ箱へ直行である。見る、見ないは、受け取る個人が考えるものであると思う。
2. Google Earth、Volkswagenのカーナビに
アメリカでフォルクスワーゲンの車に、GoogleEarthのソフトを使ったカーナビが搭載されるかもしれない。
サーバーから逐次配信される地図データは使い、画面は3次元のリアル画像である。
これまで、各社の独占技術でやってきたカーナビーであるが、オープンなデータが入ることによって、カーナビが安くなっていくかもしれない。ただ、カーナビの技術は日本が一番進んでいる。交差点に入るときは、いくつの車線があって、一番左は左折専用か、一番右は右折専用かなどという情報は、普通の地図には載っていない。カーナビ会社が探るものだ。また道路に面したランドマークの情報もカーナビ会社が取得している。
こういうのも、GoogleEarth/GoogleMapの技術を用いて、ユーザーからデータをもらったりすれば、これまで会社でやってきた仕事がなくなってしまうかもしれない。Googleが生み出した技術と発想は、こういったところでも革命的な破壊がすすんでいく。
3. BMWとリコーの独サイト、Google検索から一時削除
ドイツのBMWサイト(BMW.de)とリコーのサイト(richo.de)が、SEO(検索エンジン最適化)対策に関する規律違反を犯したということで、Googleの検索対象から外れていた。
詳細は省くが、検索エンジンをだますようなテクニックが使われていて、本来のページとは違っていたようだ。SEO対策といって、検索対象の上部に出てくる方法は、ホームページが持つ本質的な内容とは関係ない。宣伝目的のために、上位に出すことだけを考えている。これは宣伝技術としては重要かもしれないが、Googleは歯がゆく思っているのではないだろうか?
Googleの検索技術というのは、論文の引用からヒントを得ている。
学会では、論文が他の論文に引用されれば引用されるほど、その論文は価値があるといわれている。そして、優秀だと認められている研究者の論文に引用されれば、その価値は増す。
ただ、内容がないのに、少し変えただけなのに、自分の論文を引用する論文をたくさん作り出している研究者もいる。その人は、単純にその法則を捉えれば、優秀ということになってしまう。それがSEO技術だ。
4. ナイキのコンタクトレンズ、選手の視覚を鋭敏に
ナイキはコンタクトメーカーのポシュロムと提携して、スポーツ用のコンタクトレンズを発売した。
永田議員の爆弾発言があったけれど、それはそれで結構ありがちな話だな。
ただ、足が付きやすい日本の銀行ではなくて、香港かスイスの銀行の堀江口座から振り込む方が真実味があるよ。それならば、絶対に足がつかないし、国勢調査権を発動してもわからないだろう。
ところで、この永田議員は外務委員会で折り紙をつくったり、携帯をいじったりする前科があるけれど、大丈夫でしょうか?
折り紙作成
携帯いじり
先日のブログで、新しいオフィスが決まったと書きました。
自分にとってビジネス上の多くの課題が残っているので、最後まで決めかねております。
ビジネス上の課題とは
・少しは財産があるが、まったく仕事がないと2年で財産は0になる。中古の自宅マンションやフィリピンにある妻の別荘は除く。その間に、目処がつくかどうか。事務所を借りなくても、2年半で0になるかな。(この1年はいろいろと試行錯誤して種まきをしたつもりだが、充分にできたかどうか)
・自分の才能や性質は良く知っていて、自分が考えたビジネスの期待値は低い。
こんなことを書くとビジネス上のデメリットであるが、、、おもしろいと思うのだが、何に応用すればいいのだろうか?それで収益が上がるのだろうか?まだわかりません。また、自分よりも優秀な人はたくさんいるから、ガチンコ勝負になったとき、しぶといと思うので長期戦では勝てるかもしれないが、兵糧攻めには弱いかもしれない。
・オフィスが遠く、広すぎる。なぜ名古屋の新栄にオフィスを借りたかといえば、仲間を呼ぶためである。私の家からは1時間ぐらいかかって、私には不便であるが、パートナーとなる人にとっては便利かなと。自分一人でできることは限られているということもわかっている。一人でやっていると、山にぶつかってしまいそこから前に進めない。
・おそらく自分にとって人生のラストチャンスになると思う。子どもには財産を残せるかどうかわからないけれど、生き様を残してあげたい。生命保険を多めにしようかな。私は大学生のときはいろいろやりたいことが多すぎて、そして人生を甘く感じてしまった(1年以上かけて世界一周したり、21歳のときにまじめに働かなくても瞬間的な財産は500万円ぐらい持ってしまった)。あとは妻と子どもとの関係を、なんとか維持していけるようにすればいいのかな。
私はこんなしょーもない奴です。
後戻りできないように、ちょっと書いちゃいました。
ところで、まだオフィスは移転していないけれど、電話引いちゃいました。
050-5532-8816(←楽天に消されていました) です。この電話番号にかけると、私のPCに入っているSkypeにかかります。もちろん、Skypeの場合は、ohashitakeshi 宛てにかかります。不在の場合でも、録音できますのでどうぞよろしく。
たぶん、オフィスはこの電話番号だけになると思います。
この作品はセブン と Cube を足したような作品です。
新人が自主制作で低予算でつくったというが、ひさびさに作品として感動しました。
103分の作品が、論理で固められている。一見、映画の中のどのセリフもばらばらに見えるのだが、すべて論理で組み立てられている。
内容について書かないほうがいいので、これ以上書きません。
多少グロくても大丈夫という人は、ぜひ一人で孤独を感じながら見てください。
でもこれがいい映画だと思うのは、少し性格がゆがんでいるかな。ダリ的なシュールな匂いがします。
今日の午後1:30より地元の「ふれあいプラザ」という公民館で、「いるかくらぶ」という団体の会合がありました。以前、息子の症例であるADHDを含めた発達障碍の講演を、この団体の主催で聞かせていただいたことがあります。
知多市にある、ADHDやアスペルガー症候群などの発達障碍の家族の団体です。そのような子どもを持つ親の自主的な運営による団体です。もうかれこれ4年ぐらい経っているとか。スクールカウンセラーのI先生に紹介されて、参加しました。親だけが集まる例会と親子が集まる例会を、毎月交互に繰り返していきます。親だけですと10人強ぐらいです。
ADHDは20人に1人ぐらいです。
息子の場合は、このブログにも書いてきましたが、落ち着かない子どもです。
おもしろいものがあると、すぐにそちらに気持ちが動いてしまいます。授業中や給食中だろうと構いません。席を離れ歩き回り、教室を飛び出して学校中でおもしろいものを探しに行きます。
つまらないと思うと、やりたがりません。
学級崩壊と話題になっていますが、生まれながらにそのような性質を持っているのです。
普通の親がしているような、しつけではどうにもならないのです。
学級参観や運動会などの学校の行事で、他の親が息子をみると、きっとこう思うはずです。
「あそこの子どもは、しつけができていないね。うちの子供はあの子よりましね。」
そう言われたり、そのような目があったりすると、親は傷つきます。
またそのように思われないように、普通の子ども以上にしつけます。何回言っても、子どもは聞かないので、よく叱ってしまいます。ときには手を出さないといけないこともあります。
息子は、他の子どものように自分をコントロールできません。
「普通にやっていて、どうして自分ばかり叱られるんだろう。いつも叱られてばっかりで、自分はだめなんだ。」と子どもは考えます。
発達障碍の子を持つ親子は、お互いに傷つき、辛い目にあっています。
私もADHDの息子をもって初めて、その気持ちがわかりました。だけど、そうでない人は一生わからないだろうと思います。
よく学級崩壊のことを、最近の親はしつけができないからだという人がいますが、たぶんADHDのことがわからないのではないでしょうか?その人の見識を疑います。学級というのは、社会の縮図です。社会が変化してくるに伴って、先生、生徒、組織が変化を起こしています。
ADHDは昔からある症状ですが、昔は対策がされなかったということです。
息子について何も対策されないと、運が良ければ長島茂雄や黒柳徹子のように、運が悪いと詐欺師になっているかもしれません。自分が社会に受け入れられないとわかると、反社会的な行動に出て、そして才能があれば詐欺師や裏社会の人間となっていくかもしれないのです。
話は元に戻りますが、いるかくらぶは私を除くとすべてお母さんたちです。
みんな、心配症で疲れきった顔をしているようでした。こういった団体で、お互いに状況を打ち分け、経験談を共有することが良いのかもしれません。子どもたちも学校では浮いている存在になりがちですが、同じような症例の子どもがいると心が安らぐかもしれません。
子どもを育てるのは大変ですが、とても大切な宝物だと思います。
その宝物は、ときに泣いたり怒ったり笑ったり喜んだりという感情と経験を人生にもたらしてくれるだけでなく、かけがえのない貴重な親友であるからです。
先々週から、2種類のプログラムをつくっている。
一つは、知り合いから頼まれたWebのプログラム。こちらはPHPという言語で作っている。デザインは他の人にやってもらっているけれど、中身のプログラムは自分が担当した。
新しく挑戦することもあるけれど、ちょちょちょいとやってみたら、できてしまった。
最初は小規模かなと思っていたけれども、やり始めているとだんだんプログラムが大きくなっていった。
もう一つはNC-KYOのVideocast用のプログラム。こちらはRubyで作り上げている。
ファイルを読み取って、Podcast用のRSSファイルを作る。
同じように新しく取り組むことが多いので、Rubyのような軽いプログラミング言語/環境の方が向いている。
Javaなどでつくったら、まだ全体のプログラムの最初の方をやっているに違いない。
このITの世界は変化が早く、世界が変わる速度が速い。流行や廃れも刻々と変わっていく。
ある人が言っていたが、どうせプログラムの寿命は数ヶ月から数年。
だから開発に数ヶ月もかけてはいられない。
JavaやC/C++のようなプログラム環境は向いていない。
いやドキュメント書く間に、変わっていく。
小規模な開発が多くなるので、営業スタイルも変えていかないといけないのだろうか?
こういったプログラムの新しい挑戦やアルゴリズムなどを考えていると、頭が疲れてくる。だけど、だんだんナチュラルハイになっていくのが楽しい。若いときに数学に対して感じた恍惚感かな。