Solisart.com

「人生はワンチャンス!」を読んで

人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法Amazonで購入書評この「人生はワンチャンス!」という本は、酢昆布であると思う。 3度味を楽しめる、噛めば噛むほど味が染み入ってくる、そんなものだ。 3度違った味を楽しめるのはひつまぶしだが、上品というよりもふだん手にするような酢昆布の方が似合いそうだ。 まず、普通に最初から読んだ。 本の内容は、偉人が残した言葉をテーマに沿ってまとめたものである。偉人の名前もほとんど知っているが、どんなエピソードでその言葉を言ったかはほとんど知らなかった。新しい発見が多かった。同じようなことを言った他の偉人も2つ足してある。こういった言葉というのも、みんなが思うことなんだということがわかった。 エピソードを思い浮かべながら読んでいったので、詩を読むように時間をかけてしまった。 次にそれぞれのテーマに1つずつ写真が載っているのに気づいた。 かわいい犬の写真。しかもテーマにぴったりの写真。写真が先で文章を合わせたか、文章が先でその写真を探したか。絶妙な写真。しかもほのぼのとするほどカワイイ。犬が言葉を発するわけではないが、それを偉人に重ねあわせて見てしまった。 最後に、1枚ずつミシン折りになっていて切り離せることができること。 本が好きだから切り離したくないがどうしよう?どうしても財布の中に入れておきたい文章がある。でも切り離したら、ブックオフに売れない←冗談。本はそのまま本棚に眠ってしまうよりも、こうやってトイレットペーパーじゃなくて、別の活用を考えるのがいいのではないか。 私にとっては何度もランダムに目を通したくなる内容。ワンちゃんの写真をそっと見直すために、   思い出し笑いする人生を 奇兵隊を率いた高杉晋作は27歳の若さで亡くなりました。 有名な辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・・・・」 ですが、途中で息苦しくなった彼は言葉を継げなくなります。すると枕元にいた女性、野村望東尼が下の句を続けました。 「すみなすものは心なりけり(おもしろく感じられるかは心次第だ)」 それを聞いた高杉は「おもしろいのう」と満足げな表情で息を引き取ったといいます。   

20年ぶりの同期会

先々週の金曜日に、アンダーセンコンサルティング1990年6月入社の同期会があった。 退職後に医学部に再入学して、今は沖縄で医者をしている同期がいる。彼が上京してくるので、それに併せて突如同期会が催された。同期入社は27人(それとも26にだったか、ちょっと怪しい)いるが、そのうち1/3が集まった。2週間前にアナウンスがあって金曜日の夜に集まれたのは、すごいことだと思う。 Facebookで友達にもなっている同期が中心になって、連絡を取り合った。簡単に案内を出したり、出欠を確認したり、意見を交わすことができたので、Facebookは便利だったそうだ。でも中にはFacebookには頑として入りたくないという人もいた。考え方は人それぞれだ。 20年振りに会う人ばっかりなのに、不思議と20年前と同じような感じで話ができる。みんな頭髪が薄くなってしまったしシワも出たし、月日が立つのは感じる。だけど顔立ちは変っていないので、20年前にワープしてしまったんだろうか。 でも20年振りにあうので、結局「いまどうしている?」というような質問が話しのきっかけになってしまった。あちこちでそんな質問をするが、個別に話しながらだと詰まってしまう。それで、ひとりずつ20年間に何があったかということを自己紹介しながら話そうということになった。やり始めてみたが、最初の一人目で、止まってしまった。 みんなが勝手に話す中で、それぞれの人が在職している会社や地位などで成功している人やうまくいかない人もいる。幸せそうな人やそうでない人もいる。 20年の間にそれぞれの人生があったんだろうなと思う。それぞれの価値観で生き、こうして再び会えるという人生があっただけでも、みっけものだと思うがどうだろうか?私もいろいろ大変なめに遭いながらも、好き勝手に自由に生きてきた方だと思うので、まあいいかと半生を振り返ってみるとそう感じる。 さらに10年後、20年後にどうなっているだろうか?再び会うことができるだろうか?Facebookなどでつながったままだったらきっと可能だろうなぁ。 同期会に来なかった人の中で、既に誰も消息を知らない人が数人いる。目立ちながらもどうしたんだろうと思う人や、存在感のなかった人もいた。共通の友人もいそうもないので、どうしたんだろうか?どこかで有名人にでもなればわかるだろうが、無事でいてほしいと思う。 同窓会では、収入や出世の話はタブーであるという。うまくいっている人もうまくいっていない人もいる。成功している人はたぶん私の年収や財産の100倍くらいいっているだろう。 だが羨む気持ちはほとんどない。もう人生が終えるときまで、あと僅かで、そんなことを争っていても羨んでもしかたない。終える時まで、子育てなどの責任を果たすことと、充実したときを過ごすことが大切だと思うからだ。生活できるだけのわずかなお金があれば、あとは自由がいい。 安定よりも自由を好むのは、小さい時に読んだ哲学書のせいかな。 「人生は生きる目的を探すためにある。」 未だに目的は見つかっていない。  入社直後に最初の同期会をしたことがあった。もう23年前になる。入社直後の1990年6月の梅雨真っ最中のジメジメしたときだった。確か研修所のあった半蔵門の地下鉄の駅のそばの居酒屋でやったと思う。 私は飲めないのに結構飲んで運転免許証をなくしたので覚えている。 そのときは、周りの人たちはライバルでどうやって勝ち抜いていこうかと思ったものだ。特にアメリカアサインになれるかどうかが大事だった。アメリカアサインとは、3ヶ月の研修後にアメリカで1年仕事をするものだ。英語や海外経験が身につくなど、これが目的で入社する人もあったと思う。 大学や海外放浪で会った人たちとは一線を画する人たちが多くて、ここに人財があるのだと思った。そしてその中で自分は埋没してしまうのではないかと焦った。英語がネイティブ並に話せる人、東大を出て経営とコンピューターも英語もなんでもできる宇宙人、携帯が流行っていない時代に携帯で数百万単位で競馬をする人、能ある鷹でいつの間にか有名になっている人、出世して数億の財産を築いている人。 今でもすごい人たちがいたんだと思う。そういう人と僅かな間、席を共にしたことは誇りに感じる。 私も当時は血気盛んで、大学院に進学して人工知能を本格的に学ぼうかどうか悩んでいた。アメリカアサインを基盤に、人工知能をベースにした半分研究者、半分コンサルタントとして生きて行けるのではと思って入社した。今にして思えば、自分勝手で夢をみるような話だが、バブルのときだったし自分の才能に対して無限の可能性を感じていたときだった。 20代のときはやりたいことがたくさんあって、株で1000万円近く財産を築いたし、海外放浪をしたりした。研究者ではそういう人はいなかったし、海外放浪で親に迷惑をかけた。そのときは自分に対しての無限の可能性を信じて、ついついビジネス界に入ってしまった。 入社してから、ビジネスと研究者の中間でやっていく可能性があった(実際にそんな社内研究をしてやっていたようだ)が、実際の仕事はそれとかけ離れたものだった。客先常駐でシステムをつくることだ。それで嫌になって3年で辞めて大学院に入り直した。 それ以降は、結婚や退職、いろいろあってデコボコである。 10年後、20年後はどうしているだろうか?私はフィリピンで読書三昧の生活をしているだろうか?世界中を旅行しているだろうか?それとも、相変わらず日銭を稼いで働いているだろうか?それとも、あちらの世界に行っているのだろうか? 

「あんぽん」を読んで

「あんぽん」とは、孫正義が昔使っていた名前「安本正義」の姓「安本」を音読みにしたものである。小学校の時に友達に差別されたときにこの名前を呼ばれたそうだ。 孫正義は誰もが知っているように、ソフトバンクの創業者で一代にして企業グループを作り上げた男である。これまで出ていた自伝や彼について書かれた紹介記事などは、歯がゆいほどキレイ事で書かれていたが、この本は孫正義を解き明かすため、彼の祖父・祖母、父母について調査して、彼が上り詰めた要因を浮かび上がらせている。 彼が成功したのは、在日だからこその「なにくそ、負けてたまるか」という発奮もあっただろう。彼の遺伝的に引き継いだ能力もあっただろう。だが、何か必然的に彼が生まれたのではないかと思う。そして、経済力。祖母が礎をつくり、父が事業に成功して、彼がアメリカ留学やスタートアップの援助を得た。 その3つの条件が合わさって、成功する要因になったのではないか。 一方で著者は、孫正義の怪しさも見逃さない。 嘘(夢)をつくために、まず大きな嘘をついて聞く方をあっけにとられる状態にする。そして、具体的に数字を並べて、近い将来を(小さな嘘)を語る。 大きな嘘に比べれば、小さな嘘は本当らしく聞こえる。 悪く言えば詐欺師的手法、よく言えば雄弁家。こういう手法を政治家や事業家、詐欺師はテクニックとして用いる。数字は部分的には事実であったりするが、その計算手法は怪しいものや実態のないねじ曲げだったりすることもある。 著者はそういう人をたくさん見てきているので怪しかったりする。 ただ実際にはそういった大言壮語の嘘が、環境が変わって、結果として本当になることがる。線形(リニア)な未来は外挿法によって多少予測できるかもしれないが、現代は非線形(ノンリニア)なので、全く予測ができない。 最後に、在日の人は、日本では朝鮮人と言われ、韓国朝鮮では日本人のように思われる。中途半端な存在だ。遺伝的には朝鮮人だが、文化的には日本人。 もうそんな国や民族やどうのこうのというは、いいのではないだろうか? 人間 孫正義というのを生み出したものは何かというのを考えるには良い本だと思う。