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80:20という経験則がある。 いろいろな現象が、80:20に分けられるというものである。 たぶん正規分布を大雑把にみるとそんなかんじなのあろうが、80:20という分け方は人にとってわかりやすいのだろう。 例えば、会社は20%の人が80%を稼いでいる。 20%の優秀な人がいて、そうでない人が80%いる。 20%の無能な人がいて、そうでない人が80%いる。 優秀:普通:無能 = 20:60:20 という割合なのだろう。 ただ無能な人20%をクビにしたとすると、全体が無能な人20%を作り出すという。 無能な人20%をクビにするのは新たに無能な人をつくりだすので、意味のないことだと書かれていた。 ただ全体の底上げになって、割合からすると底辺に20%の人を見た目でつくった統計的なことだけではないかと思ったが、本の内容について反証する証拠がない。 またこの20%の無能な人というのも、環境が変わって組織が危うくなった時に突然組織を支える有能な人になる可能性があるそうな。そのための予防策として組織は保持するそうである。 これは、ミツバチを観察した時に、一生懸命働いている20%の働き蜂がいて、60%はそこそこ働いている働き蜂がいる。ただ20%の働き蜂は遊んでいたという観察に基づく推測だそうである。 ただ、農業革命、産業革命、情報革命とトフラーのいう革命が続いてきて、それで何が起きたかといえば、限られた土地にたくさんの人が生活することができるようになったことである。 農業革命の前は、世界の人口は1〜3億ぐらいだという。 産業革命を経て、1900年頃に15億となった。 2000年を超えて、現在70億。 (出典 人口爆発) (輪廻するには人が足りなさすぎる) 一人あたりの生産性が50倍以上に増えたということだ。 ただそのためには、生まれてから30年くらいの成長や教育を受けなければならない。 どんなに効率良く学んでも、社会で生産性を生み出すためには30年ぐらいの学習が必要となる。
このところ、仕事上で頼まれて車を搬送することが多かった。 トヨタの86,マークX、プリウス、アクア、カローラフィルダー、ホンダのライフなどを運転した。 いろいろな車を運転してみると、 ハンドルやアクセル、ブレーキの操作は一緒なのだが、スタートボタンやハンドブレーキやカーナビの操作が違うのは参った。 エンジンをかけるときにキーを回してかけるのは、古めのカローラフィルダーぐらいで、新しいクルマはどれもスタートボタン。 安めの車はハンドブレーキだが、高めの車はフットブレーキだった。 だが、車によってはフットブレーキの場所がわかりにくい。 乗り始めるときに、フットブレーキをかけながら走てしまうこともしばしばあった。 カーナビは便利で道を知らないときには大いに役立った。カーナビなしでは都内は走れないだろう。 だけど、カーナビを信用しすぎると痛い目にあった。 カーナビは車種ごとに微妙に操作が異なっていて、車を乗り換える度に操作に迷ってしまった。 普通の人は同じ車を乗り続けるだろうから、カーナビに最初は手こずっても、使い始めれば慣れてしまうだろう。 しかし、私のように車を度々乗り換えていたら、「さてこのカーナビはどこから触ればいいのだろうか?メニューボタンか、それとも目的ボタンか?」と悩んでしまう。慣れる頃には、別の車の別のカーナビを触っている。 そう、カーナビは同じ物がなく、微妙に操作が異なっていたのだ。 画面上にタッチするボタンの場所も、また微妙に異なるのだ。 さらに困ったことには、カーナビの案内は完璧でない。 東京都内だけでなく、埼玉県の川口市から横浜までを走った。だけど土地勘がなく、道に不案内だ。カーナビに全てを頼った。 知らない街を走るのは助かる。住宅街の小さな道には一方通行があるので、とても助かる。 だけど完璧ではない。 首都高速などはときどき渋滞しているので、右折したくても数km前から車がつながっているので右折しにくい。 右折信号を出して無理やり入れてもらったりした。 感謝のつもりで、停止の点滅ボタンを押そうとしても車ごとに場所が微妙に異なるので、押すタイミングを逸してしまうこともあった。これはカーナビの問題ではないのだが。 あるとき時速60kmぐらいで国道を走っていた。 カーナビは右折するように教えてくれる。 だけど、どこで曲がっていいかわかりにくい。