この一週間は、軽い食中毒状態でした。
今週の最初の日曜日、キャベツとネギが冷蔵庫に余っていました。
暑くなってきてあまり食欲はなくなって来ました。
そこでスーパーでネバネバサラダというのを買ってきて、そこにキャベツを1/3玉とネギを加えて、生で食べました。
ボールに2杯ぐらい、お腹いっぱい食べました。
そのときはなんともなかったのですが、翌日から胸の真ん中あたりを押しこむような痛みがあります。
キリキリとした痛みではないし、下痢をするわけでもなく、気持ち悪い感じもない。
ただ食欲がなく、ときどき押し込むような痛みをぎゅっと感じるだけです。
ときおり、おならが出たり、ゲップが出ます。
月曜日は普通に食事ができましたが、火曜日、水曜日と進むにしたがって、食欲が減っていき、だんだんと気持ちが悪くなっていきました。
頭痛もするようになりました。おにぎりとか固形のものを少し食べると吐き気がするので、あまり食べる気がしません。
乳酸飲料とバナナぐらいでした。
食欲がないのはダイエットにいいですが、気力がなくなるのも生活に支障をきたします。
医者嫌いですが、とうとう医者に行くことにしました。
生の野菜からバクテリアが入った可能性があるようだということで、抗生物質と胃酸止め、そして吐き気止めの薬をもらいました。
「肝臓までやられていると、長引くかもしれない」と言われたときはちょっと怖かった。
吐き気止めで食べることができるようになり、おかゆとかちょっとしたものを食べることができました。
その後で、薬が効いたのか疲れが出て横になりました。
まだ完全に直ったわけではありませんが、1日経って良くなった気がします。
急性の食中毒はありましたが、慢性的なものは始めてで甘く見ていました。
(体力があった20代の頃だったら、もっと早く自力でなおしたかもしれませんけれど)
この時期ですので、みなさま気をつけて下さい。
「私の行動は自分勝手なところがある」と言われた。
必ずしもそうではないと思うが、意見の相違であるのでどちらかが正しいとか正しくないとか言ってもしかたないので、ああそうですかと言うしかない。
私は20代に入ってから「なんでもできるわけではないから、大切なことを優先してそれ以外のことはやらないでおこう。」と決めた。
特に楽しいとおもわれることはやめた。
酒、タバコ、麻薬、ゴルフ、テニス、、、最初の頃は女性とのつきあいも避けた。
なんかオウムと近いところにいる。
(ゲーム、テレビ、スナックを食べることなどは続いたが、最近はあまりやらなくなっている)
人付き合いは悪くなるが、研究者としての道を極めるためにはしかたない。
大きな変化があって、妻と結婚して普通の生活をするようになった。
研究など本来目指しているところも、縮小せざるを得なくなった。
趣味などはなくなり、妻や子どもと過ごすことが唯一の楽しみとなった。
だから、自分勝手と言われても、自分一人で楽しむことはほとんどなく、家族と一緒の時間を過ごすことがそれに相当することになるのかもしれない。
他には、優先基準。
仕事と家族のどちらが大事?と聞かれたら、間違いなく家族と答える。
日本の仕事社会では、仕事を選ぶ方が多いかもしれない。
江戸時代の封建社会では、お殿様と家族の命のどちらを取るかと言われたら、お殿様と答えなくては武士とはいえないそうである。
そのときは、身分の高いものが存在して初めて、身分の低いものの存在が許される社会だったのだろう。
また、そういう基準がなければ社会として成立できなかったかもしれない。
今は不完全ながらも、当時よりはましな法律や政治体制のおかげで、そんな基準がなくても成り立つ社会である。
家族がまず第一と考えるのは当然だろう。
一応、日本でも冠婚葬祭のときならば、まあ仕事よりも優先されるだろう。
ただ妻との時間や子どもたちと過ごす夜よりも、残業や接待が優先されるところがある。
家族をとるか仕事をとるかは永遠のテーマだが、選択されなかった方は気に入らないに違いない。
結婚してからは、酒もタバコもせず旅行もせず欲しい物もなく、特に楽しいこともせずにいるのに、自分勝手と言われてもなぁ。
そもそも自分というものがあまりなくなっているので、あえていうなら居心地がいいところを選ぶのがそう思われるかも。
カンブリア宮殿で、四季リゾーツの山中直樹さんが出演していた。
四季リゾーツも山中さんのことも何も知らなかった。
一人一泊5250円、平日も休日も料金は同じというコンセプト、ホテルも休眠中の会社の保養所を使ったり、コストをかけない努力をするというということも、説明がわかりやすくお客さんに受け入れられるものだと思う。そこはすぐれた企画だと思った。
ただ実際に始めてみると、仕事の複雑や大変さを含めた様々な問題が露出していて、企画書通りにはいかないという事がわかる。
そこを乗り越えてきた自負や責任や汗などが顔に滲み出ていた。
山中さんが言っていた言葉に、彼のお父さんが「困難から逃げない」ということが支えになったと言っていたと思う。
人は困難に立ち向かった時にその真価を問われると、お父さんが語ったという。
お父さんが連帯保証人になって借金を背負った時に、命まで取られるものではないということ、そして時間をかけながらも借金を完済したことがあった。70歳にもなるお母さんがホテルの初期に手伝ってくれて乗り越えてきたということも言っていたが、お母さんも立派な人だと思う。
お父さんの借金を一緒に背負いながら、山中さんを育て上げて東大を卒業させた。
お母さんはこんな事も言っている。
「従業員に希望を見せてやるのが社長。必死でついてきたあの子達に希望を見せてやりなさい。」
ルビコンの決断:山中直樹
http://ameblo.jp/cm115549901/entry-10370983875.html
立派な両親がいて彼を育てたのかと思いました。
私もソフトウェア開発では、実現できるかどうかのギリギリのところをやっていることが多いので、ムチャ言われたときは「そんなことできないよ。できるんだったらやってみなよ。」ということを思ったり言ったりすることもあるのだが、少し反省。少し下がって、どんな方法で達成できるのか考えてみようと思った。(でも本当に最近は以前より難しくなっているんですけれど)
また一方で、お客さまにとって本当に大切なサービスを提供しながら一人一泊5250円で経営の合理化を進めるということが成功しなければ、日本国内のホテルのサービス産業自体が成り立たなくなるのではないかという試金石ではないかと思った。
ubuntuで、ffmpeg(avconv)を使おうとしたら、Unknown encoder ‘libx264’というエラーが出た。
x264のライブラリはライセンスが絡んでいるのでデフォルトでは入らないようだ。
以下のコマンドで商用のライブラリが入って機能する。
aptitude install libavcodec-extra-53
53か52はubuntuのバージョンによって異なるようだ。
「人間はコンピューター化に伴ってどうなるだろうか?どう対応すればいいのか?」というのが私のテーマである。
このSHOCKBYというのも、人間とコンピューターとの触媒としてありたいというのと、コンピューターによる変化(shocked by computer)を兼ねた名前である。
ギリシャの金融危機やスペインの第二のサブプライム問題が大きな問題になっているが、日本では対岸の火事という認識のような気がする。
既に中国や東南アジアの工場へ飛び火して景気の伸びが抑えられているので、日本への影響もある。
日本はそれよりも景気が良くならないので、たいして変わらないのかもしれない。
ギリシアの多すぎる公務員の問題や紛失決算、スペイン・アイルランドなどの若者の50%近い失業率という表面的な問題が話題になるが、その問題の根っこは何なのか?
第一次産業や第二次産業が、アジアなど新興国へ移ってしまったので、仕事がなくなってきたためか。
アメリカや西欧、日本では、第二次産業の工場は新興国へ移転しているのは事実だ。
それも、単純な労働による工場から始まって、今やハイテクのものも移る。
その原因は、工賃の高さやさまざまな障壁によるコスト高であり、先進国で生産していては新興国とは勝負にならない。
日本は熟練工の能力の高さは世界でも高い水準にあると言われている。
工場で働く人は一定の学力があり品質も高いが、マニュアルの充実や単純な工程に分割することで能力が必要となければ、やはり勝負に勝てない。
iPhoneを作っている深センにあるFoxconn社の工場が話題になるが、精密な部品は台湾や他所の工場で作っていて、あとは単純な工程をたくさん設けた組立ての作業である。
数万人の規模で、それぞれ単純な作業を行うので、精神疾患になりやすいようだ。
それと対極にあるのが、トヨタの自動化である。単純で効率的なところに人間性をバランスよく持たせて、熟練工の作業であった。
ただ少し前がピークで有るのではないか。車の製造もコンピューターの部品がメインで、部品点数が減っていく単純な作業に向かっているのだろう。
かつてPCは複雑な部品を組み立てていた。だが、ICの中にほとんど収まり、今やPCの構成するパーツは減っている。
少し前にDOS/Vパソコンと流行ったときは、安くて性能の良いパーツを入手することが楽になり、少いパーツでメーカー製ではないPCを自作できた。
テレビは適当なケースが販売されているわけではないのでテレビの組立こそなかったが、テレビもPCも一般的な部品でどの会社でも特に技術力はなくてもだれでも組み立てて販売する事ができるようになった。
いづれ、車も電気自動車が安く出まわって、どの会社でも車を販売できるようになるのだろう。
特にスピードは最高30km/s出れば十分で近所しか走らないのであれば、電気自動車で十分である。原付自転車より少し高いミニカーがたくさん出回るのではないか。
駐車場だって、今の半分の以下のスペースでもいい。
いやそのうち自動制御で運転すらいらないものが出てもおかしくない。「緊急のとき以外は運転をしてはいけない」という全ての車が自動制御になるかもしれない。
ruby 1.9.3以降でruby-debugでエラーになるとき、以下を実行する。覚書です。
bash < <(curl -L https://raw.github.com/gist/1518441/)
いつもトラブルので自分用にメモ
データのバックアップや移行にyaml_dbを使わせていただいているが、Rails 3.2ではadd_limit!というようなエラーが出てうまく使えないことがある。
Gemfileで、git付きで別のソースを読み込むとうまくいくことがある。アップデートしてくれるといいな。
[ruby]
#gem ‘yaml_db’
gem ‘yaml_db’, :git => “https://github.com/lostapathy/yaml_db.git”
[/ruby]
参考
http://rubygems.org/gems/yaml_db
https://github.com/ludicast/yaml_db/issues/31
理-KOTOWARI- ~我欲を極めて幸せになる~Amazonで購入書評この本を手に取ったとき、失敗したかなと正直思った。
とりあえず、好き嫌いに関わらずどの分野の本でも読むようにしているから、読み進めてみようと思った。
「スプリチュアル」については、科学者を目指していたこともあり証拠のないものを無闇と信じることはしないので、どちらかといえば信じない立場に近い。
ただし、「スプリチュアル」についてはこれまでの宗教の最大公約数的なところもあり、実際にたくさんの人の心を癒している点については評価をしている。
この本は最初は散文で読みにくかった。
ただ目次を見てみると、非常にロジカルな構成になっていることに驚く。
瞑想をすることを中心におきながら、ものごとを一つ一つわかりやすく語っていくのは読みにくかったのだが、話し言葉として著者が直接話しかけてくるという雰囲気を出すにはいいかと思う。瞑想のしかたも道理にかなっていると思うし、自分でも試してみることができるように易しく具体的に書かれている。
括弧のところは私の書き込みです。
第一章 自分をみる 自分をみる瞑想 心のおしゃべりをやめる瞑想 心のスピード(感情のエネルギー)を感じる瞑想 第二章 世界をみる 今を感じる瞑想 セピア色の(過去を感じる、暖かい思い出)瞑想 ワクワクする(未来を感じる、不安を乗り越える)瞑想 第三章 宇宙をみる 愛を感じる(自分から外へ向ける)瞑想 宇宙を感じる(外から自分へ向ける)瞑想 つまるところ、私たちは人間である以上「カルマ」から逃げることはできない。ただ「カルマ」にこだわりすぎて自由をなくしている。
Ruby on Rails 3.xでバリデーションのとき、バリデーションにひっかかったところを教えてくれる機能がある。
ところが、CSSを使用していると画面がずれてしまうことがあった。とくに、JQuery Mobileとの相性はよくなくて、JQuery Mobileは簡単な設定で画面を作るのでCSSをいじってもどうしようもなくなる。
そこでエラー時の表示を変える方法があった。Ruby on Railsでは標準ではエラーとなるときに、field_with_errorsというdivタグで囲んでしまう。そこをinputやselectタグをdivタグで囲まずにクラスでfield_with_errorsを付ける方法である。
(別の方法としては、divタグでは囲まずにspanタグで囲むという方法もあるので併記してみた)
あとは、cssでエラー時の表示を定義するだけである。
これだけのために、のべで数日間という時間を費やしてしまった。
config/application.rb
[ruby]
module xxxxxx
class Application < Rails::Application ActionView::Base.field_error_proc = Proc.new { |html_tag, instance| if html_tag.
トルコという国の名前を印象深かったのは、40代以上の男性にとってはトルコ風呂。
今のソープランドのことで、なぜかトルコという名前がついていた。
トルコやアラブに実際に行ってみて、ハマームという名前の立派な公衆浴場があり、アカスリをお願いしたことがあった。
日本の銭湯と違うのは天井から光をとっていて明るく、大理石とタイルがあり、深め(1.5m)ぐらいのややぬるめのお風呂があったことであろうか(ブルサ)。
年によってはシャワーしかないところもあった(ディヤルバクル)。
その後は、トルコは日本のことを尊敬しているということを聞いた。なんでも日露戦争の時代に、トルコは南進するロシアに手こずっていた。もうだめだというときに、日露戦争があり日本がロシアのバルチック艦隊を破ったというニュースを聞いた。海軍の東郷平八郎元帥をトルコ国民全員が歴史の授業で習い、尊敬しているそうである。
アジアの東の覇者日本と、西の覇者トルコだそうである。
他には、中学生の時に聞いた庄野真代の「飛んでイスタンブール」という曲である。
「とんで、イスタンブール♪光る砂漠でロール…夜だけのパラダイス‥」というサビだけが強烈に覚えている。
そんな知識ぐらいしか知らずトルコに行った。
(とはいっても、イランとの国境を抜けてバスで行ったのであるが)
旅行中に中国で、「イスタンブールはいいよ。特にガラタ橋で食べるサバサンドが印象が強いね。」と聞いて印象深かった。
当時、イラン・イラク戦争中のイランは凶気が蔓延していて楽しめずあっという間にトルコ国境を抜けたら自由があった。
トルコはなくしたトラベラーズチェックの再発行の時間(当時の日本と国際FAXでのやりとりで1ヶ月以上かかる)があったので、ゆっくりとビザ不要の3ヶ月間を旅行した。
ぐるっとトルコを1周半ぐらい廻った。
そのうち、イスタンブールはやや物価が高いけれども、東西の文化が交じり合い風光明媚で食事もうまく、人々が優しく、合計1ヶ月滞在した。
またトルコ人が東郷平八郎のことを知っていると聞いて、お返しにトルコのことを学ぶ。
オスマン朝トルコが中国の清朝のように崩壊しつつあった20世紀初頭に、トルコ軍からムスタファ・ケマルがクーデターを起こして新しいトルコを作ったこと。彼は民衆の指示を得て初代大統領になり、宗教と政治を分離するなど近代国家を作っていた。
中でもアラブ文字を止めて、覚えやすいローマ字にするなど西側国家へ大きくかじを切った。彼はトルコ紙幣にのり、「アタチュルク(トルコの父」)と呼ばれている。
日本で言えば、坂本龍馬と西郷隆盛を足した人物だろうと思われる。
Wikipedia
そんないい国で尊敬する国だと脳天気な旅行者だったのが20年前。
そしてこの本を読んで、今になっていろいろなことを理解する。
著者は、トルコにいる複数の民族が話す様々な言語を研究するフランスのストラスブール在住の日本人研究者。
私がトルコを旅行したのは、1987年7月下旬から10月上旬にかけての3ヶ月。