息子に危機感だけを煽ってもしょうがないので、どうすればいいかということも言っておかないと。
(文句はいうけれど代替案がないと、意見とはいえないからね)
自分が10代、20代のときはどうだったかを思い出してみると、やりたいことが多すぎて不完全燃焼だった。
10代の最初の頃は世間から「こうでなくてはいけない」というようなことを押し付けられていたような感じがしていたが、大学に入った頃からいろいろなものに触れると「知らない」ことがたくさんあったし「楽しい」ことがたくさんあった。
いろいろなことを試して欲しいし、身につけ欲しいと思う。
自分が大切なものとしては以下の2つだ。同じものを身につけて欲しいと願うものの、生きるすべだった別の何かだって構わない。
逆に言えば、他のものはこの2つに比べると優先的ではないので、ある意味捨ててしまったといってもいい。
・オリジナリティ
息子には、何でもいいからおもいっきり何かに飛び込んでもらいたい、それだけかな。その何かが成功するかどうかはわからない。後で後悔することになるかもしれない。でも、どうせ中途半端で生きていくのも大変な時代になってきたので、何かを貫き通す方がいいのではと思う。
まだ私のわかいときは、グローバル化の直前といえるもので、海外に比べて高水準の収入と生活が保証されていた時代だった。今や中国・インド他の国と混じってフラットな戦いにある。日本人が優れているところ、細かい点でいろいろあるだろうが、「日本語ができる」のが逆説的ではあるが正しい(無条件にアメリカ人やイギリス人が優れているところも、英語ができることと言ってもいい)。当時でも、発展途上国と呼ばれた国でも優秀な人はたくさんいて、たまたま環境に報われなかったぐらいだ。
インターネットで競争が簡単にできるので、もはやオリジナリティを追求して、それにお金を払ってくれるお客さんがどのくらいいるかなのではと思う。それ以外は、値段に差をつけることが難しい。値段をつければ低いところに流れていく。
付け焼刃的なものやすぐ真似をされているものでは命は短く、価値のあるようなものを出していかないとだめだろう。価値があるかどうかは、自分で判断できるものではなく、時が味方したり、運がよいだけであるので、わからない。そもそも何をもって成功か?お金を得ることか、貫き通すことか、芸を磨くことか、その判断は個人の価値観だ。世間など期待してなくもいい。
・若さ
若さは当たり前のように思うかもしれないが、当たり前じゃない。
常識を疑うとか、勢いとか、一般に若さがもつ無謀さのようなものだ。
世の中の摂理があって、それに対抗することができるのは無謀だけのような気がする。
革命だって世間の常識に対しての無謀だ。常識的に考えれば、大勢に流されていれば楽でそこそこいけるのに、あえて命をかけてでも覆していく。そんなことができるのは、若さしかない。
結婚して家庭ができると、昔は一家処刑になってしまうこともあったし、現代でも一家離散崩壊してしまうことも考えれば、そういうことに二の足を踏んでしまうだろう。
明治維新前のときも、社会主義革命も、カストロやチェ・ゲバラも、そういえばリビアのカダフィも20代でやってきた。
そんな革命というのも、モノを知らない若者が、やっている最中に共感をたくさん得て協力者が増えて、結果的に成功したということだろう。
若いとき
・責任があまりない
・エネルギーがある
・体力がある
・あまり知らない
息子があまりにも勉強しないので、諦めました。
中学校一年生になって通知表をもらってきました。その成績表を見て唖然としました。
夏休みははっぱをかけるために、前半はパソコンに触るのを中止して、その後はちょとかわいそうなので時間制限付きで触ってもいいよといっています。
その時間は、毎日午後3時から10時まで。それ以外の時間は宿題と一学期の反省をしてねと、叱ったり、なだめすかしたり、怒鳴ったり、おだてたりといろいろやっても効果なし。
妻はずっといるのでストレスがたまってしょうがないわけですが、私はとうとう諦めました。
結局、親がああだこうだといっても本人に自覚がないうちはやらないわけで、本人がヤル気をだすならば応援するけれど、そうでないならば大学はともかく高校もいかなくてもいいよといってあります。うちはお金に余裕が無いので、私立はもってのほかですよと。
中学校ぐらいの内容は、世の中に生きて行く上では最低限必要なことです。
実際にはもっと学ぶことがあります。知らないと騙されることもあるし、損することもあります。
いづれ、身につけなくてはいけないことなので、早いうちにやっておいたほうがいいと思います。
それに高校やその先人生で学ぶことに比べれば、ほんの僅かです。
英語だって、中学校の教科書に書いてあることを全部暗記すれば、英語で日常会話ぐらいできるのです。
社会や理科や国語なども全部暗記すればそこそこいいし、数学だって頭の体操に向いています。
私も中2まで数学以外の教科は苦手だったのですが、あるとき全部暗記すればいいんだと知って、テスト前に教科書と問題集の問題と答えを暗記しました。するとすぐに良い点が取れました。それだけです。高校ではさすがに量が多いので、得意教科以外は難しいのですが。
だから、息子と娘には全部暗記すれば中学校の成績はオール5取れるよと言ってあります。でもやりません。
いまのままでは大学へいけないのは確実なので、息子が大学へいかないことを想定して先の計画をたてましょう。
名古屋の自宅は娘が大学を卒業するまでの間と考えましょう。それ以降は帰る家もなくなります。子どもが巣立てば、広い部屋はいらないので夫婦二人が住む2DKあるいは1LDKもあればいいでしょう。もし仕事がずっと東京で続くのであれば、私と妻だけ2人で東京に住むのもいいかもしれません。
娘と息子が家にいたいと言っても、もう家賃も光熱費も払いませんから、ニートにもなれないのです。どこか家を出て一人暮らしするかなんとかしないといけないのです。それまでに自分一人で生きる術を獲て頑張って欲しいと思います。
娘にも同じ事を言っています。娘はきちんと自分のことができるようですが、それでも家を出ていかなくてもいけないというのはプレッシャーになっているかもしれません。
私が大学を出たのは恥ずかしいですが25歳のときでした。まあ22歳ころから海外を一人でぶらぶらし始めていたので、一人で生活するのは慣れていました。それでも、両親の家を出て何かあったときに支えてくれるという後ろ盾がなくなったのは不安なものでした。そして結婚して子どもができたときは、もっと心配でした。
いづれ、独り立ちして他の人や子どもを支えていかなければいけない。それでも支え切れないことがあるのは、つらいことですがどうしようもないことだなと思います。
そうやって、生存競争に巻き込まれて、生き残ったものが歴史をつくっていくわけですから。
世界がフラットになって、日本では弱者を守ろうとしてきた余裕がなくなりつつあるのを感じます。世界の生存競争で生き残れることが大切な時代ではないでしょうか。
望むらくは、娘と息子が世界に生き残れることを期待しています。娘と息子が頑張るのならば応援します。だけど、頑張らないのならば波に飲まれても、それは生存競争に破れてしかたないこともしれない。なんかそんなことを世界の歴史が教えてくれるような気がします。