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[本]解決志向介護コミュニケーション

解決志向介護コミュニケーションAmazonで購入書評私の父は交通事故で頭を打ち、障害が残ってしまった。 高齢(73歳)になって老人性痴呆症も始まった。父のことはずっと母にまかせっきりであるが、この1年は症状が進んだと母がぼやいている。両親とは離れて住んでいるため私が直接手伝うことはできないけれど、何か参考になればと思い、この本を手に取り読ませていただきました。 介護というと、身体が思うように動けない老人に対して、食事を手伝ってあげたり下の世話をするようなイメージがありました。床ずれを直したり、話し相手になったり、掃除や洗濯、買い物など本人の家事の仕事を代行するということが、私にとっての介護という言葉のイメージです。 介護に関する知識は、ある日突然必要になるそうだ。 自分の両親が比較的若くて元気なうちは、自分の周りに介護という言葉すら出てこない。40歳になって初めて介護保険が健康保険のように取られてしまうのは、自分を含めて周りの人が元気溌剌だから「なんで無駄なお金を支払わなくちゃいけないだろうか?」と思うだろう。 しかし、人はやがて老いを迎える。さほど歳をとらなくても、病気になったり怪我をして体がままならなくなるときもあるかもしれない。そのとき、初めて介護を依頼することになる。 介護とはどんなことを頼めばいいのか?いくらかかるのだろうか?... それは突然に。しかもなくてはならない。自分のお尻もふけない、食べることもできない。 その動かない身体にやるせなさを感じ、自己嫌悪に陥る。誰もが介護をして欲しいとは思わない、自分の身体は自分でコントロールしたい。でもできない。しかたなしに、恥を偲んで頼むのが介護だ。 本屋へいって介護に関する本を探せば、きっとほとんどの本は介護の技術に関する本だろう。 (ちょっと引っ張りすぎた) しかし、この本は介護技術を教えてくれる本ではない。介護に関わる心理的な問題に焦点を当てている。 介護をすることは日常的な行為の繰り返しのような気がする。 日常生活の繰り返しでは小さな不満が積もり積もってということもあるだろうし、マンネリ化してしまうこともあるだろう。介護士という専門家でも気がつかないことがあるかもしれない。 まずは、「例外」ということについて焦点を当ててみよう。 痴呆症になりつつある人がうまく靴を履けない。 どうすれば靴を履けるようになるだろうか? 介護をする人は自分では当然靴が履ける。靴が履けないという気持ちになったことがない。 だから、介護される人の気持ちはわかりにくい。どうすれば靴が履けるんだろうか?履ける自分にはさっぱりわからない。 介護される人を観察すると、ときどき自分で靴をはけることがある。それが「例外」という。 その「例外」ではうまくいっている。では「例外」を通常に導いていけば、その人は自分で靴を履けるようになる。その結果、できないことができるようになるという話だ。 (このことだけでも、非常に意味深いものを感じた。ただ「例外」というよりも特異点という方がわかる気がする) 介護する人と介護される人の間の関係を変えることで解決できることもある。 言葉を使わずに、非言語的なコミュニケーションも役立つ。 などなど、本の内容はちょっと学術的で難しいと思うかもしれない。