儲けのネタを考えていると、ついつい原理的なものを見ていた。
経済現象と自然現象が相似していることに気づく。
経済は人間がつくった世界といえよう。
もともとは自然にしかないところに、人間という思考を共有できるものが「お金」というのを生み出した。余剰生産物の代価として「お金」というのが存在し、それをたくさん持っているひとがお金持ちになり。権力者はそのお金を奪い所有しているものをいう。
自然では、エネルギーと対応しているのではと思う。そして物理的には、運動エネルギーや位置エネルギーと言える。
経済というのは、人間が社会生活を行うためのシステムである。
法律はそのシステムを支えるルールである。
今更ながら思うのは、自然法則と相似している。
(ちょっと大雑把ではあるけれども)
経営に必要な資源は、
人
金
物
時間
情報
と言われる。それぞれが、自然においてもそれが対応している。
人に対応するものとして観察者という見方をしたが、場合によっては物質そのものでもあるかもしれない。
そして経済現象として景気のようなものは、経済活動を盛んにすること、つまりお金の流れの回転数に相当する。
お金の流れが早ければ、私たちのGDPが増大している。我々が得ているものの原資は全て自然から得た、食べ物や鉱山資源と太陽エネルギーなどであるが、それらの総量は変わらないけれど、回転させることでGDPを増やしている。
ミクロでいえば、自分のまわりでお金の回転をよくすればそれが個人や法人の生産高/売上高をあげることになる。
これが運動エネルギーを豊かにすること。
もうひとつ位置エネルギーの差で豊かになることがある。
古代より商人がやっていたこと。安いものを高く売ること。
位置エネルギーが高いところから低いところへ、ものを動かす。その結果、利益を生み出す。
たまたま情報を探していたら、YouTubeに「マネーの虎」がいくつか残っているのを知った。
放送されたときは興味を見ていた。経営者がどんな視点で見ているのだろうか?
いまとなれば、投資家の言っていることは当然だと思う。
あっ、いつの間にか投資家の南原社長や小林社長、高橋がなり社長の当時の年齢を超えてしまった。
そして応募する方も稚拙な提案であることは明白なのだが、投資家も宣伝という側面もある。テレビショウなんだろう、でも建設的なものであると思う。
また復活しないかな。
高橋がなりさんのような人が失敗すると分かっていて投資を繰り返している。
そのうち大当たりするところを見てみたい。
調べてみて初めて知ったのだが、イギリスを初めとして海外に同じような番組があるようだ。ナイジェリアまであるのは驚く。
そのうちの1つ
イギリスのはいかにも厳かで紳士的という作り方をするんだね。
久しぶりにマネーの虎を見て、いつも後から思うと、ビジネス的な常識がなかったり、安易な失敗を繰り返す自分が怒られているような気がした。
とはいえ、既に怒られるだけの歳ではない。
自分が基準をつくっていかないと。
読みたかった本「生命保険のカラクリ」が無料でダウンロード!!
このページより。
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献本していただいたのに、書評が遅れてしまいました。
すみませんでした。
これまで、サラリーマンの場合と独立した場合とどちらが有利か不利かという本はありました。時代の流れで、派遣や契約社員、バイトというその中間的な存在にとっての社会保険や税制に関してまとめた本が出たんですね。
個人で生きていこうとするときに一冊手元において、参考にしたい本だと思います。私もたぶんその一人ですね。
会社の中で生きて入れば、法律、年金、健康保険などさまざまなことから守ってくれます。しかし一人で生きていこうとすると、会社のような組織は自分を守ってくれないため、何も知らずにいると大きな損をします。
たぶん、ビジネスを始めたり、独立して始めてみると、後から「しまった、こうすれば無駄な税金や費用を払わずにすんだ。」ということが多いですから、早めにできるだけ手を売っておくというのも大切だと思います。
税金についても、税金はとりやすいところからとるという性質があります。
企業のサラリーマンは収入がわかりやすいので、そこから徴収しています。背負う起業や個人事業主は解釈がまちまちなので、経費が認められやすく有利なのです。
社会保険制度も、サラリーマンを中心とした厚生年金制度やそれ以外の国民年金制度も崩れつつあるので、だいたい同じようになってきました。健康保険も、昔はサラリーマンは1割負担でしたが、いまは同じ3割負担ですしね。
本の内容は今となれば知っていることは多かったですが、それも独立してからいろいろな断片的な知識と重なっているにすぎません。1500円に満たない本で、まとまっているので手元に置いておきたいと思います。
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書評/ビジネス
http://d.hatena.ne.jp/masayang/20100222/1266875263
新生のシステムは、他の銀行と比べて「とても簡素らしい」というのは有名な話だった。
「インド人幹部が、ドキュメントも作らず一人で構築から運用、管理まで手がけており」
→これってシステムとしては最高の「あるべき姿」じゃん(笑
たぶん、インドで動いているシステムを日本に持ってきて適当にこちょこちょっと修正したのだろうけど、見方を変えれば「銀行のシステムはその程度でもよい」ということだろう。そういう本来大したモノではない対象に仰々しく体制を張り付け、無駄な仕事を創出してきた日本の金融系システム業界の化けの皮を剥ごうとした新生の姿勢は評価できる。
ブログからの引用ですが、新生銀行のシステムはパッケージシステムをベースにちょこちょこっと一人で修正してつくったもののようです。
ATMはWIndows で作ってあったり、データベースサーバーはMySQLだったり、意欲的な取り組みをしていたと聞きました。
コンピューターシステムというのも工夫なんだなと思います。無闇矢鱈と複雑に作りすぎる日本のシステムとは違い、発想が豊かです。お金をかけるところにはかけ、そうでないときは合理的に考えるという発想で、少数精鋭でつくりあげるという仕組みのようです。
ところで気になったのは、これだけのシステムをつくったときに、ドキュメントがなかったということ。メモはあったと思うけれど、、、
でも、これがシステムとして本当にあるべき姿かもしれないですね。
ブラウザによるシステムは、マニュアルがなくても操作するだけでなんとなく使い方がわかります。
作る方もわかりやすく作ることが大事かもしれません。設計書や仕様書が大切なことはもっともですが、できるだけ少なくすること、少し読むだけで全体が理解できること。複雑すぎて誰も全貌がわからないシステムよりは、、シンプルであるべき。
実は、10年前にあるソフトを開発していましたが。
それは研究開発しているソフトでしたので、毎日のように更新を繰り替えしていました。仕様書をつくっても、すぐに陳腐化してしまいます。当初実現しようと思っていた機能があっても、開発途中で実現が困難だということもあったし、その逆に技術的な壁を乗り越えて一段上の機能を実現することもありました。
だから、仕様書というものは一切なく、機能やマニュアルをメモとして用意しているだけでした。
あるとき、そのソフトを別の会社に作り直してもらおうとしたときに、「仕様書がないとつくれない」ということを言われて、やはりそういうものかなと思いました。
後から思うと「研究開発型のソフトは受託開発型のシステムと作り方がまったく違うから、それで良かったかもしれない」と思いました。
そして本来は、いったん会社に導入したシステムも、使いやすいものに少しずつ変更していく生物です。全体を把握できるものならば、設計書や仕様書がなくてもいいのかもしれません。
小さいときから少し普通の人からずれていて、将来はこんな俺でも普通に社会人になれるのかな?と思っていたのだが、どうも無理のようです。
もうすぐ45歳になるのですが、若いころの性分は変わりそうにありません。
変わろうと努力したのですがそれでは普通に就職して役に立てそうもありません。自分本来の「自由人」に戻るしかなさそうです。
ところで普通って、何でしょうか。
ずっと同じことを2度とやるのが好きではなく、スポーツもルールが一緒だから飽きてしまうし、「学校の先生になったら?」と親に言われても「毎年同じことを教えるのは…」大学の先生も、、人によっては同じことを教えているし。。
いろいろな刺激を受けて、、大学3年のときにふらりと出た中国への2ヶ月への旅行。これにどっぷりはまってしまいました。
言葉も違うし、生活も違う。やることなすこと全部わからない。ご飯食べるのも中国語で通じないながらなんとか話さなくてはいけないし、しかも食事のレパートリーが多くて今までにない味。見るものも発見の連続。
結局、しばらくして大学の勉強はなおざりにして、NTTの株を売って200万円以上を手にして世界放浪。
1年で60万円だけで、世界中で行ったことのないところや食べたことのないものを味わえる。。。これで一生飽きることはないや。
しかし、、、甘くはなかった。半年で飽きてしまった。
ほとんどの料理の味が想像できてしまって、ほとんどの観光資源や人々にも慣れた。言葉はわからないけれど、わからないなりに何とかする方法が分かった気がする。
それだけじゃなくて、大学でも専門の数学に飽きてしまったけれど、ちゃんと人工知能関連や認知科学、コンピューターサイエンスを独学で勉強していたよ。
ただ表面的なものはもう飽きてしまって、もっと深く理解していかねばならない。また自分で創り上げていかないと思った。
会社に入ったら「自由人」といういわれ方をしたっけ。
立身出世をしたいとも、お金が欲しいとも思わない。それよりも、楽しいことやウキウキすることを続けたい。もしできれば自分で楽しいことを作っていきたい。そのためには、社会的なしがらみやキャリアなんて気にしない。
ひょんなことで、妻と知り合い結婚してしまいました。
おかげさまでもうすぐ16年になるが、多少の喧嘩はあってもうまくいっている。
家庭を支えてくれ、娘や息子にとって良い母親でもあり、一緒にいるだけで幸せを与えてくれる女性である。
だけどその幸福感が現状から逃れられないものになり、個人的には満足してしまって何もできなくなってしまう。家庭が甘いものであればあるほど、自分に甘くなってしまう。
そして本来の「自由人」になっていない気がする。
いま、夜行バスで窮屈な4人がけの席に乗り、泊まりはカプセルホテルに泊まり、2、3泊して往復で1万円ほどの安い出張を繰り返している。身体はきつくて、寝不足の状態、背中などあちこちが痛い。
でも、東京で仕事をしているときは、家庭を離れることができて自由になることができる。妻へは朝と夜は必ず電話をするけれど、家庭の雑事やテレビ、その他のことは完全に忘れることができる。
家庭や子どものことは妻に任せっ切りというのも気が引けてしまうけれど、どうも東京に出稼ぎにいかないと収入は安定しそうもない。その家庭としては最後の決断であるけれど、かえって自由にやれるという点では今のところ良い方向へ向っている気がする。
一度、仕事に取り組み始めたら集中してできる。
東京へ行ったり名古屋にいたり、またいろいろなところで出かけるので程よく刺激を受けることができる。
恐れ入りました。
商品先物取引に騙されたというものの、1億2千万円もの借金を背負ったところから立ち直るなんて、私にはとうていできません。
株の信用取引で、毎日100万円分の損が4日続いき、毎日のように100万円の追証を支払って気が狂いそうになりました。でもきっと人間の器なんでしょう。違いますね。
周りが優秀な人達がいたときの焦りや感じは、私がアンダーセンで感じたことと似ていて、自分の過去を振り返っているような感じがしました。そのためあっという間に本にはまってしまい、読んでしまいました。
東大法学部を卒業されているので地頭はいいんだろうな。だから資格試験は次々とパスする。でも、既存のレールの人生を歩みたくない。
彼はその後、その借金を返すためは、「毒をもって毒を制す」という方法をとります。
借金をして、利益をだし、借金を返す。
元手がなければ、お金は稼げないですものね。
借金があればこそ、それも多額の借金を返そうとするからこその、発想があるんだと思います。
100万円を稼ぐ、1000万円を稼ぐ、1億円を稼ぐ、10億円を稼ぐ、、、、それぞれを実現するための方法は全く違うと思います。また戦略やリスクも異なります。追い込まれて初めて、数千万円返すためにはどうすればいいのか、ですよね。
「利益を生み出す借金は良い借金、消費するための借金は悪い借金」という金持ち父さん貧乏父さんで言っているのと同じですね。私も正しいと思います。
私以上に大変な思いをして頑張っている人がいるとおもうと、励みになります。
ただマーケッティングのところをもうちょっと深く知りたかったですね。
自分にとってのお客さんを探してつなげる=マーケッティングだと思います。
別の本を読め!って、はいわかりました。
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この本の冒頭に出てくる女性のように、家族が惨殺され、孤児になり、ストリートチルドレンとして生きているという例が世界中にある。
その原因は、欧米が植民地として支配したときに、支配者側に反発させないような政策をとったこと。
一部の少数民族を支配者側にして、支配される側はその少数民族に対して反発させるような政策をとり、こっそり気づかないように略奪し続けた。
1960年からアフリカは独立してきたが、その支配者層が支配することになったが、民族的な争いが絶えない。いまだに内乱状態の国は多い。資源があると悲惨で、シエラレオネやコンゴでは資源と引換に武器を買い与え、内乱に拍車をかける。
もともと、国として統一した大きな概念のないところでは、親族や親戚、近所がひとつの集団で、言葉や生活習慣が違えば敵となりやすい。日本でもそんな状態が長くつづいていたが、標準語が作られて人々の交流が普通になると日本という1つの集団になった。そうやって1つになっても、考え方や宗教によって殺し合うことはなくても、争いは絶えることがない。それは人のサガだろうか。
話の腰を折ってしまったが、冒頭の女性は両親や親族が殺されてストリートチルドレンになりながらも、能力があったせいかもしれないが運良く生き抜いてテラ・ルネッサンスと知り合い普通の生活を取り戻しつつある女性である。
日本人からすれば、最低限の生活ができていないということにおどろくだろうが、、それは現地では普通のこと。
隣人を殺し合ったり、犯して妊娠させたりというのは、毎日のようにしょっちゅうあるわけではないが、よく聞く話。
妻の諸国であるフィリピンはアフリカよりもましかもしれないが、私の義理のおじさんも数年前に近所の人にナタで殺されたし、義理の弟が強盗犯として冤罪になりそうになった。
かつて旅行者としてフィリピンを始めとする人たちと友達になったときは他人事だったのだが、親族としてお金の問題を始め殺人や犯罪に巻き込まれると、少し違う思いを感じる。
外国にあるNGOやNPOの実態を少し知っているだけに、実はテラ・ルネッサンスのようなNPO団体は拍手喝采でがんばれトいう気にはなれない。いろいろな人が寄付したお金で、現地でいう豪邸に住んだり、運転手付きの車に乗ったりする。日本での生活と同じ条件、それどころか月給10万円でも現地にとっては会社の役員待遇である。
そして現地で採用される職員も、得意の英語を操ることができる大学卒のエリートで外資系企業の一つである高給取りとして採用されることが多い。
国連職員だって、所得税を払わなくて年収1000万円以上貰う高給取りが多い。
全てがそうだとはいわないが、そういう実態のあるところが多い。
とはいっても、何もしないよりはずっといい。
しかも、国連団体や国がやるよりは、草の根の方がいい。
私のようないろいろなことを考えて躊躇するよりは、若くて純粋な人が立ち向かっていくのがいい。
いくつかは水泡として消えてしまうかもしれないが、そのうち世界を変えていく力になっていくかもしれない。
世界が狭くなって、いろいろな人の気持が通じあえば、世界は変わるかもしれない。
鬼丸昌也さんの挑戦 テラ・ルネッサンス 2Amazonで購入
書評/
松岡正剛さんの本を初めて読んだ。
博学ですねぇ。
よく言われるように、歴史というのは勝者が記録したものである。
一つの事件や史実に対して、本当にあったことが曲解され、時間とともにそれを知っているものが亡くなり、紙に記録されたことだけが残る。
とはいえ、歴史から学ぶことはあるだろう。
100%真実ではない事実を知って、人の生き様を学んでもいいし、政治や戦争の技術を学ぶことができる。過去の歴史からロマンを満喫してもいい。
科学技術の発達で世界は狭くなってきたとはいえ、人間は変わっていない。
なんら進化はしていない。
だから紀元前の仏典を読み、聖書を読み、古典を読んで学ぶことを感じる。
せめて、歴史の中に埋もれてしまった事実を知り、真実を発掘しよう。
なぜその歴史が埋もれてしまったか、埋めたり隠したりする意図があるのか。
また歴史をある切り口(16世紀の世界、モンゴルの世界制服、オスマントルコの覇権、プロテスタントの影響)で語るのも、再考させる価値がある。
一つ例を取れば、「なぜフランシスコザビエルが日本までやってきたか。」
それは、カルビン・ルターによる宗教改革がヨーロッパで巻き起こった。それをバチカンらカトリック宗派が世界に広がるのを恐れて、結束し、積極的にカトリックを世界に広げようということになった。
その一つして、アフリカ、インド、東南アジアへ布教を広げようとした動きが、イエスズ会のフランシスコザビエルであった。プロテスタントへの改革がなければ、ザビエルは日本に来ていない。東洋と西洋が繋がるということももっと後世になっていたかもしれない。鉄砲の伝来もなく、織田信長は武田勝頼に負けていたかもしれない。
プロテスタントの改革が起きたのも、カトリックの司教/司祭の腐敗がもとだが、、、、、まあ、いろいろなことが遠因で少しずつ歴史が積もっていくものだ。
さて、1年後はどうなっているだろうか?
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21歳の頃、世界を見たくてぶらりと旅に出たことがあった。
香港から入って、チベットを抜けて、、、ヨーロッパまで陸路で行く旅。
自転車で行く人もいたが、世界中の人々、その人の生活や価値観などを直に見たかったという旅である。猿岩石の登場前で、深夜特急の連載も知らず、小田実の本も知らなかった。
わずかに同じようなことをする人がいて本になっていたけれど、、、行ってみて驚いたのは同じことを考える人がたくさんいたこと。そして200万円超のお金を持って3年計画で行くつもりだったが、旅行自体が生活になってしまい飽きた。
ピラミッドを見たときに、「ああ、たいしたことないな」と感じて中には入らなかったり、ナイル川をファルルッカで下るチャンスがなくなって、ヨーロッパやアメリカはまあいいかと思って、結局ハンガリーのブダペストからシベリア鉄道で北京まで帰ってきて、結局1年1ヶ月の旅をした。
そんなとき、チベットからインドへ抜けるルートでときどき会った、のなか悟空さん。あれが1987年だった。もう23年前か。
まだ未開発のチベット、豊かになる前の中国とインド、日本の物価の1/10~1/6で生活していて、収入は1/20ぐらい。
彼は、「のなか悟空と人間国宝」というバンドを長らくやっているドラマー。
世界中の大陸でドラマをかついで演奏してきた。その最初の旅行で彼に会った。たまたま泊まるところが1泊100円から200円くらいの木賃宿。安くてましなところを探すと、たいてい同じところになる。中国のゴルムドで一緒になり、ラサで一緒になり、またカトマンズで一緒になった。その後バラナシで一緒になり、またデリーで一緒になる。
一緒になったときは、ドラムを運んだり手伝ったこともある。その後パキスタン、イラン、トルコまで同行しようとなったが、私はパスポートや200万円ぐらい盗まれてしまい、結局1ヶ月後に後追いしたけれど会えなかった。
20年振りというのもしばらく引越しなどで音信不通になっていたのだが、3年ぐらい前にネットでたまたま出会い、今回会うことができた。
めぐり合ったというのも、たまたま彼がフィリピンパブの店長をやっていたことの体験記が本になっており、私がフィリピン女性と結婚しているという「フィリピン」というキーワードで繋がったからだ。
すごくエネルギッシュな人だ。
20年ぶりにあって私の方がもうろくしてしまったのではと思った。
私の方が髪が薄くなり白髪が増えたが、彼はあまり変わらない。
とはいえ、20年経っても中身はお互いに変わっていない。
世間の波に揉まれて、少しは世間との付き合い方は学んだが、人の本質は変わらないねぇ。彼はドラムを演奏できなくなったら生きている意味がないと言っていた。
今年は久しぶりにケニアへ行って演奏する予定だそうですが、ぜひ死ぬまでがんばってください。私も自分のやりたいことがなくなったときは死ぬときだと思っています。
たくさんのエネルギーとビジネスのヒントを貰いました。
ありがとうございます。
これは私は参加していないが、ソマリアの難民キャンプでの演奏。
http://www.youtube.com/profile?user=jzt00763#g/u
のなか悟空 HP
http://homepage2.nifty.com/nonakagoku/goku/