アロナビーチから戻った後は、妻の家で普通の生活をしている。テレビも見ずに、近所を散歩したり、近くのショッピングモールへ出かけたりしている。フィリピンのいろいろな観光地でもいけばおもしろいのかもしれないが、ここボホールではすべて行ってしまったし、特におもしろいことはない。毎日ぶらぶらとこれまでの日常とは異なる、新しい日常を体験している。
妻が久しぶりに母親や兄弟たちと話することができ、そしてフィリピンの生活を思い出すことができるのでそれでいいかなと思う。娘や息子も、祖母やいとこたちに会えて、自分のルーツを体験できることが大事だと思う。私は私で、リラックスするしかないかな。あえて、情報を遮断していろいろ考えをめぐらしてみるかと思った。
ただし、フィリピンの学校は夏休みではないので、月曜から金曜日まで子どもは学校に通っている。そのため、私の娘や息子の遊び相手は日中いないので少しかわいそうだ。とはいえ、Nintendo DSを持ってきたので、暇つぶしてはできている。子どもにフィリピンはどうかと尋ねたら、妻の家は快適なのでよいが、他の家での生活は嫌だとか。トイレを始め、なんでも汚く臭いので嫌だとか。妻の家は特別なんだよぉ。
妻の家は、5年前に建てた。今住んでいる中古マンションの残金を、両親に払った後に毎月積み立てたお金が180万円。妻が自分の小遣いの中から貯めたお金が120万円。およそ300万円で建てた。土地代が80万円、建物や電気設備などで270万円ぐらいだろうか。あれ計算が合わない。50万円ぐらいは追加で払ったのかな...こじんまりとした100平方メートルぐらいの平屋建てであるが、すべての窓には蚊などが入らないように鉄の網を設けた。フィリピンに行くたびに蚊に悩まされるので、蚊取り線香なしでもすむようにしたのは快適である。
妻が建てたこの家を、いつもは妻の妹家族が住んでいる。
税金や維持費などをすべて自分たちで支払うという約束をした上である。それでも、数年に一度しか行かない家を持つのはもったいないと思う。フィリピンでは銀行に預けていても、年利10%以上で貯金が増える。インフレも同程度に上がっていく。フィリピンで不動産に投資して、賃貸料でもとっておけばよい。そして、将来永住することがあれば、そのときに建物を壊して、そこに住めばよいと思う。しかし、妻はフィリピンで自分の家を持つことは夢だという。夢は何ものにも変えられないのだと。日本に来ているフィリピン人は、フィリピンで家を買うことは夢だという。そして、その家がもし自分に何かあったときの避難先だと思っているようだ。いざというとき、例えば夫と離婚した時に、フィリピンに居場所があるということらしい。
今日初めて、妻の家の周りを探検した。
妻はたまたま田舎の街タグビララン(とはいってもボホール州の中心で州都、人口は10万人ぐらい。飛行場があり、毎日1?2の定期便がある。ボホールは人口100万人以上だが、人口は都市部に集中せず、全体にばらついている。)の新市街に家を買った。市役所をはじめ自治体や政府の役所がある。平地ではあるが、ココナッツや木が茂っていて、土壌が整地されていないところが多い。しかし、ところどころに高級な住宅がある。敷地100坪ぐらいあって、周りを背の高い塀で囲み、中には城壁の2階建ての建坪30坪ぐらいの家がある。おそらく1500万円以上は、かかっているのではと思う。通常100万円ぐらいで家を建てるから、このあたりではお金持ちにしか見えない。妻の家も、土地は狭いが近所の家の中では別格である。日本の家としてはたいしたことはないけれど。マニラはもちろんセブなどでは、こういう高級住宅はたくさんあるが、ボホールで見かけるようになったと聞いてびっくりした。
妻の家のすぐ隣にも、妻の家の3倍の大きさで素敵な家がある。地元のお金持ちのご子息らしいが、夫はフィリピン人であるが、アメリカで出稼ぎの医者をしているそうである。年に3回ぐらい帰宅されると聞いた。3年前に来たときに招待されたが、車が2台止まっており、家の中には水槽がある。夫がスクーバダイビングやスキーをした写真が飾ってあった。その家は、若い奥さん(推定)28歳くらいと彼女のお母さん、そしてメイドが2人と運転主が1人いた。
先の高級住宅は、後から聞いたら日本人とドイツ人の定年の夫婦が住むそうである。自国に比べたら安いものだが、強盗に襲わたり騙し取られないように天寿をまっとうされることを祈るばかりである。やはりこのあたりのフィリピン人のお金持ち、中産階級が生まれるのはまだまだかもしれない。とは言っても、近所にできたショッピングモールの品揃えやレストランでの金遣いを見ていると、10年前に比べてフィリピン人の生活もずいぶん向上したと感じる。妻の兄弟は1日100?200ペソ(200?400円)の収入を得る生活で苦労しているのに、ランチで500ペソ(1000円)ぐらい平気で使う家族をたくさんみかける。
中国の経済発展に比べれば遅いが、フィリピンもそれにつられてかどうかわからないが、徐々に変わってきている。電化製品が、中国製、韓国製のものが増えているのが驚いた。例え海外生産でも、日本製がほとんどなかった。唯一目に付いたのは、Nationalブランドだけだった。日本の電器メーカーは危うしだろうか。
私が妻の家族での期待の星は2人いる。
妻のお姉さんの2人の娘。2人とも美人で大学生。1人は看護士の勉強(Nursing Course)をして、一人はコンピューター技術(Computer Engineering)を学んでいる。アルジン(Algine)とロクサン(Roxanne)である。
Algineは20歳で、卒業後はアメリカの病院で働きたいという夢がある。Roxanneは田舎の街でずっと1番で、大学は奨学金をもらって通っている。前のブログでパソコンを買ってあげた娘だ。コンピューター技術を学んでいるのは、ボホールの田舎の大学だ。それを心配していたが、本人は追いつくので精一杯だと言った。3年生でいくつかの科目を受講しているが、そのうちC++のテキストを見せてくれた。日本語版でも出版されているとても分厚い解説本だった。コンピューター技術はとても人気があって、当初250人が入学した。しかし、コースが難しく、3年目の今では30人が残っているだけだという。みんな学科を変更したか、諦めてしまったようだ。このコースは5年だけど、卒業できるかどうかもわからないそうだ。
私は大変だけど、目標を決めてがんばれと言ってやった。逆にすごく安心した。田舎の学校であっても難易度を高めているからだ。大学を卒業したらある程度自信がつくだろう。しかし残念なのは、参考書や雑誌が全くない。日本だったら、大学の図書館に行けば参考になる本はたくさんある。C++の本だけでも、古いものから新しいもの、難易度を変えて視点を変えて、毎年何冊かは発行されている。それが全くないのだ。財力があればアメリカから輸入すればいいのだが、、、それはフィリピンだけの問題ではない。他の更新国でも同じような問題がある。
大国や先進国ではそういう問題はおきにくいが、後進国で弱小国だとそれが問題かな。
中国やインドではそういう問題はおきづらいし、韓国でも起きない。
私は海外旅行すると本屋や図書館へ行くことが多い。中国は英語の本を翻訳していた。インドは英語の本を自国で安く再出版していた。韓国では、「冬のソナタ」のある場面で大学の数学の講義が韓国語で行われていた。実際に19年前の中国のすごーい田舎の書店で、Apple IIという古いパソコンの解説図を中国語で訳されていました。日本語のその本は手に入れることができなかったので、じっくり読みました。インドでも、Prologの英語の解説書を買って読んでいました。両方ともマニアックな本なので、こんな本が手に入るのはすごいと思い、20年近く前に中国とインドがコンピューターの世界で台頭すると思ったのですが、だれも信じてくれなかった。(まぁ行動を起こせ、ということですよね...)
話は戻りますが、ロクサンはコンピューターを直球でしか理解していないので、それが辛いのです。雑誌や参考書などのいろいろな角度からの球があれば、理解を助けます。C++だって、解説書の最初から最後まで確認していくのは、全貌を見てからでいいのにと思いますが、それを彼女に言ってもしかたありません。彼女はきっとやり遂げることができるので、影から見守りましょう。
もしも可能ならば、日本に呼んで仕事につかせてあげたいのですが、若くてかわいい女性ですから、ホステスと間違われて難しいですよね。きっと。
日本語はまったくわからないから苦労するしね。
アール・G・パレーニョ著
太田出版
ISBN4-87233-866-3
定価 1800円+税
フィリピンにいる間にこの本を読もうと思っていた。
マルコスの取り巻きだった政商ダンディン・コファンコのビジネスと富の築き方を外側から詳しく書いた本である。
コファンコという名前は日本では知名度はないが、日本でいえば堤一族をもっと巨大にしたようなものかもしれない。私も1986年の革命のときにその名前を聞いて、中国系の財閥としか知らなかった。マルコスの後に大統領となった、コラソン・アキノがコファンコ家出身だとは最近まで知らなかった。
この本は、コファンコ家の一代目が中国から入国したときから追っている。そして、コラソン・アキノとダンディン・コファンコの関係、ダンディン・コファンコがどのようにのし上がってきたかを詳しく書いてある。彼は、政治とビジネスは切っても切り離せないものだと言っている。ビジネスを拡張するためには、政治によって自分の都合のよい法令の改正や情報の入手がある、逆に政治をするためにはビジネスから得たお金が要る。
私の親戚も、選挙の度に2000ペソぐらい貰えると言っている。フィリピンでは実際に、選挙では何でもありの世界である。買収は当たり前、両陣営からお金を貰うこともある。選挙演説では、こどもにお菓子をばら撒く。ギャングを使って要人を殺害や誘拐したり、妨害する。最近ではさすがに投票箱を盗んだり、票を入れ替えたりすることはなくなったようだが、選挙の度にいろいろな事件が起きる。
それでも直接投票に基づく選挙を行うので、民主主義には変わらない。
投票率も80%以上と高い。
この本を読んで知らなかったことがあった。
フィリピンにも中国人はたくさんいるが、コファンコ家は中国人の血を残そうということにはこだわらないようだ。19世紀には、スペイン系が統治していたこともあって、スペイン人と家族関係や信頼関係を得ることが重要と感じた。そのためコファンコ家には、スペインの血が混じっている。20世紀に入って、有力なフィリピン人との血縁関係を得ている。そのため、スペイン・フィリピン・中国系のいろいろな血が混じっている。宗教もカトリックだ。教育はフィリピンの一流校やアメリカの大学へ通っている場合が多い。家庭の会話もきっとタガログ語が多くなったのだろう。
余談だが、フィリピンの学校制度は小学校6年、高校4年、大学2?6年(進学コースによる)になっている。日本の中学校にあたるものがない。小学校6年が義務教育だが、よほどの貧しい家以外は高校は通う。大学の進学率は50%以上だと思う。小学校の途中から英語を学び始める。数学や理科の授業は全部英語だそうだ。大学の授業はテキストから講義まですべて英語で行う。高校だけでは英語は不十分だそうだが、大学を出ていると英語は一通り話せるようだ。お金持ちはさらにアメリカの大学へ留学をすることになる。
大学を出ていたり留学をしていると、英語が得意なので、かつて上流階級では家の中では英語が話されているそうだ。コラソン・アキノも英語が母国語のようで、タガログ語で演説するのに非常に四苦八苦したそうだ。最近ではタガログ語を使うことが多くなっている。フィリピンでは有力紙は英語が多いが、だんだんとタガログ語の新聞が増えている。テレビはすべてタガログ語だ。ダンディン・コファンコは、タガログ語をふだんつかっていたので受けが良かったみたいだ。
ダンディン・コファンコがマルコスと知り合うまでは、小さな町の町長でビジネスマンに過ぎなかった。それがマルコスの取り巻きになって権力を得てからが、権謀・術数に長けて、どんどん勢力を広げていった。そしてマルコスが亡命して亡くなって後ろ盾をなくしてからも、彼の築いた会社・土地・財産を守りきるどころか、広げて大きくしている。あっぱれとしか言いようがない。
マルコス時代は人のお金をつかってリバリッジを効かせるところがある。彼はほとんど自分のお金を使わずに、アイディアと工夫で、そして法律の盲点をつき、ときには法律をつくり、マルコスの後ろ盾で、財産を短い間に築いていった。例えばある銀行の株を手に入れるために、別の会社の株を担保にするのだが、その会社の株を手に入れるために、銀行の株を担保にしている。銀行の過半数の株を得ることができるので、それを見越して増資をして資金を得る。詳細は推測に過ぎないのだが、人の金をつかって自分の名義にしているのは良くわかる。それって、アメリカの海運王の起業家の手段を半ば非合法的にしたものかなと思ってしまう。ん?、ビジネスってそこでつながっているのか!?!?
ある会社の株を買うときに名前を知られないようにするために、13社の持ち株会社を作って株を買わせる。それらの持ち株会社の大半の株は、別の会社が所持しているが、0.05%分だけ、それぞれの持ち株会社の社長に持たせる。持ち株会社の名前も、ターゲットとなる会社のグループ企業の名前に似せたり、弁護士の名前の頭文字を使ったりする。手練手管は本当にすごい。
彼のビジネスのやり方が、少しでも参考になるんだったら、ある意味バイブルになるかも。。。
私はホステスの仕事をすることはありえませんし、水商売の経験もありません。しかし、水商売はとてもストレスのたまる仕事だと思います。お客を接待する仕事に向いている人もいるでしょうが、そうでない場合は仕事から逃れたいために結婚をした人もいるでしょう。だけどそうやって結婚した男性した男性の多くは、フィリピンパブでかなりのお金を使っています。盛大な結婚式をあげて、結婚時にたくさんの結婚を両親に与えています。それでフィリピンの家族は新郎はお金持ちだと勘違いしてしまいます。
その後、フィリピンの家族はもっとたくさんのお金を送ってくれると期待してしまうのですが、新しい家族にはその余裕がありません。自分たちの生活にもたくさんのお金がかかり、これまでフィリピンパブでたくさんお金を使ったので貯金も底をつきています。そして奥さんは仕事を辞めています。フィリピンからはコレクトコールでお金の催促、フィリピン女性と結婚した夫は「これでフィリピンパブでお金を使わなくて済む」とお金を出し惜しみします。双方に奥さんははさまれてストレスを感じて、パチンコをしてストレスを発散します。
やがてお金がないので、奥さんはホステスの仕事にでるか、妊娠します。いまフィリピンパブへいくと、フィリピンからの若い女性が来づらくなっていますので、多くが結婚している女性です。結婚している人をアサワといいますので、アサワーズ。フィリピンパブへ行っても結婚することはできません。それでもフィリピンパブにいる女性の中で元気がいい人は、より素敵な(=お金持ち)の男性を探します。夫は夫で、フィリピンパブでちやほやされた思い出がありますので、結婚後も結婚指輪を外して、またフィリピンパブへ通います。
そして最後は破局です。
アメリカや欧州での離婚率は50%です。日本人どおしも40%に手が届くほどになりました。フィリピン女性と日本人男性の離婚率も50%を超えています。しかもフィリピン女性との結婚はここ10年で増えてきた現象ですので、早期に離婚する率が非常に高いといえます。(フィリピン人男性と日本人女性の結婚数は少ないですが、離婚率は80%以上です!)
こうしてお互いが噛み合わなくなった夫婦は離婚をします。しかし女性は強し。フィリピン女性は、結婚ビザから永住ビザに切り替えて、フィリピンパブでホステスとして働き力強く生きています(子どもの教育などいろいろ問題はあるのですが)。夜にホステスで働くにしろ、フィリピンで働くよりずっとましなものですから。
タイトルに戻ります。
私の義理の父はその道30年の職人でしたが、事業に失敗しています。経営センスがなかったというべきかもしれません。フィリピン女性と結婚して、退職金あるいはかなりのお金を女性の家族に渡してしまう例が多いです。家を買うこともあります。こちらではその家をジャパユキ御殿という言い方をしています。または兄弟に仕事をさせるために、ジプニーを数台買って、乗合バスのジプニー会社を運営させる場合もあります。また両親や姉妹のためにサリサリストアを運営させる人もいます。サリサリストアとは、お菓子やコーラ、お酒、夕食のおかずなどを売るよろずやです。商品だけを都心のスーパーマーケットで購入して、少し高くして売ります。しかし、たいていの場合失敗しているようです。いま思えば、フィリピン版起業バカかもしれません。
ジプニーは主に日本からエンジンなどを輸入して、フィリピン人の手で乗合バスを組み立てます。かつては米軍のジープを払い下げたものを改造したので、この名前がついています。いまではエンジンや基本の部品を日本の中古トラックのものを使い、車体などは部品から組み立てています。トラックの荷台の部分に両側に長椅子をつけて、屋根をつけたものです。マニラやセブでは日本のバス路線のように、ルートが決まっていて、固定料金です。田舎では、ルートは決まっていますが、料金は距離によって決まっています。ジプニーを開業するためには、こちらの陸運局のようなところに申請します。料金については陸運局が決定しているようです。ジプニーはおおよそ100万円に満たない金額でしょう。最近ジプニーが使うエンジンが中古の質の悪いエンジンを使っているため、排出ガスが真っ黒でそれが空気汚染させているので、政府としてはジプニーを制限するような動きがあります。
しかしジープニーは雨の日も風の日も走りつづける仕事で大変な一方で、競争が激しいです。それは運転免許を得てジープニーを購入する資金があれば、誰でも始めることができる事業だからです。お金を簡単に得ることができて、その事業に素人であれば、事業の継続をするのは無理でしょう。辛い仕事に嫌気がさし、お金を自分の懐に入れるようになり、軽油を買うお金にも困ります。そのうち借金して走るか、ジープニーが故障したときにお金がなく、それで最後はせっかく手に入れたジープニーを売り払います。最初から、収益予測と資金管理、故障したときとかガソリンの値段が上がったときの危機対策を講じないとすぐダメになってしまいます。
サリサリストアは、商品を仕入れて自宅の一部を売場に改造すれば商売を始めることができるのでもっと気楽です。10万円あれば始めることができるでしょう。ところがこちらは別の問題があります。ほとんどのフィリピン人は、つけで商品を購入しているのです。現金で買ってくれる人はほとんどいません。フィリピン人もつけで買えますので、とりあえず手に入る商品をあてにします。石鹸やシャンプー、お酒、タバコなどを気楽にサリサリストアで手に入れます。そしてつけの支払いを求めるのですが、支払う方は他のものに使ってしまっています。それではつけを払ってくれなきゃ商品を売らないといいますと、2度とサリサリストアには近づかないようになります。結局、つけが滞って、資金繰りに困ってサリサリストアを閉じることになります。
フィリピン人は本当はお金を支払いたいという気持ちを少しかもしれませんが、考えています。ところがお金が入ると、すぐ使っちゃうのです。「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という考えがあります。お金がたくさん入ると気前良くみんなにおごり、パーティをして見栄をはり、その結果いつもお金がないと言っています。
しかしフィリピン人にもいろいろいます。わずかながらもお金を貯めて、家を建て、教育に投資した人もいます。そういうところから、少しずつ中産階級は生まれています。口でいくら言っても通じないと、最近思うようになりました。「金持ち父さん、貧乏父さん」のような本は、そういう人に良い啓蒙書ですが、まだフィリピンの本屋で売られていないようです。というよりも、フィリピンの本屋では圧倒的にタガログ語の本、英語の本の流通量、品揃えが少なすぎます。流通している本は、ハーレークインロマンスのフィリピン版やアメリカのマンガのような本ばかり。日本では本を読む人が減ってきたと言われますが、本の品揃えや流通量が英語の本を含めても10分の1にも満ちません。本を読む人が減ってきたといわれる日本ですが、まだまだずっと増しです。ただ中国はこの10年以上行っていませんが、15年前の中国でも本屋はかなりの品揃えがありましたので、中国人の学習熱・向上熱は高いと思います。
日本でも同じですが、フィリピンでも、教育はサラリーマンになるため勤め人になるための教育を受けます。だから自分で事業を起こしたときの準備はいっさいないのです。またフィリピン人に投資する日本人も、その是非がわかりません。だからほとんどの場合は提供したお金は無駄になってしまいます。
これまでフィリピンに来るたびに、フィリピンでビジネスを始めるにはどうすればよいか、フィリピン人を雇用するにはどうすればよいかを考えてきました。フィリピンには成熟していない産業がいくつかありますので、日本で成熟した産業のマネをすれば成功する可能性はあります。ただフィリピン人を雇うときに日本的な方法を用いてはいけないし、かなり注意しないといけないなとつくづく思います。それならば、既にフィリピンで成功している華人のビジネスに倣うのがよいかなと思いました。
素人が取り組んでも、フィリピン版起業バカになるだけですから。
まずはフィリピンの状況を簡単に述べてみます。
フィリピンは0.1%のお金持ちと5%の中間層と90%以上の貧乏人からなりたっています。大学を出てやっと仕事にありつけますが、妻のような店員やウェイトレスがせいぜい。高校を出ただけでは仕事にはありつけません。その店員の仕事も正社員にすると企業負担が重くなるので、3ヶ月ごとに解雇して新しい店員を雇うそうです。フィリピンでは実質の失業率は日本よりずっと高いです。
自国では仕事が少ないので、就業人口の10%は海外へ出稼ぎに行っていると言われます。主として東南アジアや中東が多く、アメリカや欧州へ行けるのは幸運だと言われます。男は船乗りになったり、肉体労働が多いですが、中には医者や建築家などの頭脳労働者もいます。女は看護士や家政婦が多いです。日本だけは特別で、美しい女性がホステスとしてやってきます。
つまり、フィリピンでは学校を卒業しても簡単には就職できません。学校へ行っていないとさらに就職は厳しい状態です。職にありつけたとしても、賃金が低く、生活していくのはとても大変です。
マニラで月収は1万円?3万円、妻の故郷のボホールでは5000円?1万円ぐらいが普通です。野菜や肉などの生活必需品がいくら安いといっても、日本の10分の1以下の収入では、大変厳しい状況です。ちなみに生活必需品の物価は、1/3ぐらいです。1日働いて200円?1000円では、食費などで消えてしまい、どうやって生活していくのでしょうか?
日本も高度成長期が始まるまではこの状態でした。アメリカやヨーロッパをとてもうらやましく見ていたものです。私の両親や祖父母らに感謝します。日本を貧困の国から脱出させてくれたのですから。それから、日本は付加価値を生み出さなくてはいけない状況にあります。
特にボーダーレスとなってからは、国境という壁はだんだんと取り払われて、貧しい国で安い賃金で作られた、1次産品、2次産品がどんどんと入ってきます。その中で競争を維持していくのは、新鮮だとか安全だとか品質が良いとかの利点しか残されていません。その差でこれだけの価格維持ができるでしょうか?製品よりは人件費という視点で、私は気になります。
話は戻りまして、妻と結婚したときに、妻の両親や兄弟から援助を申し受けました。妻は日本に出稼ぎに来ていたわけではないので、家族を支えなくてはいけないという責任はありません。それでも、家の改築費用や義父の事業費用を出しました。一度にはなく段階的にです。
最初に結納金として、テレビやビデオデッキをあげました。テレビ、ビデオデッキとも3万円ぐらいのものです。それまでは壊れかかっている白黒テレビしかありませんでした。それから、共有井戸から水を汲むのが大変なので、水道管を引きたいとの申し出がありました。共有井戸までは30mぐらいの距離がありますから確かに大変です。水道管は結局引けず、自分の家で井戸を掘ることになりました。結局20万円ぐらいかかったでしょうか?
それとは別に義父の事業資金として35万円ぐらい提供しました。
事業が成功すれば、妻の兄弟の生活が助かります。義父は横断幕やTシャツのデザイン、ジープニーのデザインを手がけていました。自分の持っているデザイン力や技術力で、自分で事業を切り開いてきた人でした。ボホール州では老舗でそれなりに有名な店です。義父の弟子の中には、フィリピン第2の都市のダバオ市で、ビルを建てるほど大きくした人もいたそうです。しかし、ずっと小さな会社のままでした。事務所と呼ぶにははばかれる、掘建て小屋で仕事をしていました。
ペンキにシンナーを扱うため、どうしてもエアコンの閉じきった部屋の中で仕事をすることはできません。しかし30年同じ仕事をしてきて、小さな掘建て小屋とは残念です。10人の子どもがいるという大きな家族を養ってきたせいかもしれません。35万円提供するにあたって、帳簿をつけるようにお願いしました。11年前は帳簿をつけることにより、入出金の管理と原価計算、キャッシュフローなどを、自分の力でわかって欲しいという希望がありました。
私の元には詳しい、帳簿が届きました。本当は1週間、あるいは1ヶ月での統計値が欲しかった。そして、それを把握したかったのです。いまになって思うと、日本の中小企業の多くも帳簿はつけますが、それの重要性に気付いていないことが多いようです。これらの数値をつけることは目的ではありませんが、年に1回行う健康診断の数値のようなもので、その数値で企業の健康状態を知ってもらいたい。死なないためにはどう対策をとればよいかを知ってもらいたいと思います。数値が悪くても企業は死なないことはあります。しかし、それはすでに死に体で生き返ることはまずないのです。
結局、義理の父に提供したお金は返ってこなくてどこかへ消えてしまいました。兄弟への提供も、数万円の小額を一回だけ許しています。贈与ではなく、貸与という形にしてあります。一番上のお兄さんに貸したお金は少し返ってきましたが、それ以上に返す余裕はないようです。1回目の願いは聞き届け、2度目の借金はしないようにしてあります。妻に言わせると、フィリピン人は恩と恨みは一生忘れないそうです。借金に関してはこちらが言わなくても、ずっと覚えているとのこと。私はこの借金は返してもらえなくてもいいから、ずっと仲良くしてもらえれば安いものだと思います。
片方の実家が貧しければ医療的な援助はしかたないと思っています。自分が妻の立場だったら、自分の両親や兄弟が苦しんでいたら助けざるを得ないと思うからです。ただし、お金をあげることが助けることにはならないと思います。彼らにお金をあげても、生活費の全部か一部になるだけだったら意味はありません。大人だったら自分で生活の糧を得てください。そうでないと、大人になった意味はありません。結婚して家庭を築くのであれば、自分でそれだけ稼いでください。子どもを得るととてもお金がかかります。お金がかかるだけでなく、自分の自由な時間を失います。それが責任です。少なくとも私はその責任をいままで果たしてきました。責任をまっとうするのは大変ですが、ぜひやりとげてください。
もしも可能ならば、大病になったときのセーフティネットは提供したいと思います。しかし私自身もこれからは起業(バカ)しますのでその余裕はなくなるかもしれません。自分たちでセーフティネットを張ってください。
著者: 渡辺 仁
ISBN4-334-93356-4
定価: 952円+税
本が出版されたときから、この本を知っていました。
タイトルに反発を覚えていいかげんなことを書いているのではないかと思っていて、読むべきかどうか迷いました。
でも読んでよかったと思います。
起業で失敗するパターンがいくつか載っています。起業するときに近づいてくる変な輩のこともあります。失敗するにしても成功するにしても、本当に苦労しそうです。
この本の著者自身が、雑誌を発行するという起業を起こして、失敗しています。その失敗についてあからさまに報告して分析しています。それが原因のすべてかどうかわかりませんが、著者の姿勢は反省するところから始まっていますので、ある程度信頼できるのではないでしょうか?
本の内容は起業で失敗するパターン、注意するべきことが載っています。
第1章 みんなこうして失敗した
いくつかの失敗のパターンが書いてあります。
アイディアや技術優先で失敗に落ち込んだ例、フランチャイズに安易に申し込んで失敗した例。
第2章 起業でハマる3つのワナ
「会社病」、「新聞病」、「依存病」には注意。
「会社」という看板を信用しきってしまうことに注意
「新聞」の内容や「新聞の広告」に注意
フランチャイズにすべてを「依存」することは注意
第3章 「起業後」に待ち受ける誘惑とワナ
事業パートナーや出資者には注意。
アテ・ベビという女性で、妻がデパートのレストランで働いているときに、このAlona Kewで働かないかと誘ってくれた人です。そして私たちの結婚式で、God Parents(仲人のようなもの)になってもらいました。2日前に日本の土産物をもって挨拶にいったのですが、最初は誰?という感じでした。10年間も会っていないのだからしかたありません。
このアテ・ビビは、当時のホテルのマネージャーであるタボイの奥さんですが、とてもやさしい人だと妻は言っております。タボイのお姉さんは写真でしか見たことはないのですが、とても美しい人でドイツ人のビジネスコンサルタントと結婚してこのホテルを作りました。フィリピンでは会社の重要な職は家族が占める伝統がありますので、オーナーはお姉さん、マネージャーは弟です。そしてサブマネージャーもその下の弟です。10年前の時点でタボイはマネージャーの職を辞めて、地元の議員になったり、ホテルの前に両替屋などのビジネスを始めていました。タボイは高校しか出ていないそうですが、ホテルをうまく切り盛りしていたように見受けられます。そのあとは一番下の弟ダニーが10年ぐらいマネージャーをしています。
日本でも中国でも世界中どこでも、家族でビジネスを取り仕切るということが良く行われます。それについては是非があると思いますが、また機会があればお話したいと思います。
妻とアテ・ベベは1時間ぐらい積もる話があったのでしょう。いろいろ話していました。一昨日はびっくりして考えがまとまらなかったのでしょうね。妻とアテ・ベベは良く似ているところがあるので、気があうみたいです。
ホテルをチェックアウトして帰ることにしました。
ホテルからバイクやトライシクル、ジープニーなどをチャーターすると、500ペソ以上かかると思います。日本円で1000円ぐらいだけど、、高い。ホテルから少し歩いてジープニーに乗ると、1人17ペソ。全員で100ペソしません。アイスクリームを買って、道路で待っていたら10分もしないうちにジープニーがやってきました。それにのって1時間ぐらいでタグビラランに着きました。
そこで偶然妻のお姉さんのアデレイダがロアイから別のジープニーに乗ってやってきました。これから自宅近くまでトライシクルに乗るかどうか迷っているときに、彼女は「このジープニーは自宅近くまで行くよ」と持ちかけてきました。全員がそのジープニーに乗り込みました。するとだんだん雨が強くなってきましたのでびしょ濡れにならず助かりました。さらに彼女は「少し余分に支払えば自宅の前まで運んでくれる」と運転手と交渉しはじめました。
フィリピンでは「お金を払うときは持っているものが支払う」というルールに乗っ取って、彼女のジープニー代は全部払いました。なぜか彼女にこうやって偶然に会うことが多いです。昼食を取るときに偶然にあったり、同じジープニーに乗り合わせたりなど。とはいえ、双方にとって良い結果に結びついているから不思議です。彼女は3人の娘がいて、みんなとても美しいです。私と同じ歳ですが、19歳のときに結婚したので、すでに長女は20歳です。上から20歳、19歳、13歳と娘ばかりですが、夫はビートたけしさんのお父さんのようなペンキ職人をしていまして収入が少ない。彼女は口が強いので、いつも夫婦喧嘩が絶えない、そんな家庭です。
11時過ぎには、家に戻ってきて、あとはおとなしくしておりました。
話は戻って、そのお姉さんからいろいろな話を聞きました。
Alona Kewの思い出のホテルですが、オーナーの女性はドイツ人の夫と離婚しました。離婚後はホテルを慰謝料として全部受け取ったのですが、経営が思わしくなく、危ないところからお金を借りているそうです。
離婚の原因はすれ違いからのようです。
ドイツ人の夫は結婚したものの本国の仕事が忙しく、奥さんをずっとフィリピンに残したままでした。夫は年に1度か2度フィリピンへ訪れるだけでホテルはずっと奥さんに任せていました。
妻が働いていた12年前から、奥さんには恋人がおり、ときおりホテルへ訪ねてきたようです。最初の子どもはドイツ人との子どものようですが、2人目の子どもはどうやら恋人の子どものようです。ドイツ人の遺伝が全く伝わっていないようで、恋人の肌のようにさらに濃い褐色を帯びていたからです。
その噂がいつしか夫の知るところになり、離婚になったようです。
夫以外の誰もが知る公然の仲だったので時間の問題だったかもしれません。子どもが自分に似ていない、あるいは誕生日から逆算してそのときは夫がフィリピンにいなかったことから決定的だったのかもしれません。
その後、ホテルは妻が引き継ぐことになりました。ホテルの名前のKEWは、夫の名前からとったそうですが、そのままにしてあります。だけど他にホテルがたくさんできて過当競争になり経営は思わしくなく、やがて借金も抱え、妻のお姉さんはもうすぐ破産するのではと言っていました。
借金をした先が、ある街でシャブをつくっているところから借りたそうです。このフィリピンという国はお金があればなんでもありのところなので、ニュースになるのはすべてではありません。あっ、それは日本でも同じかもしれませんね。
ニュースは、事実の一端しか明らかにしません。フィリピンではそれでも真実を暴こうというジャーナリストがたくさんいて、昨年だったかな1年間で20人くらいのジャーナリストが暗殺されたそうです。闇の勢力を暴こうというジャーナリストは日本よりも多いくらいですが、残念ながら国の実権は一部のお金持ちのファミリービジネスに完全に牛耳られています。
かつてピープルズパワーで祭られた、ベニグノ・アキノは1983年空港で暗殺されました。その奥さんのコラソン・アキノは大統領になりました。アキノを暗殺した黒幕と言われる当時の大統領マルコス、そして影の実力者ダンディン・コファンコ。コラソン・アキノを援助してマルコスを倒した、ラモス。ラモスはマルコスのいとこです。コラソン・アキノはダンディン・コファンコのいとこです。マルコスはダンディン・コファンコのおじさんが名付け親です。
いろいろな事件が起きて仲が悪いですが、みんな根のところではつながっているんです。マルコスは当時のアメリカが共産勢力を打倒するというバックアップがあってこそ、20年以上の独裁政権を維持できました。ベニグノ・アキノはそのマルコスの後釜として、CIAが影で支えてきたという噂がありました。
フィリピンは、バランスオブパワーのファミリービジネスで支えられている国です。国の中では強い勢力ですが、ユニリバーなどの多国籍企業やアメリカの勢力からは完全にこけにされているようです。
不安が先によぎるが、なんとかなるだろう。
身支度をした後に、Alona Kewのレストランで朝食を取る。朝食は80ペソから135ペソ。80ペソはコンチネンタルブレックファーストで、パンとコーヒーとジュースだけ、120ペソはアメリカンブレックファーストで、コンチネンタルブレックファーストにハムやソーセージ、卵が付く。135ペソはフィリピノブレックファーストで、パンの代わりがご飯になり、ハムやソーセージの代わりにトッシーノという甘いソーセージになる。
ホテルの宿泊代に込みになっているが、子どもがほとんど食べないので、4人分を頼む。ところがウェイターが勘違いして5人分注文してしまった。5人分持ってきて、クレームを出したら、もう勘定に入れてしまったので、キャンセルできないと困った顔していう。妻はこのホテルでウェイトレスをして働いていたので、「気持ちがわかるのでかわいそうよ」という。それで、食べきれないので、ランチボックスに入れてくれるよう頼んだ。ウェイターは喜んでもって帰っていった。
今日はバリカサグ島という船で1時間くらいかかるところへ行くので、昼は戻ってこない。そのため昨日サンドイッチを頼んでおいた。チーズバーガーを頼んだがバーガー用のパンがないということで、サンドイッチになってしまった。
ダイビングの出発時間は9時半だが9時にギアを揃えるために出かけた。スキューバープロのBCDにレギュレーター、ウェットスーツやマスク、フィンは適当なものを選んでくれた。スノーケルはないが、なんとかなるだろう。
妻やお手伝いに来てくれている妻のおばさん(マンデン・シライという)と2人の子どもが到着した。しかし、タンクやいろいろ準備すると結局10時になってしまった。これで船は出かける。日本人ダイバー6人いた。あとはダイブマスターとフィリップ(何人だろう?カメラを持っていた)と私である。ちなみに妻とおばさんは乗船料を$6ずつ取られた。ダイビングは私だけいいのだが、妻はいつもついてくる。というか勝手にダイビングさせてくれない。子どもも小さかったせいもあるが、こんな状況なので、フィリピンに来ても10年間はダイビングができなかったのだ。
島の東側のスポットでダイビングを行った。
なんとか潜ることはできたが、耳の水圧の調整に少してこずった。
3m潜るごとに、耳抜きをする必要があった。あれこんなに耳抜きしたっけ。
潜り始めて見ると、10年前の風景そのまんまだった。潜るところは8mぐらいの海底から、ドロップオフで30mぐらいまで落ちている壁のところだ。薄い緑っぽい水の中に、ときおり珊瑚や薄紫のイソギンチャクをみることができる。
あとは中性浮力の獲得だ。
水中で沈みもせず浮きもしないように、浮力を調整しなくてはならない。空気を肺にすったときに、身体の体積が増えて比重が軽くなる。そうすると身体が浮く。反対に空気を吐き出すと、比重が重くなり、身体が沈む。まったくうごかないときはいいのだが、水深20mぐらいと10mぐらいでは再調整しなくてはいけないんだなぁ。その微調整するのを忘れていて、少し苦労してしまった。ただ息を吸うのを我慢したせいか、だんだん頭痛がしてきた。1時間ぐらいして、上にあがろうとしていた。あれ、すぐにあがらない。
そうだ、水深5mのところで5分安全停止するんだった。これで血液の中から窒素を抜く。そして水上に上がった。水上に上がったところでボートが迎えに来た。フィリップが上がるのを観察していた。そうだ、最初に重りからあげなくちゃ。次にBCD、そしてフィンだ。フィンを水中で外したので、船のステップに近づけなくなった。あっ、フィンを外しちゃ行けない。フィンを外したら全然泳いでもすすまないや。慌ててフィンをもう一度はめて、ステップに近づく。そしてステップを掴んでから、フィンを外した。
ボートの上では、スタッフが脱いだ重りやBCD、フィンをとってくれる。そしてステップに足をかけてボートに上った。その後に、他のダイバーが次々と上がってくる。全員が上がったところで、ボートを島につけた。
浜辺でサンドイッチを食べた後、島を歩いた。
バリカサグ島は周囲2kmぐらいの小さな島である。
おそらく漁業で生活している島民が30世帯ぐらいいると思われる。島を歩いていくと中心部に小学校があった。1998年頃に主として日本人が寄贈してつくられた小学校のようだ。私が前に来たときは小学校はなかった。
小学校の校庭の壁には、その寄付をした団体名と人の名前が一人一人彫られたいた。
80%以上、日本人の名前だった。こういうところに寄付するのはとてもうれしい。
残念ながら、政府経営のホテルへは時間が足りなくて行けなかった。12年前は、確かに政府経営のホテルがあってそこでコーヒーを飲んだ。場所が場所だけに、アロナビーチの3倍ほどの料金を取られたのはびっくりした。ちなみに島でコーラーを飲むと、冷蔵庫がないのでぬるい上に、倍の料金がした覚えがある。
バリカサグ島はそれでもとても美しい島で、アロナビーチの白いビーチよりもさらに美しい。住人は住んでいるしダイバーは毎日のように来るが、それでも住人とダイバーの数は知れている。浜辺は、珊瑚の細かな破片が落ちていて、椰子の実がいくつかある他は夢の中で見る南の島のようだ。だけど現実をみると、ときおり訪ねるにはよいところだが、住むのはとても大変だろうと思う。飲み水は雨からとるしかない。産業は年々減っていく魚を獲ること、あとはダイバーに市場で買ったお土産を高く売りつけるぐらいしかない。
13時に島を出る。娘が珊瑚の破片を拾ったが、日本人ダイバー(ガイド?)に国立公園だから持ち出してはいけないよとたしなめられた。ボートは少し動かして、そこでダイビングする。ここのドロップオフは午前中と同じような景色だが、ナポレオンや海亀、バラクーダーなどの大物をみることができた。潜っている最中に気持ち悪くなって、吐いてしまった。水深20mのところで、レギュレーターを外して吐こうとしたが、タイミングが悪く、レギュレータを少しつけたままで吐いてしまった。一瞬、レギュレーターが詰まってしまったが、何度かレギュレーターのノズルのところを押すと、空気が噴出してなんとか乗り切った。水深20mのところなので、一瞬焦った。少し塩水を飲んでしまったがなんとかなった。
頭痛が続き、バディのフィリップが水中写真に夢中になり、一瞬他の人たちと離れてしまった。それもなんとかなった。かつて、エアーが足りなくなったのをバディに無視されたり、水中の流れに流されたり、まあいろいろなことを経験しているのでたいていのことは大丈夫。あとは水中鍾乳洞から出られなくなることだけを心配している。
1時間近くたって、また水深5mのところで5分休憩するのだけど、BCDにエアが残っていて上に上がりそうになって焦った。急いで水中へ沈もうとして四苦八苦した。もう一度ダイビングすれば完璧に勘は戻ると思うけど、どうだろうか。
1週間遅れですみません。
NETCHANNEL KYOのサイラボ7月27日放送分をまとめたものです。
日本テレビ、今秋にネット配信、VOD形式で有料配信
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085280,00.htm
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085511,00.htm これまでテレビ局はネット配信に挑戦してきた。韓国やイギリスでは成功しているが、日本では失敗してきた。インフラ的にも技術的には可能であるが、既存の放送事業とどのように共存するかが問題なのであろう。
個人的にはテレビ局がすべての番組をインターネット配信してくれれば、毎月いくらか払っても良いと思う。そうすればDVDレコーダーを購入しなくてもいいし、番組の録画に失敗しなくても良い。
ただ公共の電波でスポンサーからお金を貰って放送している番組を、別にインターネット配信したら、権利関係はどうするのか?日本の権利関係は複雑すぎて、それがインターネット配信できない原因でもあるので、もっと簡単にならないだろうか?
そうしないと、タックスヘーブンの国から番組がストリーミング配信されることに、なっちゃうかも。
iPodでビデオも 9月までに新サービスか iPodは8月から日本で音楽配信をすることになりそうだが、とうとうアメリカではビデオ配信をすることになりそうだ。まずそのためにビデオを再生できるiPodを発売する。
同時にコンテンツとして、ミュージックビデオを配信する。値段もCD全曲分と大差無いようだ。そして、映画やテレビ番組のコンテンツも配信したいと考えている。
レコード会社は、ミュージックTVにプロモーションビデオを無料で提供する契約をしていた。レコード会社はそれを製品の広報なので割りにあうと思っていたが、ビデオ自体に価値があることが後になってわかった。またビデオの制作費も年々映画をつくるように高くなっていく。
iPodでビデオ配信できればアップルにとって完全にコンテンツを携帯端末で見れる市場をおさえることになるが、一方でレコード会社にとってもプロモーションビデオを売れる媒体を得ることにもなるので、成功するだろう。iPod, iTunes, QuickTimeが、この市場での業界標準になるかもしれない。アップルはMacではなくて、こちらの市場にシフトするかもしれない。
地上デジタル放送を光ファイバーで 地上アナログ放送が2010年に停止される予定である。
いま全国に地上デジタル放送を広げつつあるが、山間部などの難視聴地域はアナログ放送でも山の上に共同アンテナをつけてそこからケーブルを引っ張って見ている。地上デジタル放送に切り替わるにしたがって、アンテナやブースターの交換が必要だが、それも値が張る。
1週間遅れで申し訳ありません。
ネットチャンネルKYO 8/3 23時に放送される「サイラボ」の追補です。
ヤフー、「Yahoo!メール」に送信ドメイン認証を導入、迷惑メール対策を強化
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20085533,00.htm スパムメールが増えているだけでなく、フィッシング詐欺も増えてきました。
メールを受け取るのですが、送信者詐称のメールが多いです。銀行のメールアドレスを見て、これは銀行のメールかなと思ってしまうのですが、それが実はフィッシング詐欺の入り口です。メールのURLをクリックすると、詐欺ページが開かれます。そこで銀行の口座番号やパスワードを入れると、それが自動的に盗まれてしまうのです。
その詐欺を引き起こす理由の一つが、メールアドレスを信用してしまうこと。そこで、メールはメールアドレスが正しいところからしかメールを送るようにする。つまり、送信者は間違いなくメールアドレスの人にする。そういう仕組みを考えました。それが「送信ドメイン認証」です。これはメールサーバーすべてにその仕組みがないとうまくいきませんが、送信者個人を特定することが可能になります。
しくみは、昔からのパブリックキーとプライベートキーの署名の方法です。これはサーバーどうしで自動的に機能しますから、一般ユーザーはこれまでのメールソフトを使いつづけることができます。YahooメールをWebで閲覧すると、「送信ドメイン認証」を確認できるそうです。マイクロソフトも対抗馬として、”Sender ID”という方式を考案しています。ただこちらは個人の確認はとれず、メールアドレスのサーバー部分(@の右側)だけを認証するしくみです。
どんどんこういう機能は広がって欲しいものですが、それにともないスパムも減って欲しいです。私はもう一歩踏み込んで、せっかくパブリックキーとプライベートキーを使っているのですから、ついでにメールの暗号化もやって欲しかったなと思います。
もうキーボードは叩かない–IBMが新種の入力手法を公開
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20085403,00.htm PDAでは、PalmのGraffitiという入力方法を気に入っていました。基本的にはアルファベットを一筆書きで入力するのですが、例外的にKなどの入力方法を数十分で覚えれば、すべて入力できるものでした。たいへん気に入っていましたが、それでも入力するのは手間で、日本語の場合はローマ字から変換しなくてはならないので、長文の場合は大変でした。やはり、キーボードに勝る入力方法はありません。
一方で、女子高生がポケベルをすばやく入力するさま、携帯をスパスパと入力するさまは驚きです。パソコンのキーボードの方が勝るでしょうが、それでも入力の早さに驚きです。
日本でも欧米でも(フィリピンでも)、携帯はメールを利用するのが多いようです。ではもっと楽な入力方法はないかと考えたのが、IBMの研究所が考案したShark(Shorthand-Aided Rapid Keyboarding)方式です(番組ではTech-A-Sketchと言ってしまったが間違いです)。普通のキーボードの画面を携帯に表示して、そのキーボードをなぞる方法です。入力するべきところで、折り返して次の文字へたどればいいのです。
これだったら、なぞるだけですので早そうな気がします。日本語だったら、さしずめ50音表にすべきでしょうか。昔に、キーボードを3?5打って漢字1字に割り当てるという、とても早い入力方法がありました。記憶しやすいようにキーと漢字を関連付けているそうです。練習が必要ですが、それを覚えるととても入力がはやくなるということらしいです。ん?でも、それはあまり必要性を感じませんでした。
頭に思いついたことを、自動的に入力される日は何時頃でしょうかね?私の場合は言語というよりも、イメージで思いつきますので、どうやってコミュニケーションを取ればいいのでしょうか?それって、象形文字じゃん!
OS/2の歴史に幕–IBM、2005年末で販売打ち切りに
アロナビーチは、フィリピンのボホール州のパングラオ島にあります。20年くらいまえから少しずつ開発されてきました。12年前は本当は私はフィリピンのエルニドへ行きたかったのですが、エルニドへ行こうとしたが8月のフィリピンは雨季であることが行ってからわかった。雨季はエルニドへ行く道がふさがっており、またダイビング人口が少ない。急遽、雨季でもダイビングができるボホールのアロナビーチへ変更した。
そのアロナビーチへ行ったとき、たまたま泊まったホテルのウェイトレスをしていた妻と結婚することになった。結婚後一年後に一度、そのホテルに泊まってダイビングをしたことがあり、今回は10年ぶりに行くことになる。
とはいっても、フィリピンの常識のようなもので、私たちだけが勝手に行けない。必ず家族と一緒にいかなければならない。フィリピンの家族というのは、とても幅が広い。普段付き合いあるのは、三、四親等ぐらいまでだから、だいたい同じである。両親、兄弟、兄弟の子ども、おじさん、おばさんくらい。ときには、いとこ、いとこの子ども、いとこの夫や妻が加わる。フィリピンの言葉でも、いとこ(first degree cousin)、またいとこ(second degree cousin)ぐらいは親戚になる。
というわけで、40人くらい乗れるバスをチャーターして出かけることになった。出かけるときは、親戚の家々を廻りピックアップしていく。最初に作った料理を持ち込み、ときどきお見せによって予約しておいた、豚の丸焼き(レチョン)やバーベキューにしたチキン、コーラーやスプライトの2Lビンを2ケース、サンミゲルのビールの大瓶を数本、コラプというラム酒も数本などもピックアップしていく。
ピックアップするだけで1時間以上かかった。
その後、パングラオ島に入って、Hinaganan Caveへ。小さな鍾乳洞だけど、みんな初めてのようだ。入場料は大人15ペソ、子ども5ペソ、全部で310ペソだった。日本円にしたら、全部でたった620円である。とても小さな鍾乳洞で、地面にある小さな穴をくぐったら、真っ暗であるが、小さな穴から日が差していた。奥に小さな地底湖がある。フィリピンの子どもたちがそこにジャンプして飛び込んでいた。
そこからまたバスに乗って、アロナビーチへ向かうが、団体で入場するのを断られた。今晩は他の家族と別れて、ここで泊まるため先にチェックインさせてもらった。ホテルはAlona Kew White Beach Hotelという。家族4人が泊まれる、スイートルームで1泊4000ペソ。8000円である。たかーい。フィリピンの物価かからかけ離れている。私が昔泊まったときで、200ペソ。当時のペソで800円弱。同じクラスでも、3000円くらいだから、2倍以上になっている。後でレストランの価格をみたら、1.5倍くらいだった。日本に比べると安いものの、とうとうセブとの価格差はほとんどなくなったかもしれない。
もうすぐこの島にはより大きな国際空港ができるという話がある。そうすると大きなホテルでき、小さなホテルやレストランも、セブのマクタン島のように増えていくだろう。そうして観光地化がすすめば来にくくなるかもしれない。また海の美しさも損なわれていく。観光地には黎明期、成長期、発達期、老衰期という企業の成長曲線のようなものがあり、いまここは成長期から発達期にさしかかろうとしている。私個人は黎明期だと不便すぎるので、成長期ぐらいにさしかかるぐらいがよい。
チェックインして荷物を運んで、すぐにバスに戻った。バスに乗って他のビーチを探した。BBC Public Beachというところに行くことになった。BBCというのは、Bohol Beach Clubという、このあたりでは古く大手のリゾートホテルである。20年前ぐらいに開設された。その近くのビーチである。車が20台以上止まっていて、バイクやジープニーもある。
フィリピン人がたくさん来ていた。今日は日曜日だからというのもあるが、海では水上バイクが1台走っていたりすると、フィリピン人の生活も徐々に変わってきた雰囲気がある。10年前と比べてレストランは1.5倍と書いたが、いろいろなものの値段も1.5倍になっているようだ。物価が上がってきたと同時に生活レベルも上がってきたのだろう。とはいっても、後述するがここの収入のレベルは低い。1日に200円ぐらいだ。
ここのビーチもサンゴ礁によってできたところなので、白い砂のきれいなビーチである。遠浅になっていてとてもきれいだ。人は多くなってきているが、まだ沖縄の離島なみじゃないかな。フィリピン人はゴミをそのまま捨てているので、少しずつ汚くなっているのは残念だ。
遠浅なので泳ぐほど深くはないので、子どもたちと遊んだ。ボールを投げあったり、ヒトデを集めたりしていた。浜辺ではテーブルや椅子をお金を払って借り、もってきたレチョンやその他食事などを並べた。私は豚のレチョンは脂ばっかりでおいしいとはおもわないが、何か祝いの席でフィリピン人はこのレチョンを食べるのを好む。豚の皮がおいしいというが、私にとっては大味すぎるのだが。他にもケチャップで味付けたスパゲティを持ち込んでいるが、これも茹ですぎていておいしいとは思えない。